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にがうりの人 #50 (陶酔する闇)

「ほう」

 目の前の男は私の話を聞き終えると、頬杖をついてうす笑みを浮かべた。
「なかなか面白いじゃねえか」
 相変わらずライターをいじる甲高い音を立てている。私は口を閉ざしていた。
「結局、泣き寝入りってわけか。世間は冷たいもんだな。まあ、でも今はこうしてその経験も金になっている。分からねえもんだ」
 ようやく耳障りな音を止め、男は煙草に火をつけた。いつのまにか灰皿は吸殻で一杯になっている。
「人間の感情なんて、所詮大きいもんに流されるんだ。権力だったり金だったりな」男はニヤニヤしながら嘯いた。
「まあ、俺はその程度の欲望なんかじゃ動かされないけど」
 当たり前だ。金や権力で動かないのはそれを所持しているからだ。だからこそ、私のような商売が成り立つ。彼らの欲望は金や権力の向こう側にある、残忍で気味の悪い醜悪な暗澹たるものだ。とは言え、そんな事は口にしない。
「お前は低俗な金持ちの餌食なだけだ」
 男は言う。だが私からすれば私の目の前に座る人間に差異はない。そんな私の思いを察したのか男は身を乗り出してくる。
「俺はそのへんの富者とは違う。俺は神なんだ。世界は俺の思い通りにするんだよ。だからと言って弱い連中を守ってやろうなぞ、これっぽっちも思わないが」
 あたかも己が世間一般に認められているかの如く、彼は自信満々に言った。
「だから猥雑で下品な金持ちは片っ端から淘汰してやるんだ。だって一番の悪はそういう中途半端な連中だろ?」
 同意を求めてくるが私は答えない。目の前の人間の意見に賛否など、ない。
「俺が人間を統率し、治める。だから俺は怒りが欲しいんだよ。何事にも大義名分ってやつが必要だからな」

 この商売を始めて意外だったのが、客である連中は自分の話したがると言うことだ。私の話を聞き、優越感に浸っているからか、少しでも私を慰めようとしているのかは判然としない。
 しかし私にとってはどうでもいい。彼らの話など歯牙にもかけない。そもそも新たに情報を取得し、いらぬ感情など芽生えてしまったら意味が無いのだ。
 だから目の前の男の話にも心を打たれたりする事は無い。金持ちで変態の戯言である。私の知らないところで宗教でもなんでも始めればいい。話を続ける男に私は水を差した。
「お話中申し訳ないが、そろそろお引き取り願えますか」
「そうだな。あんたに話しても仕方ない」
 男は気怠そうに煙草を灰皿に押し付け、鋭い眼光を投げてきた。
「今の話は俺のものだ。どう使おうが文句言うなよ」
「当然です」
 私の返答に口元を緩めると、冷めた珈琲を一気に流し込み男は立ち上がった。
「まずい珈琲だな。今後はわかりやすい場所にあるうまいコーヒーを出す店を選ぶがいい」
 男は立ち去ろうとしたが、不意に振り向いて私を指差した。
「そういえばお前、自分が客になんて呼ばれているか知っているのか?」
 急な質問に私は首を捻る。

「苦い過去を売る人、にがうりの人、だってよ」

 男は「くだらねえ」とこぼし、嫌らしい笑みを残して立ち去った。私も思わず苦笑する。

 にがうりの人。実にくだらない。

続く

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