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にがうりの人 #55 (悽愴の時代)

 私の家族はもともと都内に暮らしており、父親は小さな町工場の従業員だった。ボーナスはおろか、給料の支払いもままならない程の零細企業であり貧窮を極めたが、それでも懸命に働いていた。
 休みの日になると母が弁当を作ってくれて家族で公園へ出かけたりもした。経済的に厳しい我が家ではそれが精一杯だったのだ。私が随分幼い頃の話だが、それでも暖かい日差しや父と母の笑顔を記憶している。
 貧困を絵に書いたような家庭だったが、両親は必死で私を育て、そしてささやかではあるが、幸せも感じているようだった。

 そういった生活の中で父親は母親にも秘密にしていた事があった。それは小説を書く事であり、毎日遅くまで働き睡眠時間を削っては自らのアイデアをまとめていたらしい。
 何度か出版社に持ち込み、ようやく編集者の目に留まった作品が有名な文学賞を受賞した。元々の才能か出版社の根回しが功を奏したのかその処女作はじわじわと売れ始め、二百万部を超える大ベストセラーとなった。その後二作目三作目と立て続けにヒットを飛ばし映画化もされるなど一躍人気作家の仲間入りを果たしたのである。
 そうして私の父は突然訪れた幸運に歓喜し、勢いあまりデビューから僅か三年目で鎌倉に豪邸を建てた。

 しかし、もともと貧乏であった私の両親は金の使い方を知らなかった。黙っていても入金される印税は一般庶民からしてみれば想像もできないような大金だったであろう。それを湯水のように使い、自分たちはもちろん一人息子の私にも贅沢をさせた。そしてその歪んだ愛情はやがて不相応な期待に変わっていった。

 私は当然のように某私立大学付属の小学校に進学させられる。それを両親は私の将来のためと思っている節があった。
 だが、所詮成金である。周囲は代々伝わる資産家や大手企業役員の子息であって私など異端とみなされていたのだろう。
 まるで私が生まれる前から決まっていたかのようにごく自然にイジメが横行した。たかが小学生のやる事だと教師をはじめ周囲の大人、果ては両親でさえも軽んじていた。しか実際はもっと深刻で私は子供ながらにその送るべき人生を悲観し、疲弊していた。
 幸せの絶頂にいた家庭に水を差したくない。その思いだけで私は全て自分の中に放り込み、そして消化しようとした。
 誰にも言えない恐怖。いや日常化しすぎて生活の一部となったそのイジメの日々は筆舌しがたいものとなっていく。
 とにかく陰湿だった。無視や小突かれる程度の暴力はまだ序の口、彼等は私を犬のように扱う。裸にされ空き教室に閉じ込められる。給食の残飯や昆虫を口の中に放り込まれ、たまらず嘔吐するとそれすらも食べさせられる。数々の暴挙が公然と行われ、幼い私は精神を蝕まれていった。

続く

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