見出し画像

にがうりの人 #2 (欲しがる男)

 目の前の某有名経営者もその物好きの一人である。私は一見の顧客は受け入れないため完全紹介制をとっており、彼も前客からの紹介であった。

 「で、どんな話だ?」
 まるでお預けを食らっている犬のように彼は今にも涎を垂らしそうな勢いである。息づかいまで荒くなっているのではと見紛うほどだ。
 だが私は動じない。あくまで商売なのだ。そしてそのための契約がある。いつもどおり前もって請求金額の確認をする。
「しっかりしているな。だが、こっちだって高い金払うんだ。それなりの事を話せよ」男はそう言って背もたれに体を預けた。
 金額は内容によって異なるが、基本的には百万円前後としている。決して安い金額ではなかろう。
 しかし、これは経験に発生する著作権、人生の過程において生成された固有の知的財産を売り渡す契約なのである。よって私は二度とその過去を自分のものとして語る事はない。その話の所有権は私の元を離れ、買主に渡るのだ。他人に自分の昔話として話すのもよし、笑い話にするもよし、その話は所有権を得た彼らの自由になる。

「早く聞かせてくれ」
 急かす男を尻目に私は冷めたコーヒーに口を付けた。それを見ると目の前の男も店員を呼び寄せ、アイスティーを注文する。
「そう焦らずに。これはれっきとした商談です。ですから、こちらの契約書にサインを頂きまして、それからお話させて頂く事となっております」

「契約書?馬鹿な事を言うんじゃない。金は払うと言っているだろう」男は声を荒げた。

「だいたいあんたみたいな反社会的な人間と顔を合わせているだけでこっちとしてはリスクが高いんだ。そんな証拠に残るようなもんにサインなぞできるものか。そもそも真実かどうかも現時点では判断出来ないではないか」
 保身だけは忘れない。成功者である彼らはその事に何よりも心血を注ぐ。
「ご安心ください。私は秘密厳守を第一に考えておりますので、お客様の個人情報は契約終了後、全て破棄させて頂いております。また、ご心配されているようですが、私のポリシーといたしまして作り話は一切致しません。フィクションを作れるくらいならば小説家にでもなりますよ。実話の生々しさを御提供することによって、お客様を満足させる絶対の自信を持っております」
 非論理的な事をあえて堂々と宣うこの瞬間、我ながら滑稽を通り越し諧謔すら覚える。だが、そんな私の心情もよそに男は暢気にタバコに火をつけ、大きく吸い込むと煙をぼわっと吐き出した。私はそれを見届けると、身じろぎ一つせず再び話を続ける。
「話というものは形がなく、その価値は口から発せられた瞬間から鮮度、いわば価値が下がるものです。つまりお客様にはこの時点で契約を決めて頂き、前金でお支払い頂く事になりますがよろしいでしょうか」
 男は口も目も丸くし一瞬驚いた表情を見せるが、私の話を理解したのか鼻を鳴らし口元を緩めた。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?