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にがうりの人 #14 (思惑のセオリー)

「よかったじゃないか」
 心底そう思った。肉親が居ない私は彼女のこれまでしてきた苦労をまるで自分の事のように感じていたからだ。
 それは目に見える苦労だけでなく、孤独という救いようの無い重荷の事もである。本当の孤独というものは、この平和な世の中で感じることは然程ない。だが、私達は抗えない。
 血のつながりのない孤独。
 それを受け入れざるを得ない現実。
 救いようがない苦労はどんな言葉でも癒されることはないのではないか。だからこそ私達は惹かれあったのかもしれない。

「休みの日は会いに行っていたの?」
 私の質問に彼女は再び目を伏せた。
「私、母さんは死んだものと思うようにしてたから」絞り出すように成美は口を開く。
「でも気になってその千葉の病院まで行くんだけど、病室にはいけなかったの。怖くて」
 そこで突然彼女は立ち上がると、再び笑顔を見せた。それは悲しさとうれしさと私には分からない感情が入り混じった複雑な表情だった。
「ごめんね、心配かけて。ご飯、作るね」そう言って彼女は踵を返す。
 純粋な気持ちを抱えたまま時間という枷により母親に会えない成美に私が何をできるというのか。彼女の背中を見て、私はたまらずとっさに叫んでいた。

「会いに行こうよ」

 驚いて振り向いた彼女はしばらく固まっていた。
「一緒に行ってくれるの?」申し訳なさそうに呟く彼女に私は笑顔を返す。
「当たり前だろ。なんでそんな悲しそうな顔するんだよ。もっと喜ばなきゃ」
 成美は肩の荷が降りたように相好を崩した。
「本当にありがとうね」
 その声は思いのほか朗らかに響き、私の心もやわらかくなった。
 そして私はふと先程までの自分の愚かさに恥ずかしさと申し訳なさと、そして後悔に思わずふきだしてしまった。成美がそれに気づき怪訝な視線を送るので、私は手をひらひらさせて誤魔化した。
「ごめんごめん。俺、変な心配していたから、つい」
「変なこと?」
 私は煙を払うように再び手を振った。
「いやいや、こっちのことだから気にしないで。それより本当に良かった良かった」

 紫煙をくゆらせた榊がいやらしい笑顔を見せた。
「結局、浮気じゃなかったんだな」
「はい」
「やっぱり、疑ってたのかよ」
「あ、いえ、そういう訳ではないんですけど」
 仕事の後に榊から後日談をせがまれ私たちは喫茶アラタに居た。相変わらず閑散とした店内に無愛想なマスターが毎度毎度同じ表情で立っている。不気味と言えば不気味だが、見方によっては滑稽にも見える。私はミルクを入れたコーヒーをかき回しながら、榊に言った。
「明日、彼女と彼女のお母さんのところへ会いに行こうと思っているんです」
 成美の力になりたい。そう思っていたのは事実だった。何が彼女の為に、何が彼女を救えるのかは分からないが、そばに寄り添うだけでも何かが変わる気がしていた。
「ああ。その方がいい。今のお前に出来ることは彼女を支えてやることくらいだろう?」
 私は小さく首肯した。肉親がいない私にとって生きていく上での障害は全て一人で解決しなければならなく、責任も全て自分が負うことは当たり前のことであった。だから、不器用なほどに他人に頼ることはほとんどない。それは彼女も同じことなのではないだろうか。
「家族のありがたみはお前が一番よく分かっているはずなんだからさ」
 榊はそう言ってふっと笑みを浮かべた。そうして榊は携帯電話を取り出す。
「またメールですか。本当に説得力無いなあ」
 私は呆れつつもそれが彼の照れ隠しであり、優しさだと思っている。それが彼の周りに人を集め、人の心をひきつける魅力だとも思っていた。
「お前の事を俺の彼女と話したらさ、健気で良い人だって言ってたよ。健気過ぎて逆に気の毒なくらいだってさ」彼は携帯電話に視線を落としたままで呟いた。
「あんまり変なこと言わないでくださいよ」
「今度会わせるよ」そう言うと顔をあげて、ニッと口を横に広げた。
「だったら、なおさらですよ」私は口を尖らせた。

続く

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