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にがうりの人 #10 (話の奥は)

「俺の知らない趣味とかあるの?」
「私の事はもういいじゃない」
 成美は私の言葉を遮るようにコーヒーカップを手に立ちあがると振り向きもせずにすげなく言った。そこからもう一踏ん張りする勇気は無い。むしろ諦めというより、彼女に対する信頼と考える事にした。
しかし現実にはその考え方が自らを疑心暗鬼にさせるスタートなのだが、それを恋は盲目というものかもしれない。実際、盲目で結構と思っていた節もある。
「そういえば新人さん入ってきたね。榊さんだっけ?」
 唐突に出てきた名前に私はギョッとした。榊とは最近仕事場に新しく加わったアルバイトの男性であった。彫りが深く長身の彼は私より三歳年上で快活としており、まるで長年勤務したかのように彼は職場になじんでいた。私も歳は違えど兄のように慕っている。
「そう。すごくいい人だよ」
「へえ」
成美はそう言うと二杯目のコーヒーを口に含んだ。
「コーヒーっておいしいよねぇ?」
成美は聞いてくる。私は肯き、つられるように熱いコーヒーに口をつけた。

 私はその日以来、成美に対してうすぼんやりとした気持ちを抱くようになった。それが何であるか、そして私自身がどう対処すべきなのかまるで見当もつかない。ただ、そのふわふわとした気持ちがやがて澱んだものとなり、疑念へと変化するのも時間の問題のような気がしてならなかった。自分自身のことであるとはいえ、それこそが恐れていることであり、避けるべき動揺である。

 恐らくぼんやりとしているわけではなく、それは現実逃避の一種でなのだ。そうであるとしても私に解決策が見つかるわけでもなく、結局仕事もままならない私は休憩室で相変わらず明確な形の無い考え事をしていた。
 ここのところ、店長や他の従業員も私の体たらくぶりに冷たい視線をおくってきている。やがて休憩時間も終わりに近づき、重い腰をあげるとそこへちょうど榊が入室してきた。
「おつかれ」
 榊は私の肩を叩くとパイプ椅子に腰を下ろした。そして胸ポケットからマルボロライトを取り出し、火をつけるとうまそうに煙を吐いた。
「なあ、ちょっと聞いてくれよ。俺の彼女、料理が苦手でさあ、この間も」
「すみません。僕もう休憩終わりなので行きます」
 私は他人の話に耳を傾ける余裕もなく、榊の話を遮るように言った。
「おう、そうか。悪かったな」榊は物足りなそうな表情でそう言うと、私の顔を覗き込んだ。
「お前、最近顔色悪いけど、大丈夫か?何かあったら言えよ。金の相談なら乗れないけどな。なははは」榊は豪快に笑う。
彼の何気ない気遣いが私の心をほぐしたのか、私はとっさに口走っていた。
「榊さん。仕事上がった後、時間ありますか?」
彼はきょとんとしていたがやがてニヤリと笑い「有り余ってるよ」と親指を立てた。

続く

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