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「悲哀の月」 第1話

 あらすじ

 披露宴を開くことを心待ちにしていた新婚夫婦。

 しかし、予定を立てていく中で思わぬ事が起こる。

 日本にコロナウィルスが入ってきたのだ。

 悪いことに、コロナウィルスは猛威を振るっていく。

 必然的に、披露宴は延期となる。

  二人は収束の時を待った。

 だが、その矢先に妻がコロナウィルスに感染してしまう。

 必死に回復を祈る夫や家族に知人。

 しかし、コロナウィルスは彼女の体を蝕んでいく。


   1

 クリスマスが近付く街は、にわかに色付き始める。街を飾るイルミネーションは年々派手さを増し、近年ではプロジェクトマッピングが見る人を和ませている。また、商業施設では巨大なツリーを展示し、撮影スポットとなっている。
 都内屈指のデートスポットとして名高い恵比寿ガーデンプレイスも同じだ。夜空の下、広場には華やかな装飾をまとった巨大なツリーが展示されていた。周辺には黒山の人だかりが出来、恋人達が携帯片手に撮影している。気温は五度を下回り、刺すような北風が吹き荒れていたがお構いなしだ。鼻の頭を赤くしながらも笑顔を見せている。
 一方、ツリーの横にそびえ立つビルの中もクリスマス一色となっていた。特に、飲食店の入るフロアは華やかだ。賑やかな曲が流れ、入り口にはツリーやリーフが飾られている。
 三十九階に出店しているイタリアレストランもそうだった。普段はない装飾を店内の至るところに施し、クラシックを流しムードを醸し出している。その効果もあり、店内は若者を中心に賑わいを見せている。誰もが笑顔で食事を楽しんでいた。
 だが、その中に一人、緊張と闘っている男がいた。
 雨宮健介あめみやけんすけだ。
 彼も周囲の客と同様、正面に座る彼女と会話を楽しんでいるが、表情はどこか硬い。額にはうっすら汗が浮かんでいる。周囲とは明らかに異なる様子だ。
 だが、それも無理はない。
 この日は、二年間交際している藤川里奈ふじかわりなの誕生日だった。雨宮はこの日を思い出に残る一日にしようと何日も前からプランを練っていたのだ。
 今は、そのプランのクライマックスを迎えようとしている。雨宮からすれば、絶対に失敗できなかった。
「渋谷もいろんなものが出来たんだね。全然知らなかったよ。久し振りに来たから」
 窓の外に広がる満点の夜景を眺めた後で、雨宮はこの日を振り返った。ネットで検索しある程度の情報を得ていたが、実際に足を運ぶと違うものだ。新しく出来た商業施設を歩き回りながらも、新鮮な気持ちになっていた。
「そうね。私も知らないところがたくさんあったわ。もう追いついていけないわね。世間のスピードには。こうして知らない内に次々と新しいものが出来ちゃうんだから」
 グラスの水を飲むと、里奈は苦笑いした。学生時代は世間の流れに目を向けていた時もあったが、社会に出るとそうはいかないものだ。今では知らないことの方が圧倒的に多い。
「ということは、俺達もそれなりに年を取っているということになるのかな」
 同じ意味合いの発言が出たため、雨宮は苦笑いした。
「ちょっと、達は止めてよね。達は。それを言うなら、健介だけにして。私はまだ若いんだから」
 だが、里奈は頬を膨らませている。
「そうだな」
 苦笑いを深めながら雨宮は頷いた。喉元まで、今日が誕生日だよねと言う問い掛けが出ていたが、手元の水と共に飲み込んだ。
 そうしているとメニューが運ばれてきたため、二人は食事に専念することにした。
「今年の誕生日はどうだった」
 三十分近く掛けてコース料理を堪能すると雨宮は聞いた。だが、その顔は緊張が隠せない。この日のクライマックスが刻一刻と近付いているのだ。平然を装って食事していたものの、正直、味はほとんどわからなかった。里奈の口から美味しいという言葉が連発していたため、それだけが救いだった。
「うん、とっても良かったよ。楽しかったから」
 心から満足してくれたのだろう。里奈は笑顔を見せている。
「そう、良かった」
 雨宮はそこで計画を実行に移していった。
「思えば、出会った時は桜の季節だったね。桜が満開の公園で、たまたま同じベンチに座ったんだよね」
「どうしたの」
 夜景を見ていた里奈だったが、照れ臭そうに話し出した雨宮に目を向けた。
「いやね。俺としてはさ。来年も再来年も、その先もずっと里奈の誕生日を一緒に祝ってあげたいと思っているんだ。俺の命が続く限りずっと」
 自分に視線が向いたことで雨宮は一気に勝負を賭けた。
「俺はこの先もずっと里奈といたいと思っている。だから、どうだろう。俺と結婚してくれませんか」
 予定ではもっと台詞があったが大幅に省き、プロポーズの言葉を口にすると彼女の前に指輪を置いた。
「ありがとう。こんな素敵なお店でプロポーズしてくれるなんて嬉しいわ」
 想像していなかったのだろう。里奈は驚いたように口元に手を当てた。
「もちろん。私の方からもよろしくお願いします」
 そして、十分に余韻に浸ったところで指輪を受け取った。
「ありがとう。良かった」
 全ての努力が報われたことで、雨宮は汗を拭った。
「おめでとう」
 その様子は店にいた客も気付いていたらしい。祝福の声が上がった。続いて、二人に向かって拍手が送られる。
「ありがとうございます」
 彼らは恥ずかしそうに頭を下げた。
 その後、里奈の実家に挨拶に行ったが、両親が結婚を快諾してくれたことで、二人は晴れて夫婦となった。


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