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旅行記「八十年戦争の舞台を歩く」 ~オラニエ・ルート

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Walking the stage of the Eighty Years' War 八十年戦争期の舞台になったオランダ・ドイツ・フランス・ベルギーの街を旅した旅行記
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旅行記「八十年戦争の舞台を歩く」 ~オラニエ・ルート

旅行記その1の目次。 オラニエ・ルートとは オラニエ・ルートは、オランイェ=ナッサウ家と歴史的に結び付きのある、アムステルダム(Amsterdam)からシュヴェーリン(Schwerin)にかけての、オランダとドイツの街を結んだ街道です。 Oranje Route (蘭) Oranier Route (独) と表示します。ドイツの方が街の数も多く、観光にも力入れています。 ルート内またはロイヤル・シティの訪問記。 公式サイトはドイツ観光局です。 こちらはオランダ観

ハーグ/デン=ハーフ The Hague/Den Haag オランダ/南ホラント ~共和国期からオランダの政治を司る歴史の中枢

※ 八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 ロイヤルシティのハーグ。正式には、デン=ハーフ(スフラーフェンハーヘ) Den Haag/ 's-Grafenhage。 ビネンホフビネンホフを、ホフフェイファー(「宮殿池」とも訳しましょうか…ビネンホフ横にある池のことです)の手前から写した写真です。 1593年から連邦議会が常設されており、現在も国会議事堂にあたる建物です。ナッサウ伯マウリッツとその従兄弟たち、オルデンバルネフェ

デルフト Delft オランダ/南ホラント ~王家の旧邸宅と墓所を擁するオランイェ=ナッサウ家の聖地

※ 八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 デルフトは、ハーグと並んでオランイェ=ナッサウ家の聖地のようなもの。観光でも、デルフト焼やフェルメールと並んで、ロイヤルシティを目玉にしています。 現代はほぼフェルメール一色な気がしますが、実はデルフト市内にはフェルメール(寡作で有名)の作品は一点も無いのだとか。 新教会・旧教会※最終の訪問は2017年10月です。その他新教会は、2014年、2009年、2005年、1996年にも訪

歴史再現イベント『ブレダ・ナッサウの日 Nassaudag 2014』 ~ロイヤル・シティの軍学校の、年一回だけの一般公開日を狙え

※ 訪問記は2014年6月時点の情報です。それ以前にも複数回訪問歴あり。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 ハーグ、デルフトに次ぐ、おそらく第三位のロイヤルシティ。しかしそのどこよりもナッサウ・シティを標榜しています。街の各所に関連するものを見ることができます。 Breda Nassaustad「ナッサウ家の街」を前面に押し出してプロモーション中のよう。訪れた2014年は 「第5回ブレダ=ナッサウの日 Breda Nas

レーワルデン Leeuwarden オランダ/フリースラント ~17世紀を通じて独自の州総督を戴き続けた誇り高き州の州都

※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 オランダ北西部、フリースラント州の州都。独自の文化を持つフリース人の多い土地ですが、八十年戦争では、当初から「反乱」側で重要な役割を担い続けてきました。旧市街地は部分的に中世の色を濃く残した、州都としては小ぶりな印象の街です。 かわいいとウワサのフリースラントの州旗。赤いのでハートと思いきや、「ポンペブレデン」と呼ばれるセイヨウコウホネ(スイレ

ヘット・ロー宮殿 Paleis Het Loo オランダ/アペルドールン ~オランダ王室の宝物庫、隣接の騎士団博物館の財宝も必見

※ 訪問記は2017年10月時点、改装前の情報です。2023年以降のリノベ後には展示室の内容などは変わった可能性があります。 ヘット・ロー宮殿 Paleis Het Looオランイェ公ウィレム三世の別荘として建てられた宮殿。八十年戦争期には存在していなかった建物です。ウィレム三世以降、オランイェ家の宮殿として使われ続け、今は外部公開もされています。正直、八十年戦争期の収蔵品は薄いだろうと思っていたのですが、ここはオランイェ財団の本拠地でもあるため、逆にとんでもない品ぞろえで

ディレンブルク Dillenburg ドイツ/ヘッセン州 ~オランダ王室に連なる偉大な政治家・軍略家を続々輩出した山間の小さな木組みの街

※ 訪問記はかなり前、2003年10月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 ディレンブルク公式サイト。このページから「Oranienstadt Dillenburg」という地図のPDFがダウンロードできますが、若干やる気ないというかかなりシンプルですね。 現在のオランダ王家、オランイェ=ナッサウ家の父祖の地。街の中心の小高い丘の上にあり、ランドマークなのがディレンブルク城です。正直ここくらいしか観光名所はあ

ジーゲン Siegen ドイツ/ノルトライン=ヴェストファーレン ~新旧教で真っ二つに割れた御家を象徴する「上の舘」と「下の舘」

※ 訪問記はかなり前、2003年10月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 日本の年末の風物詩、ベートーヴェンの『第九』。第四楽章が「合唱」パート、その歌詞に頻繁に登場する「Siegen」は、とくに第七変奏の行進曲風テノールソロで目立ちます。「勝利」という非常に縁起の良い意味を持つ街ジーゲンですが、少なくとも17世紀においてはやや数奇な運命をたどっています。 ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン七世の本拠地。ヨーロッ

オランジュ Orange フランス/ヴォクリューズ ~オランダ王室の源流となる南仏世界遺産の街

※ 訪問記は2014年6月時点の情報です。 以前は英語版の市公式観光局サイトがあったのですが、今は仏語版しかないようです。英語版は下記のプロヴァンス州のサイトから。 正式には「オラニエ・ルート」ではないのですが、オランイェ家の名前のもとになった重要な街(もとは公国)です。 オランジュ(仏) ディレンブルク(独) ディースト(白) ブレダ(蘭) の4都市は、姉妹都市とはまた別の独自の提携を結んでいて(個別に姉妹都市になっている街同士もあります)オランイェ家つながり

ドルトレヒト Dordrecht オランダ/南ホラント ~八十年戦争の趨勢を決する二度の重要な決定が行われた港町

※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 ホラント州最古の都市。ランドマークの教会も12世紀からあります。15世紀の洪水で島になりました。現在もドルトレヒト島全体が市域です。 ドルトレヒト出身の画家アルベルト・カイプが地元の風景画を量産しています。八十年戦争が終わった直後くらいの1650年前後のものが多いです。(1658年の結婚後はあまり絵を描かなくなってしまったとか。)他の都市よりも

アムステルダム Amsterdam オランダ/北ホラント ~世界遺産でもある扇状の運河に囲まれた人工都市

※ 八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 オランダの首都。行政上の首都はハーグなので、アムステルダムは商業地に特化しています。これは17世紀当時から同じです。街自体がつくられたのは1200年代なので、ヨーロッパの中でも新しい部類の街に入ります。 I amsterdam City Cardというお得な観光パスがあります。詳細は下記のnote記事へ。 ビネンスタットと呼ばれる旧市街地には、オランダ東インド会社本部のほか、過去

ミデルブルフ Middelburg オランダ/ゼーラント ~侵略者に備えた円形の修道院を中心とした海洋都市

※ 訪問記は1996年8月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 訪問記の中で最も古い記録がこの記事です。1996年に訪問したほかの都市はそれ以降も訪れているので、この時期一度しか行っていないのはミデルブルフだけになります。デジタルデータのない時代なので、その後スキャンされた写真数枚しか残されていませんでした。 ゼーラントの州都。オランイェ=ナッサウ家では、ミデルブルフと隣り合っているフェーレとフリシンゲンの

スヘーレンベルフ 's-Heerenberg オランダ/ヘルデルラント ~「低地地方 Nederland」にしてはめずらしい「山 Berg」の名を持つ無骨な城の街

※ 訪問記は2014年6月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 オラニエ・ルートに含まれるオランダ都市のひとつ。ヘルデルラントの封地のなかでも南ネーデルランド・ヘルデルラント州の州総督を務めたファン・デン=ベルフ伯の領地です。貨幣の鋳造地でもありました。 's-Heerenbergの意味は、「領主の山」。's-Gravenhage(ハーグ、スフラーフェンハーヘ:伯爵の領地)や's-Hertogenbosch

オラニエンブルク Oranienburg ドイツ/ブランデンブルク ~四姉妹が建てた四つの「オレンジ」を冠する宮殿、その長女の街

※ 訪問記は2012年10月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 ドイツ観光局公式サイト(蘭語) Oranienburg: fraai paleis vlakbij Berlijn 宮殿前のルイーゼ=ヘンリエッテ像 ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ一世ヴィルヘルムが妻のルイーゼ=ヘンリエッテ・ファン・オランイェ(オランイェ公フレデリク=ヘンドリクの長女)に贈った街。 オランイェ公フレデリク=ヘンドリク