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にがうりの人 #43 (汚れた断罪)

 夜になりようやく静かになった事務所で高峰はたまっている案件にとりかかっていた。私は彼のデスクに歩み寄った。

「高峰さん」

 それ以上、言葉が出なかった。高峰を疑った自分の愚かさ、浅はかさを呪った。彼は私を察し、再び力ないぼやけた笑顔を浮かべた。

「大丈夫だ。人の噂も七十五日って言うだろ。君は気にせずにいたらいいんだ」

 だが、高峰が抗弁しないのをいい事に記事は日に日にエスカレートしていった。高峰をまるで殺人鬼のように仕立て、挙句の果てに逮捕間近などという根も葉もない虚実を記事にする雑誌すらあった。
 弁護士一人にこれほどまでの執拗なバッシングがかつてあっただろうか。私はあの忌まわしい顔を思い出していた。

 蒲田である。

 私は蒲田の元へ向かった。彼は父親が経営する企業の子会社に取締役として名を連ねているという。とはいえ、実質の経営は別の者が行っているようで本人は名ばかりのようだった。アポイントメントを取ろうと試みると、意外なことに蒲田は二つ返事で承諾した。  

✴︎

 都心の一等地に聳え立つ高層ビルの十三階にそのオフィスはあった。愛想の良い受付の女性に取り次いでもらうと一室に通された。部屋のつくりは会議室のようなもので長テーブルやらプロジェクターが設置されている。白を基調とした内装は清潔感があり、椅子は高峰の事務所の応接ソファよりも心地が良い。少なくとも邪悪さは微塵もない。
 しばらくすると高級スーツに身を包んだ蒲田が秘書と思しき女性とともに現れた。身なりのせいか以前と印象が大分違う。彼は入室するなり腹を抱えゲラゲラと笑い出した。
「お前、ホンマに来たんかい。笑かしよるわ」
 蒲田はテーブルの上に尻を乗せ、煙草をふかした。
「高峰の一件、ご存知ですよね。あれはあなたの差し金でしょう?」
 私の言葉に蒲田は厳しい目つきを投げてきた。
「何の証拠があってそないな事言うてんねん。相手見て言葉を選ばへんとお前も干されてまうで、この世から」そう言って再び声を上げて嘲笑する。

 私は血が滲むほど拳を固めていた。これほどまでに怒りを感じたことは無かった。脂汗がほとばしり、意識が朦朧とする。それでも私はなんとか顔を上げた。

「とにかく、やめてもらいたい」

 蒲田がマスコミに圧力をかけている事は確実だった。親会社は各メディアのスポンサーを担っており、広告代理店との繋がりも深い。テレビ、ラジオはもちろんの事、雑誌社に圧力をかけることくらいは彼や会社のコネクションを使えば訳は無いことだろう。
「人にお願いをする時は、どないすんねん?」
 蒲田は右足で床をトントンと叩いた。私の表情は鬼そのものだったに違いない。震えるひざを床につけ、続けて額をつけた。この世に存在するものとは思えない、冷たさが皮膚を貫く。

続く

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