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『金獅子亭』本館/note版 総合目次
オランダ近世史―八十年戦争とナッサウ伯の軍制改革
the Eighty Years’ War, the Dutch States Army and the Counts of Nassau
『金獅子亭』は16世紀から17世紀のオランダの歴史を扱うウェブサイトです。
本館/note版の掲載内容はカテゴリ別になっています。
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note版: 各種レビュー・
乞食党のはなし/「ヘーゼン」と「ゴイセン」 ~教科書太字の歴史用語は、実は誤用かつ超短命の概念だった
八十年戦争期のオランダを勉強するにあたって、最重要な用語のひとつに「乞食(党)」があります。この用語については思うところも多いので、ここで詳しく項を設けました。
本館の記事はこちら(内容同じ)。
日本における「ゴイセン」の誤用オランダ史は日本では昔からマイナーでした。そのため、かならずしもオランダ専門家によって紹介されてきたわけではなく、特殊な用語の訳出やカナ表記が研究者によってまちまちだった
歴史小説(英語) "Prince and Heretic" / "William, by the Grace of God" ~歴史ロマンス?どちらかというと陰キャ女子による一方的且つ屈折した執着
個人的にはあまりおすすめしない内容です。…が、せっかく読んだのと、サイトごと消してしまうと自分用メモもなくなると思ったので、ログとして残しておきます。
当初5冊セットで安くKindleで買ったので「マジョリー・ボーウェンのオランダ五部作」として記事にしていました。いまこの5冊組では売っていないようです。ただ、いずれの書籍もパブリックドメインなので無料で読むことが可能です。
オランイェ公ウィレム
歴史小説(英語) "The Sea Beggars" ~恐怖政治と異端審問に翻弄され没落したブルジョワ一家の物語
個人的にはあまりおすすめしない内容です。…が、せっかく読んだのと、サイトごと消してしまうと自分用メモもなくなると思ったので、ログとして残しておきます。
著者: Cecelia Holland (著), Braldt Bralds (イラスト)
出版社: Amazon Services International, Inc.
発行年月: 1982/4/12
英語の少年少女小説に続き、大人向け歴史
ハーグ/デン=ハーフ The Hague/Den Haag オランダ/南ホラント ~共和国期からオランダの政治を司る歴史の中枢
※ 八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
ロイヤルシティのハーグ。正式には、デン=ハーフ(スフラーフェンハーヘ) Den Haag/ 's-Grafenhage。
ビネンホフビネンホフを、ホフフェイファー(「宮殿池」とも訳しましょうか…ビネンホフ横にある池のことです)の手前から写した写真です。 1593年から連邦議会が常設されており、現在も国会
デルフト Delft オランダ/南ホラント ~王家の旧邸宅と墓所を擁するオランイェ=ナッサウ家の聖地
※ 八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
デルフトは、ハーグと並んでオランイェ=ナッサウ家の聖地のようなもの。観光でも、デルフト焼やフェルメールと並んで、ロイヤルシティを目玉にしています。 現代はほぼフェルメール一色な気がしますが、実はデルフト市内にはフェルメール(寡作で有名)の作品は一点も無いのだとか。
新教会・旧教会※最終の訪問は2017年
ズトフェン Zutphen オランダ/ヘルデルラント ~教会とワイナリー、2つの塔が特徴的なコンパクトシティ
※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
エイセル川沿いの街。1572年にスペインの占領下に入り、1586年、イングランドからの援軍による奪還作戦は失敗します。デフェンテル同様に1587年、イングランド人将校ローランド・ヨークの内通によってスペインに売り渡された街です。1591年にナッサウ伯マウリッツが再占領
デフェンテル Deventer オランダ/オーフェルエイセル ~エイセル川と稜堡、現在も残る天然と人工の要害
※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
エイセル川に面した街。東部国境の要衝です。1578年に反乱軍が手にしたものの、ズトフェン同様に1587年、イングランド人将校ウィリアム・スタンレーの内通によってスペインに売り渡された街です。4年後の1591年にナッサウ伯マウリッツによって共和国に奪還されています。スペ
アムステルダム Amsterdam オランダ/北ホラント ~世界遺産でもある扇状の運河に囲まれた人工都市
※ 八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
オランダの首都。行政上の首都はハーグなので、アムステルダムは商業地に特化しています。これは17世紀当時から同じです。街自体がつくられたのは1200年代なので、ヨーロッパの中でも新しい部類の街に入ります。
I amsterdam City Cardというお得な観光パスがあります。詳細は下記のnote記事へ
ミデルブルフ Middelburg オランダ/ゼーラント ~侵略者に備えた円形の修道院を中心とした海洋都市
※ 訪問記は1996年8月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
訪問記の中で最も古い記録がこの記事です。1996年に訪問したほかの都市はそれ以降も訪れているので、この時期一度しか行っていないのはミデルブルフだけになります。デジタルデータのない時代なので、その後スキャンされた写真数枚しか残されていませんでした。
ゼーラントの州都。
ドルトレヒト Dordrecht オランダ/南ホラント ~八十年戦争の趨勢を決する二度の重要な決定が行われた港町
※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
ホラント州最古の都市。ランドマークの教会も12世紀からあります。15世紀の洪水で島になりました。現在もドルトレヒト島全体が市域です。
ドルトレヒト出身の画家アルベルト・カイプが地元の風景画を量産しています。八十年戦争が終わった直後くらいの1650年前後のものが多いで
クレンボルフ Culemborg オランダ/ヘルデルラント ~癒し系伯爵親子のお膝元は、街の形もなんとなくのんびりとしたデザイン
※ 訪問記は2014年6月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
ヘルデルラントのクレンボルフ伯領の街。ヘルデルラントには飛び地のような小さな貴族領地がたくさんありますが、ここもその一つでした。 「クレンボルフ伯」としての単独での称号は、ウィレム一世期のフロリス一世、そしてマウリッツとフレデリク=ヘンドリク期のフロリス二世親子二代だ
【番外編】ハウステンボス/長崎(2009年9月) ~経営再建直前、古き良きオランダの完コピ時代の記録
ユトレヒトの旅行記を書いていて、そういえばと思い出しました。2009年は春にオランダ、秋にハウステンボスに行ってたんですね。
表題のとおり、2010年4月のHIS社による子会社化半年前の2009年9月の訪問記です。それ以前に訪れたのは2002年10月。経営破綻(2003年2月)のやはり半年前です。経営陣には大変申し訳ないのですが、2009年は人が本当に少なくて、写真にほぼ人が入らない状態で撮れて
ユトレヒト Utrecht オランダ/ユトレヒト ~ハウステンボス(長崎)のランドマークのオリジナルたちに出会える街
※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。その他何度か行きましたが、ほぼ素通りに近いです。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
オランダのほぼ中央に位置する交通の中心地で一大商業地。が、街並は古く、新旧共存している感じです。八十年戦争でも、1579年に「ユトレヒト同盟」が締結された重要な場所。
鉄道の中心地でもあり、オランダのあちこちに電車で行
レーワルデン Leeuwarden オランダ/フリースラント ~17世紀を通じて独自の州総督を戴き続けた誇り高き州の州都
※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
オランダ北西部、フリースラント州の州都。独自の文化を持つフリース人の多い土地ですが、八十年戦争では、当初から「反乱」側で重要な役割を担い続けてきました。旧市街地は部分的に中世の色を濃く残した、州都としては小ぶりな印象の街です。
かわいいとウワサのフリースラントの州旗