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にがうりの人 #4 (翳りゆく質量)

 時刻は午前二時を過ぎている。店内を見回すと若いカップルと水商売らしき女が居眠りをしているだけである。私は会計を済ませると店を出て、タクシーを拾う為に駅へ向かった。
駅前のロータリーに出ると、タクシーの数珠つなぎが見えた。それは需要と供給のバランスが崩れたこの国の縮図となり、数年前から続く光景である。私はようやく出番の回ってきたと思われる個人タクシーに乗車し、行き先を告げた。気の利いた運転手は会話を弾ませる事も無く、黙々と先を急ぐ。

 私の家は郊外に佇む安普請のアパートである。タクシーを降り、あと数年で朽ち果てるであろう階段を上がりシンプルなデザインのキーを鍵穴に突っ込み、ひねった。

 部屋の中には物をほとんど置いていない。パソコンと本棚、それにベッドのみである。私にとってこれだけあれば十分だ。
早速パソコンを起動すると、タバコに火をつけた。古いパソコンの為起動に時間がかかるが、気にはならない。やがて、殺風景な画面が不必要な程の明るさとともに現れると、私はデスクトップ上にある「過去」というアイコンをクリックした。
 自らの過去を記録したデータ。仕事を終えるとその一部を消去していく。始めの頃はその消去にためらいを感じていたが、今の私にとってはただの作業でしかない。二十ギガバイトあった過去は既に八百キロバイトまで減っている。

 もうここまで。

 いや、まだここまで。

 人生は所詮、自らが決めたようにしか進まない。そう確信している私はフワフワとした心臓が浮き上がるような感覚を持て余していた。早く床につかなければ、夜が明けてしまう。
 幸福論にはうんざりしている。どうして生きるのか。人はなぜ愛を求めるのか。少なくとも私のような人間に答えを出せるはずが無い。そういう事は精神的にも経済的にも余裕がある人間に任せる事にする。私はまた明日から性懲りもなく無為に時間を過ごすだけなのだ。

 とにかく、そういう無駄は徹底して省く。もう、退路は無い。

続く

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