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旅行記「八十年戦争の舞台を歩く」 ~共和国の「庭」

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Walking the stage of the Eighty Years' War 八十年戦争期の舞台になったオランダ・ドイツ・ベルギーの街を旅した旅行記
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旅行記「八十年戦争の舞台を歩く」 ~共和国の「庭」

旅行記その2の目次。 共和国の「庭」とは R.Fruinが名づけた「十年 Tien Jaren」は、八十年戦争下の1588-1598の十年間、オランダ側が完全攻勢な一連の攻囲戦争の時期を指します。東部・北部・南部の諸都市をスペインから奪還し、共和国の傘下におさめました。これをオランダでは、共和国の「庭」を囲む de tuinen van de Republiek te sluiten と表現します。「庭」内の街の訪問記。 この表現は当時からあったようで、ナッサウ伯マウリ

歴史再現イベント『フロールの戦い (1627) Slag om Grolle』オランダ/フルンロー ~現存する城塞都市で開催される17世紀模擬戦闘

オランダ、ヘルデルラントの片隅にあるフルンローの街で数年に一度、不定期に開催される10月の一大歴史再現イベント。日本でいうと関ケ原合戦祭りとか相馬野馬追とかみたいなものですね。八十年戦争、オランイェ公フレデリク=ヘンドリクのフロール攻囲戦(1627)をモチーフにしています。 10年越しの念願が叶い、観戦できたのは2017年の第6回。 「フルンロー Groenlo」ってどこ?オランダ国内ヘルデルラント州の小さな街です。フロール Grol とも呼びます。『金獅子亭』内でも、

アルンヘム Arnhem オランダ/ヘルデルラント ~「遠すぎた橋」を展望する教会で、ナッサウ伯たちの若き死を悼む

※ 訪問記は2017年10月時点の情報です。それ以前にも複数回訪れています。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 Jan van Goyen (1644) アルンヘムの風景 ヘルデルラント州の州都。「アーネム」と英語読み表記されることも多いようです。というより、電車の社内放送でも「アーネム」と聞こえますし、現地の人に「アルンヘム」と言ってみても「アーネム」と言いなおされたりしますね。このサイトでは『講談社オランダ語辞典』に

ネイメーヘン Nijmegen オランダ/ヘルデルラント ~「オランダ最古の都市」で無名の英雄の最期に思いを馳せる

※ 訪問記は2014年6月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 公式サイトは市のサイトと観光サイトと完全に分離しています。こちらは観光サイト。英語読みで「ナイメーヘン」とも。 ワール川に面し背後にはマース川、ドイツ国境にも隣接した要所。ローマ時代からある古都でもあります。「オランダ最古の都市」を謳っています。1579年のユトレヒト同盟に参加したものの、いったん1585年にパルマ公ファルネーゼにより占領。15

フロニンゲン Groningen オランダ/フロニンゲン ~近代的な駅前に対して、政治の中心部は17世紀の立地と趣そのまま

※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 北東部フロニンゲン州の州都。北の大都市で、強固な要塞都市。現在も大きな街のひとつで、日本でいうと札幌のような立ち位置だと思います。 フロニンゲン州は1579年の「ユトレヒト同盟」のうちの1州でしたが、早くもその翌年の1580年に「レンネンベルフの背信」と呼ばれる出来事により、スペインに帰順します。1590年代、何度か攻囲が試みられて断念が続いた

ユトレヒト Utrecht オランダ/ユトレヒト ~ハウステンボス(長崎)のランドマークのオリジナルたちに出会える街

※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。その他何度か行きましたが、ほぼ素通りに近いです。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 オランダのほぼ中央に位置する交通の中心地で一大商業地。が、街並は古く、新旧共存している感じです。八十年戦争でも、1579年に「ユトレヒト同盟」が締結された重要な場所。 鉄道の中心地でもあり、オランダのあちこちに電車で行こうとするとこの駅での乗り換えが非常に多くなります。そのため時間つぶしで駅ビルで

レイデン Leiden オランダ/南ホラント ~1575年、一年の籠城に耐えた街にはオランダ最古の大学が建設される

※ 訪問記はかなり前、2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 日本では「ライデン」と表記されることが多いようです。 八十年戦争の中でも前半のハイライト、1573年10月-1574年10月3日の攻囲戦争で有名。レイデンの街は約1年に渡りスペイン軍の攻撃に晒され籠城していました。飢餓の中、市民は耐えて、最終的には洪水によってスペイン軍を撃退しました。これは偶然の自然現象だったとはいえ、前年のアルクマ

スヘルトヘンボス ‘s-Hertogenbosch オランダ/北ブラバント ~運河沿いの17世紀の建物に当時の面影を見る

※ 訪問記は2014年6月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 略して「Den Bosch(デン・ボス)」と呼ばれることのほうが多いようです。 オランダの街はどこも平地ですが、この近辺はとくに池などの水域が多いです。上記の旧市街地の部分はそうでもありませんが、周囲には広大な池や公園などがたくさん存在しています。(電車の車窓から見ている分にはあまり水回りの存在は意識しませんでしたが。) Pieter Sna

ザルトボメル Zaltbommel オランダ/ヘルデルラント ~低地地方初代元帥の小綺麗かつこじんまりとした館

※ 訪問記は2014年6月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 マース川とワール川に挟まれたヘルデルラントの要地。八十年戦争期には、市独自にスペインからの自治を宣言して「反乱」側に与しました。そのような経緯もあり、オランイェ公ウィレム一世の頃からこの街の防備の必要性は認識されていて、アドリアーン・アントニースゾーンの監修且つナッサウ伯マウリッツの助言によって近代要塞化が勧められました。ヨハン・ファン・オルデン

クレンボルフ Culemborg オランダ/ヘルデルラント ~癒し系伯爵親子のお膝元は、街の形もなんとなくのんびりとしたデザイン

※ 訪問記は2014年6月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 ヘルデルラントのクレンボルフ伯領の街。ヘルデルラントには飛び地のような小さな貴族領地がたくさんありますが、ここもその一つでした。 「クレンボルフ伯」としての単独での称号は、ウィレム一世期のフロリス一世、そしてマウリッツとフレデリク=ヘンドリク期のフロリス二世親子二代だけのものです。その後ヴァルデック伯家に統合されています。現在クレンボルフ伯の称号

ズトフェン Zutphen オランダ/ヘルデルラント ~教会とワイナリー、2つの塔が特徴的なコンパクトシティ

※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 エイセル川沿いの街。1572年にスペインの占領下に入り、1586年、イングランドからの援軍による奪還作戦は失敗します。デフェンテル同様に1587年、イングランド人将校ローランド・ヨークの内通によってスペインに売り渡された街です。1591年にナッサウ伯マウリッツが再占領。1591年以降の一連の攻勢の、第一番めの都市となりました。 ズトフェン攻囲戦

デフェンテル Deventer オランダ/オーフェルエイセル ~エイセル川と稜堡、現在も残る天然と人工の要害

※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 エイセル川に面した街。東部国境の要衝です。1578年に反乱軍が手にしたものの、ズトフェン同様に1587年、イングランド人将校ウィリアム・スタンレーの内通によってスペインに売り渡された街です。4年後の1591年にナッサウ伯マウリッツによって共和国に奪還されています。スペインの占領地を次々再奪還していった「マウリッツの『十年』」の、皮切りとなった街の

アントウェルペン Antwerpen ベルギー/フランデレン ~ナッサウ伯マウリッツの「弟」、画家ピーテル・パウル・ルーベンスの故郷を歩く

※ 訪問記は2014年6月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。 王立博物館が2017年まで長期改修中ということもあり、この訪問時は2泊したにも関わらずばっさり諦めた街です。空き時間(教会の開館時間外)で散歩した程度です。 ノートルダム大聖堂とルーベンス像 In Wikimedia Commons (CC-BY-SA-3.0) とりあえず、ルーベンス関連にしぼって歩いてきました。2014年の旅行のコンセプト

【番外編】ハウステンボス/長崎(2009年9月) ~経営再建直前、古き良きオランダの完コピ時代の記録

ユトレヒトの旅行記を書いていて、そういえばと思い出しました。2009年は春にオランダ、秋にハウステンボスに行ってたんですね。 表題のとおり、2010年4月のHIS社による子会社化半年前の2009年9月の訪問記です。それ以前に訪れたのは2002年10月。経営破綻(2003年2月)のやはり半年前です。経営陣には大変申し訳ないのですが、2009年は人が本当に少なくて、写真にほぼ人が入らない状態で撮れてありがたかったです。 ハウステンボスの建物はすべてオランダ本国にオリジナルがあ