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泳げない海亀 #78(Reinvent the wheel)

 太陽が地面を照りつけ、跳ね返る。
 初夏とはいえ日差しは強い。それを避けるように木立の下には様々な商品を陳列した茣蓙がずらっと並んでいる。

 代々木公園では大規模なフリーマーケットが催され、そこここで笑い声や歓声が上がっていた。中央に設営されたこじんまりとしたステージではミュージシャンが好き勝手に演奏を繰り広げている。昇太はその傍らでアコースティックギターを抱えてチューニングをしていた。
「次あたりやれば?」
 金髪の男が笑顔で昇太に声をかけた。名前も知らずストリートやこういったフリーライブで顔を合わす程度だったが、いつも妙に馴れ馴れしい。昇太は「ああ」とだけ答える。
「あ。あの人また来ているね。君のファン?」
 男が遠くを指差す。つられてその方向に目をやるがどこを指しているかわからず再び指板に視線を落とし、CM7のコードをしゃらんと弾いた。

          ✴︎


 ジェレミー浜田と出会った夜に臍を固めた。迷いはない。内から湧き出る音楽を好きに奏でる。
 それから再び曲を作り始め、ストリートで演奏もし、ロガーヘッドのショウではなく大涌昇太としてステージに立つ事に意味を求めた。
 歌い方も変え、曲調もガラリと変えた。髪も伸ばし、無精髭の面構えはもはやかつての面影もなくなっていた。
 もともと潜在的に持っていた卓越したソングライティングセンスとボーカル力を武器に昇太はわずか一年半ほどで知る人ぞ知るアーティストへと成長した。ライブやイベントの誘いも少なからずあったが、自分のペースを乱す事は無かった。
 あくまでやりたい事を追求する。その姿勢を再び崩したくは無かったのだ。

 フリーチケットの野外ライブは好きだった。演奏したい人間が演奏し、聴きたい人間が聴く。ごくごく当たり前の事がここでは行われている。
 観客は今のロガーヘッドに比べたら格段に少ない。それでも充実していた。

 演奏を終え、ステージを降りると再び金髪の男が近寄ってきた。
「ワクさんと話したいって人が来てるよ」
 一人で活動する時は「ワク」と名乗っていた。少しでもロガーヘッドの「ショウ」から離れる為だった。
 金髪が連れて来たのは暑いのにスーツを身にまとった野外イベントにはおよそ似つかわしくない若い今風の男だった。
「こんにちは。私、イベントを企画している柊政晴と申します」
 差し出された名刺に目をやる。株式会社スペースサウンド代表取締役社長とあった。
「仰々しい肩書きですけど、大した者じゃないんです」
 頭を撫でながらはにかむ柊の表情はまだ幼さを残していた。

続く

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