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好きなことが分からない

日曜日おはようございます。皆さんは、「好きなことやものは何ですか?」と聞かれて答えられますか?

私には、よく分かりません。好きなことも、好きなものも。

書くことは好きなのか、と言えばそれもよく分からなくなってきました。書くことは苦痛ではないし、ただ書いているけれど、それは好きで書いているのかって聞かれたから、正直自分でもよく分かりません。

思えば、私は小学生の頃から、昔から、芸能人やアイドルなど特定の人を好きだということができず、周りの会話に入れないでいました。「誰が好きなの?」と聞かれても、私の頭の中は、はてなでした。この人が好きとはっきり言える人が羨ましかったです。そう言っている人は私から見たら、とてもキラキラと輝いてみえました。

趣味は何かと聞かれたら、読書と答えています。でも、これに関しても忙しかったりしたら読めないし、全く読む気分にならない時だってあります。ぶっちゃけ、本がなくても生きてはいけるんだと思います。別に好きなものが全部そういうわけではないですよね。これが好きで、ないと生きていけないわけじゃないけれど、自分の暮らしを楽しいものにしてくれるから好きなんだ、という人もいるような気がします。

それでも、私は小さい頃から、好きといえるものがないことに少なからず劣等感を抱いて生きてきました。好きなものは何かと聞かれると、本当に困ります。逆に、嫌いなものはあるのか、と言ったらそれもあやふやな気もします。私は、感受性豊かだと言われつつも、その一方で何も感じないようにできているのでしょうか。そうだとしたら、幼少期からのいじめで、自分を守るためにそうなってしまったような気もします。

好きな食べ物も分かりません。服なら、なんとなく好きなジャンルはあるけれど、それじゃないと駄目なのか、と言われればそういうわけではないと言ってしまいそうな自分がいます。音楽も、特定のアーティストを好きだなあと思うことは少ないように思います。たまに、好きだなと思って何回か同じ曲を聞いたりするけれど、それで終わりです。深追いすることはありません。

勉強に関しても、ただ私は他の人よりは勉強しているということに気が付いて、勉強が好きと言っているだけで、本当のところは勉強が好きなのかも分かりません。そもそも、楽しいっていう感覚ってなんだろうと思ってしまいます。これに関しては、幼少期の環境が原因のような気もします。幼少期、何も考えずに外で遊んでいる時は確かに楽しかった。でも、いじめを経験してからは、色々なものに対して感覚が鈍っていって、楽しいってなんだろう、と思うようになってきました。いじめをする人がその場にいると、色々なことが楽しめないようになってゆきます。いつまでも過去に縛られて引きずられているのはかっこ悪いと思いつつも、いまだに何かを思いっ切り楽しむことができていないという現状が今ここにあるので、どうしても、原因を探ろうとしたら、過去にいってしまうのは仕方のないように思います。

家族や恋愛、友達に関しても同じです。私は、割と色々な人と仲良くなれるらしく、大学に入っても、「え、あの子とも知り合いなんだね」と度々驚かれることもあります。そう思うと、私の周りには色々なタイプの子がいるように思います。たまたま、席が近かった、グループが一緒だったとかで知り合うきっかけがあって、それで仲良くなっただけの話ですが。あとは、私から、話しかけたり、遊びに誘ったりすることが多かったので、そのおかげで、友達は多い方なんだと思います。友達のことは好きだけれど、でも、好きだからその子と友達になったというよりかは、友達との出会いは本当にたまたまだったと思ってしまう自分もいます。もしもほんの数ミリ何かがずれていたら、出会わなかった友達もたくさんいるかもしれません。あとは、私が大学に入ってからはオープンに自分のことをさらけ出すようになったので、それで友達が増えて、深い関係になれる子が増えたような気がします。私は毎年学校が始まる頃になるとどうも気分が憂鬱になってしまうみたいで、大学1年生が終わり、2年生が始まる前の春休みに大学垢のTwitterで「死にたい」といったことを呟いて、その後垢ごと消したことがありました。その時、ラインで数人から心配の言葉を貰ったときに、世の中、他人のことを
見てくれる人がいるんだ、すごいなと思った記憶があります。今でも、その時に声を掛けてくれた人たちとは仲良くしています。というより、私が今こうして大学に行けなくなってしまったのを、心配してくれて「定期的に生きているか確認しにくるからよろしくね!」と言ってくれる子までいて、私を勝手に死なせようとするなよ、と苦笑いしつつも、良い友達に恵まれたと思っています。

でも、恋愛に関しては、初めからその人のことを知っていて、好きだからという理由で恋人という関係に変わるパターンが常識として多いと思います。今の彼氏のことは大好きです。でも、今までの恋愛では、周りからは、「自分も好きだと思える人と付き合いなよ」と言われることが多くありました。そう言われるのもごもっともで、私はそろそろ彼氏欲しいかもなと思った時に、告白してくれた人たちの中から、この人ならいいかな、となんとなく思った人からの告白にOKサインを出してお付き合いしてきたからです。でも、もちろん付き合ったからには、私は彼女としてふるまっていましたし、相手にそのことで迷惑をかけたことは少ないとは思います。いや、迷惑をかけたこともありますが、そのことに関しては申し訳なかったと今でも反省しています。私の中で何かが嫌になってしまったとき、その元彼はたくさん気持ちを伝えてくれたのにも関わらず、私が「色々な人からも可愛い、好きって言われるけど、何が本当なのか分からないって思っちゃう」ということを彼に言ってしまって。最悪ですね、自分、最悪だと思います。ただその時はちょっとその人との間で嫌なことがあって、だからついその言葉も出てしまったんだと思います。結局、私は、自分を愛してくれる人が好きなんだろうな、と思います。自分から先に愛することはないけれど、愛してくれたら好きになるというようなかんじでしょうかね。

とある本で、「他人のことを無条件で愛せる人になりましょう」といったことを書かれているのを読んだことがあります。すごいな、と思いました。世の中の皆さんは、これができるんでしょうかね。私には、怖くてできません。それは、裏切られたり、自分があとで傷つくことを恐れているからだと思います。それでも、友達や、彼氏には、誕生日などお祝いをすることが多いのですが、その時は確かに見返りを求めず、素直な気持ちで相手をお祝いしているなと思います。これが、「他人のことを無条件に愛している」ということなんでしょうか。

人間関係なんて、お互い探り合いながら、仲を深めていくものでしょうからね。傷つきたくないというのは皆同じだと思います。だからこそ、人と関わるのに慎重になってしまう人が多いんだろうな、と思うけれど、その中でも、周りにたくさんの愛を伝えることのできる人がいたら、それはとても素敵な人だと思うし、そういう人がどんどん世の中に出て活躍していって、初めは自分が愛を振りまいていたのに、気が付いたら周りから愛される人間になっているんだと思います。私も、そうなれたらいいな。誰かから貰う愛を待っているんじゃなくて、自分からどんどん愛を振りまいていける人間になれたら嬉しい。

好きなことや好きなものはなくても、周りに今人がいるのならば、それは私も相手も気が付いていないだけで、好きという気持ちがあるから一緒にいるのだと思う。(残念ながら、そうではない場合も一部あるけれど) 
だから、周りにいる人たちを好きだと思う気持ちを抱えながら、その人たちと一緒にいられることに感謝しながら生きていく。それだけでも十分に幸せで、良い人生なんじゃないかな、って思います。

最近、愛について書かれた本を読んだので、また今度紹介しようと思います。ここまで読んで下さりありがとうございました。顔も何も知りませんが、それでもあなたのことが好きです。ありがとう^^



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