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ドルトレヒト Dordrecht オランダ/南ホラント ~八十年戦争の趨勢を決する二度の重要な決定が行われた港町

※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。

ホラント州最古の都市。ランドマークの教会も12世紀からあります。15世紀の洪水で島になりました。現在もドルトレヒト島全体が市域です。

ドルトレヒト出身の画家アルベルト・カイプが地元の風景画を量産しています。八十年戦争が終わった直後くらいの1650年前後のものが多いです。(1658年の結婚後はあまり絵を描かなくなってしまったとか。)他の都市よりも水辺の風景が多く、マース川沿いの港として栄えた様子がわかります。

ドルトレヒトは、八十年戦争の期間中、二度の重要な役割を果たした都市でもあります。

訪れた2009年はちょうど一帯が整備中で、外回りしか見れませんでした。


第一回自由連邦議会 Eerste Vrije Statenvergadering

1572年7月19日-23日。ホラント州の11都市が集まり、オランイェ公ウィレム一世を自らの州のスタットハウダー及び陸海軍総司令官と認めた歴史的会議。通常スタットハウダーは、主権者である国王(この場合フェリペ二世)に任命されるものですが、ここでは州議会が自らその役割を果たしました。この写真が、その会場となったホフ Hof です。

なお、このホフですが、のちにナッサウ伯たちの居館のひとつとしても使われました。オラニエ・ルートのひとつに数えられている理由はそれもあるのかもしれません。

写真を撮った時点でホフ周辺は整備中で、ドルトレヒト博物館も2009年は閉館中とのことでした。この一帯の整備計画と思われる図も掲示してありました。

現在のドルトレヒト博物館のサイトはこちら。

別にドルトレヒト美術館もあります。サイトも双子っぽくよく似てますが、こちらはミュージアムショップの通販とかもしているみたいです。

コレクション一覧はまた別のページ。


ドルトレヒト宗教会議 Dorts Synode

1618年11月13日-1619年5月29日。最初の会議は聖母教会(後述)で行われたそうですが、期間中に会議が180もあったとのことなので、複数の場所で開催されたかもしれません。

この写真は教会にあるジオラマ?ミニチュアモデルとか。

この会議で制定された『ドルト信仰基準』は、その5つの特質の頭文字をとって『TULIP』と呼ばれています。おぼえやすいですね。

さらに、この宗教会議でオランダ訳聖書(Statenvertaling)の制定が決議され、1611年のイングランドの欽定訳聖書をベースに、約20年後の1637年に公刊の運びとなっています。

Paulus Aertsz. van Ravensteyn (1637) オランダ訳聖書


聖母教会 Onze Lieve Vrouwe Kerk

(公式サイトは英語ページはコロナ以降あまり更新されてないぽいのでオランダ語版リンクです)

この教会の写真を撮ってあったので行ったのは確実なんですが、実はほとんど覚えていません。…と思ったら、教会に行ったのは1996年でした。ドルトレヒトには二度行っていて、1996年に教会側、2009年にホフ側だけ訪れたようです。

オランダの教会はけっこうこのタイプ多いのですが、塔の表と裏では見た目の印象がけっこう違います。


アクセス

これはホフの位置。教会はかなり左端のほうです。

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