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にがうりの人 #6 (一の矢)

 商談の場は三軒のファミリーレストランをランダムに利用している。今日は国道沿いの駅から距離のある場所である。
客よりも先に到着し、客よりも後に帰る。それが私のポリシーだ。

 店内に入ると私は店員に窓際の席へと案内された。平日の深夜という事もあり客の数はまばらであったが、時折外からくぐもって聞こえる車の走行音と店内に流れるBGMが雰囲気を暖かくしている。
 私はホットコーヒーを一つ注文した。気の抜けた表情の店員は返事をせずにうなずくと奥へ消える。
 そうして私は目を瞑ると頭の中を空っぽにする。すると夜の街に広がる闇が店内を侵食し、やがて私の頭の中へ侵入してくるように感じた。その感覚はどうやら日々増しているようだった。

「どうも」
 その声に目を開く。いつの間にか目の前に男が座っていた。痩身で目鼻立ちがはっきりとし健康的な黒髪も好印象だが、どこか剣呑な雰囲気を漂わせるその男は私のコーヒーを運んできた先程の店員に同じく、コーヒーを注文している。

「すぐ分かりましたよ。やはり同じ匂いがするものですね。なんというか、社会の裏を住処とする人間というか」
 男は似つかわしくなく高い声を吐いた。言葉を口にするとその軽薄ぶりが伺い知れる。私は無言で彼を真っ直ぐ見据えた。
「俺の事軽いと思いました?」そう言っておもむろにタバコを取り出すと、吸い口をライターに叩きながら目をぎらつかせた。
「仕方ないですよ。今は一応プライベートなんでね」
口ぶりからどうやら仕事の時とは雰囲気が違うようだ。
「あなたの事は前の客から聞いてますよ。なかなか面白い話を聞かせてくれるらしいですね」男は挑発的な視線を投げてきた。手元の情報によれば彼の職業は経営コンサルタントのようだった。個人的な視点で言わせてもらえば、そうは見えない。
この仕事を続けているといつしか目の前の客がどのような話を望んでいるのかが分かるようになる。ただ単に他人の不幸を欲しているのか、それとも飯の種を欲しているのか。いずれにせよ、今の私にとって過去を売りつける事が出来れば何の問題も無い。
「お任せください」
私はいつものとおり取引の流れをかいつまんで説明するが、男は退屈そうにメニューを眺めている。やがてしびれを切らしたのか、話の途中で灰皿にタバコを押し付ると口を開いた。
「もういい。俺をその辺の成金と一緒しないでくれ。話を聞くだけ聞いて金は払わねえなんてケチなことは言わねえから安心しろ」
語気を荒げた彼は窓の外を一瞥した。つられて私も視線を追う。駐車場には高級車が一台とまっており、助手席には見るからに不機嫌そうな女がカールされた髪の毛を暇と共にもてあそんでいた。
「俺の女だ。というよりもお客様って言ったほうがいいか」
 私は表情を変えない。皮肉なのか真実なのか判然としないが、どちらにしろ私には関係ない事だ。
「ついてくるってうるさくてよ。とにかく待たせてるんだ。手っ取り早く聞かせてくれ」
 先程までの柔和さは消え、男は惜しむ事なく言葉遣いにトゲを出し始める。
「前金になりますが」私はにべもなく言う。
 男は目を丸くし、そしてにやりと笑った。「なかなかしっかりしているな」
男は懐から封筒を取り出した。封筒には有名企業の名が大きく記されている。私は中身を確認し、それから小さく礼を言って契約書にサインをもらう。男は煩わしそうに殴り書いた。

 そして私は息を呑むと瞳を閉じる。
がらんどうになりつつある頭の中から糸をたぐるように一つの過去をひも解く。
そして瞳を開き、ゆっくりと口を開いた。
 男のぎらついた目の奥の闇に吸い込まれていくような気になる。私のその感覚を男は知る由もなく、無邪気に身を乗り出している。
 遠くで消防車のサイレンがこだましていた。

続く

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