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にがうりの人 #44 (隠匿の果てに)

「黙ってちゃわからへんねん。やめて下さい、お願いします、やろ」

 後頭部に蒲田の足が置かれ、そして押し付けられる。その拍子に首が曲がり、頬に床の無機質な固さが痛みに変わる。蒲田の後ろに居た彼の秘書と目が合ったが、彼女はすぐに反らした。

「やめて下さい。お願いします」

 言葉が微動している。まるで犬であった。いや、まだ犬のほうが尊厳を守られているであろう。まともな人間ならばこの場合相手を殴りつけるのであろうか。あらゆる葛藤がよぎったが、私は一瞬の恥と割り切る臍を固めた。
しかし次に放たれた言葉に耳を疑った。

「こないな状況こちとら見飽きてるっちゅうねん。困ったら土下座なんて今時流行らへん」

 そう言って蒲田は私の顔に唾を吐いた。
「あの高峰とか言うおっさんに言うとけ。ぶっ潰すまでやめへん言うてたってな」
 気づいたら私は蒲田の胸倉を掴んでいた。ワイシャツのボタンが弾け飛んだ。あわてて秘書が止めに入る。
「何してんねん。ええ加減にせんとお前も殺すで」
 私の手をふりほどき、蒲田は部屋を出た。
「今日のところはどうか、お引取りください」彼の秘書が丁寧に頭を下げた。

✴︎

 法的手段に訴え出るしかない。私は心に決めた。どういう方法があるのかは私には分からない。おそらく、高峰が必死に守ってくれた私の過去も明るみに出るだろう。しかし、自分の事などはもうどうでもよかった。
 高峰を救わなければならない。相手が巨大すぎる以上、手段も限られてくるだろうが、やるしかないのだ。このままだと蒲田はきっと陰湿な攻撃を執拗に続けるであろう。その言葉どおり、高峰が音を上げるまで、いや、音を上げても痛め続けるであろう。
 高峰には蒲田と会っていた事を隠してある。その言い訳を考えながら戻ってきた事務所のドアを開けた。


 遅かった。


 西日が窓一面から差込みそれを背中で受け、うなだれている男が居た。その男は左右にゆらゆらと揺れている。いや、正確に言えば、そういう風に見えた。

 それは高峰であった。

 首にはカーテンレールから続くロープが締め付けられていた。生真面目で冷静で、それでいてユーモア溢れる高峰が今は顔をパンパンに膨れさせ、だらしなく口を開いて涎を垂らし、揺れている。

「高峰さん!」

 近寄る私に高峰はもう悲しい笑顔すら見せなくなっていた。自らの首を縛り上げたら、世の中の呪縛から抜け出せるとでも言うのか。私はとてつもない憤りを持て余しながらも、慟哭しながら救急車を呼んだ。

続く

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