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325.後悔や反省なんてしないよ!あなたなんて嫌いなんだもの!

1. 自分のペースを取り戻す


 結果として人のペースに合わせてしまうということは、自分のペースでは生きていないことになるような気がする。

coucouさんはね、そんなことを繰り返し続けた時代が長かったけれど、それで結果は何も残らなかった。(あくまでもcoucouさんの場合だよ)

相手に合わせて生きる場合、
合わせなければ理解されない人と、
合わせなくとも理解してくれる人に分けることができる。

後者の「合わせなくとも理解してくれる人」が本当の大切な存在で、「合わせなければ理解されない人」は必要のない人かもしれないと思うんだ(仕事は別だけど、我慢、我慢…)。
それだけ無理をして合わせなければならないのだから、
それで離れていく人はそれまでの人だと思うようになった。
 
こんなことをcoucouさんだけでなく、いつも我慢して付き合う人がいることがわかった。特に仕事や会社内、同僚などは選ぶことができないもんね。

でも、それでも自分のペースを守り続ける事で、相手が合わせてくれる場合もある。
これは綱引きのように、どちらかが合わせなければ人間関係は成り立たないからだね。問題は自分に対して無理やり我慢をさせ続けてしまうことなんだよ。

「もう、人に合わせて生きたくない」
「どうしても合わせてしまう」
「人に合わせすぎてしまう」、
と、思ってはいても、こんな背景には過剰に相手を意識し過ぎ、
自分が常にどう思われているかが気になってしまう恐れも出てきてしまう。

すると、さらに、相手の態度や反応が気になり、
自分が精神的に不安定となり、
「自分に対する加害者」になってしまうんだよ。

だら、自分のペースというのはとても大切な行動となる気がする。
 
まず、自分のペースで生きるためには、
「考えすぎない」
「無視する」
「嫌われてもいい」
「良く思われなくていい」
、という呪文(勇気ではなく覚悟)が必要になる。
自分のことを気に入らない人は、その場の態度や口のきき方で感じるはずだよね。言い方が「冷たかったり…」「嫌味ぽく言ったり」「馬鹿にするような口の言い方」などのこと。
そう、不快感があれば、その不快感を我慢したりする必要もないさ。
だって、失礼なことだからね。(自分も気を付けながら)

それがなければ、勝手に妄想して考え込む必要はないと思うんだ。
(自分がどう見られているかは相手の態度で判断する、それ以外は妄想、事実でない)

問題は、このような相手の態度や言動の解釈の仕方次第ですね。
 
つまり、相手のことを考えすぎないことなんだ。
でもね、大したことではないのに相手の態度が悪かったり、
不機嫌な対応で答えるならば、
人間関係だけでなく仕事でも距離を置く必要がありますね。
 
私たちは人に不機嫌や不快を与えたくないと考えがちだけど、相手に合わせすぎると不安が増大してしまう恐れがある。
人に合わせると「深読み」しすぎる場合も多分にあるけれど、相手の態度や対応(例えば笑顔)で判断ができる。

本当の事実は言動や、態度に現れるものだからね。
 
また、人に合わせすぎる人の共通点って、
「人を信用しない」
「人を信用できない」、
という〈人間不信〉があるからなんだよ。

だって、相手を信用しているならば、何も不安なんか起こらないもの。

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.  後悔や反省をしない


 
coucouさんはね、いつも、いつも後悔と反省ばかりしていた。

それは、
「あのときにあんなことを言ってしまった」
「ああ、こういえば良かった」と後悔しながら、ごく自然に自動的に自分に対して答えを求めようとした(自分に対する言い訳だね、きっと。)

でも、いつも脳が勝手にそう考えさせてしまうんだ。

そして、実際には大きなことではないけれど、
その深読みが、頭の中を混乱させてしまい冷静な判断ができなくなるんだ。そして、何の答えのないまま不安定な気持ちが続く。(深く、落ち込む…)

こう考えると不思議なもので、相手が何を考えようとも自由なはずなのに、そう思われたら嫌だ、という自分勝手な都合なんだよね。
 
そして、まったく、「人を信用することのできない」結果となるんだ。
 
相手に不快な思いをさせたかも知れない、
相手を怒らせたかもしれない、
と感じてしまう。
そして後悔や反省をしてしまう。

でもね、どうしてそう感じてしまうの?
反省や後悔って、すればするほど終わりがなくなるものなんだ。
 
このような場合の解決方法は、coucouさんは、思い切って、
「後悔しない」「反省しない」ことにした。

その理由は心の中(脳内)に〈すべての責任は自分にある〉という癖があるんだ。それがどうしても取れない…。
だから、その癖をなくすためには中途半端な後悔や反省はやめることにした。(もう~誰のせいでもない)

このまま、永遠に悩み続けていたら、さらに、日々の後悔癖、反省癖は自己嫌悪がひどくなると思ったんだ。
 
そして、後悔や反省はしないけれど、
「少しだけ視点を変える」、
ことによってこのような問題から逃れられるようになった。
 
例えば、仕事を休んだら他の人に迷惑をかけてしまう、
だから無理してでも頑張る。
頑張らないと嫌われてしまうし、
怒られる。
何よりも信用がなくなる、とありとあらゆることを考え込んで蟻地獄に陥る。
もちろん、仕事を大切にしているからこそ、責任感もあるのだから、別に悪い事ではないさ。

ただ、そのことが過剰となり、
悪く思われたくない、
嫌われたくない、と考え込む自分勝手な妄想状態は誤りを直さなければって、思うんだ。
 
もし、自分ではなく他の同僚が調子を壊して、仕事を休みたいと考えていたとしたら、あなた自身はその人にどう声をかけるの?
果たして怒るの?
それとも、嫌う?

おそらく「しっかりと身体を休めて」「無理をしないで」と伝えるよね。
このように何もかも悪く考えてしまう、否定的に考えてしまう、嫌われると感じることが、相手の立場に立って考えれば簡単に自分を許せるようになるはず。
自分のこととなると、体調が悪くても、なかなか言えない…。
申し訳ない、悪いね、と考えてまう。

でもね変だよね。
人のことは心配していえるのにね、
自分の場合はいい辛くなるんだ。

「体調が悪いので仕事を休みたい…」という関係は、信頼関係がないと頼みづくなってしまう。相手から許されないと思い込んでしまう。

こんな関係が続くと、相手を増々、信用できなくなっってしまいますね。

つまり、自分のことを正直に伝えられる関係は、信頼関係があるからで、その関係になれば、相手をそう信用できるようになる。
このように、自分を俯瞰的に客観視できれば「人に合わせる癖」が減るような気がします。
 
このように自分を信じる事ができないと、勝手な妄想に振り回され自分を失い、精神的なダメージが残るようになり、結果、自分が自分の首を絞めているかのようになる恐れがあるんだよ。


©NPО japan copyright association Hiroaki

3.  冷たい人々


 
最近、coucouさんはね、さらに人に嫌われようか、と真剣に考えているんだ。
ただし、一生懸命に考えたり何かをして上げたことに対して当たり前、又は勘違いされたり、威張られた場合の相手だけね。

困ったときはcoucouさんのところへ何度も足を運び、それが終われば連絡すら寄こさない。それでもかまわないのだけれど、こちらの都合なども考えもせず一方的な相談を持ちかけてくる。
これは、coucouさんの仕事柄もあるのかも知れないけれど、それでもcoucouさんは全知全能、全力を傾けて助言し、行動する。

でも、大概の人は、喉元過ぎれば熱さ忘れず、かもしれないけど、我関せずというように、その後を心配しているcoucouさんに、連絡もしてくれない…。(うまく、役立ってくれて、無事であればいいのだけれど…)

だからね、coucouさんはね、
このような人たちには嫌われ続けたい、
と思うようになったんだ。

(いや、嫌われているのかも)

好かれているから、相談に来るのではなく、信頼しているから来るのではなく、coucouさんって、便利だもんね…。
(好きな人なら、大切な人なら、普通は大事にされるはずたよね?)

きっと、相談しやすくて楽なのかもね…。

だけどね、そんな奴は嫌いだ!
こちらから、嫌ってやるのさ!

また、そのような人間性の人だと見抜けずにお付き合いしたんだから、全部の非は自分にある、だからといって、そのことで、悔やむことも、後悔も反省もする気もない。

coucouさんはね、心から尊敬できる、
心の優しい人たちだけを大切にしていけば良いと思うようになった。


 
相談者の中に、こんな二通りの人たちがいた。
一人はcoucouさんにお礼をしたいと、高級な店(女性のいるクラブ)に連れて行き数十万円を使ってもてなしてくれた。
(彼はcoucouさんの情報(アイデア)によって数千万円を儲けた)

でもね、coucouさんには喜びなんてないよ!

数十万円を一晩で使うのなら、coucouさんに1万円でも渡してお昼ご飯でもごちそうすれば良いのだから。それに、今時、高級クラブなど楽しくないし、流行らないと思う。
(相手を間違えているよ、いや、coucouさんがね…)



 
もう一人は、coucouさんに助けてもらったお礼ということで、100万円の現金を渡そうとした。coucouさんはお金をもらうためにお手伝いしたのではないので丁重にお断りした…。

すると、そのときに「困っているんでしょう?」
、と言ってレストランのテーブルに、現金入りの封筒を差し出した。

coucouさんが、受け取りを拒否すると、
逆に必死になってcoucouさんのポケットに入れようとする。

coucouさんはムカついていた。

心の中は怒りでいっぱい…。

coucouさんはテーブルにお金を置いたまま、その女性を置いて店を後にした。(後にその話を友人にしたら、笑われた…。俺ならもらって、あばよをするよ、と)

だけどね、なんと配慮のない心冷たい人なのだろう、困っていたのは、あんたじゃあないか!

酷い言葉のお礼だった…。

coucouさんは悲しくなった。

(あ~またまた自分が悪い~)

©NPО japan copyright association Hiroaki


 
coucouさんはいろんなところでコンサルをしている。
当然、仕事だからお金もいただきますし、相手によっては一銭ももらわないボランティアもたくさんある。(人生はすべてトータルで考えればいい、と思う)

だから、仕事柄、このようなことは日常茶飯事なんだけれど、これがきっかけで、coucouさんは、悔やまず、後悔も反省もせず、こんな人とは、つき合いを絶つことにした。


 
世の中には絶対に自分が正しい、
と思い込んでいる人が多いようですね。

でも、本当の「正さ」というのは何なの?
本当に正しい事などはあるの?

「正しさ」は主観的なものが多く、誰もが自分が正しいものが正しくて、自分が間違いだと思う事が間違いだと考えてしまう。

でも、その正しさを、よくよく考えてみると、
正しさにはいつも二面性のあるもので、
「自分にとって正しいもの」と、
「相手にとっての正しさ」の二通りあるもので
、相手によって、人によって、
考え方によって正しさは変わってしまうことがわかる。
(常識も同じだね)

また、正しさの押しつけは争いが生じるくらい、
正しさには矛盾を秘めている。
だから、自分が正しいと思っていても、
それは誤りかもしれないのかもね。
 
本当の正しってね、
「優しさが感じられるもの」の中にしかないんだよ!
この二人には温かさや優しさが感じられない人たちだった。

coucouさんは、もう、そんな人たちからは、
あえて嫌われるように仕向けている。

そう、決して合わせてはいけない人たちだからね。

その人たちは、自分の都合で人を利用しようと考えている。
相手の都合などお構いなし、喉元過ぎれば熱さを忘れてる人たち。
そのような相手と付き合ってしまった自分を、恥るけれど、そのことにも後悔や反省はしないよ。

ただ、嫌われて離れれば良いのだから。
 
coucouさんは日々、様々な事を頼まれる。
頼まれることが仕事だと喜んでしている、
でも頼まれない事もやり続けている。
だけど、当たり前の関係になるのなら自然に離ようと考えている。

人間関係は、親子でも友だちでも、彼女や妻であっても、当たり前の関係にはなってはいけないもの、そして、感謝し合う関係、配慮できる関係のある人間関係だけが「幸せ」や「喜び」、「楽しさ」や「感動」を感じることができるものだからね。

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人間ってね、人の優しさで動くもの。
いや、動かされるものかもしれない。

それには満足感や充実感が残るもので、とても幸せ感を感じるものさ。
後味の悪い関係には、互いの信頼や合わせ合う、という関係の中にあるような気がする。
 
人に合わせる人の特徴は、自分に我慢させる訳だから、
自分に嘘をつく、
相手に嘘をついている状態のことをいうんだ。

本当は、自分にとって、「いい人」は嘘つきかもしれませんね。
 
『シカゴ・トリビューン』紙のAlexia Elejalde-Ruizは、人間は「いい人」だと思われたくて、物事を肯定し、従順に、礼儀正しくいようとする傾向がある、と指摘している。実際、助けたい人にウソをつき、リラックスや自己実現から自分自身をごまかしているのだという。

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coucouさんです。ごきげんよう!

毎日、毎日、人と会う。
これが、coucouさんの現在の仕事。

毎朝、今日はどんな人と会って、どんな話となるのか、実は楽しみにしている。だって、こんな、こんなcoucouさんが人の助けになったり、役に立つなんてこんなに嬉しいことはない。

でもね、みんながみんな心温かく、優しいわけじゃあない!
中には威張る人もいる。
自慢話の人も多い。
話を聞いているだけで、
coucouさんのエネルギーを全部吸い取る人もいる。

その中でひとりだけ、変な女性がいる。

彼女は70歳代の女性。
もう、40年近くおつきあいしている友人の一人だが、
coucouさんは「くされ縁」だと思っている。

何度も、何度も突き放すのだけれど、
ケロッとして遠慮なく人の心に入り込む、失礼な女性だ。

確かに、「くされ縁」も縁の一つだから、大事にしているのだけれど、coucouさんは会うたびに彼女を怒る、
温厚なcoucouさんでも怒鳴るときもある。

それは、あまりにも心配な時だけれど、
感情的に怒ったりしない。(いつも、危なっかしい…やばい女性なんだ)

そして、いつも「相談したいことがある」という言葉に騙されて傾聴しているようなことになる。そのたびに騙された、と思い怒ってやるんだ。
(相談ではなくて他愛なことばかり…)

だが、彼女は決してへこたれない。
「そんなことは旦那に相談しなさい…」とまでcoucouさんは怒りながらいう。

coucouさんにしてみれば彼女でも愛人でもない、ましてや旦那でもない、プライベートな相談事の傾聴ばかり、
そして話し終わると、嬉しそうに勝手に帰ってしまう。

何と、身勝手…。


ある日、どしゃ降りの日に、どうしても会って話したい、1分でいいからといい、会うことにした。
すると、泥んこの大根を畑から採って来た、
そして、coucouさんの車に強引に積み、確かに1分で帰った…。

とても不思議な友人だ!

いつでも切れるくされ縁、
なかなか切れない、くされ縁ってあるんだね。

coucouさんは、何度も何度も、後悔と反省をしている…



ここまで、おつきあい、ありがとう!

noteの世界って、文章の「傾聴」みたいだね。



coucouさんの、他愛もない話をみんなも、

聴いてくれて、ありがとう!

また、あしたね~





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