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「悲哀の月」 第58話

「里奈。今は辛くて大変だと思うけど頑張れよ。俺は待っているから。また笑顔で会える日を。だって、まだ里奈の手料理はカレーライスしか食べてないんだぜ。他にも食べたいよ。だから絶対に元気になってくれよ」
 動画は雨宮のメッセージから始まった。
「情けないけどさ。こんなことになっても俺に出来ることはほとんどない。無力さを痛感しているよ。
 でもさ。里奈は苦しんでいるんだから力になりたい。そこで俺なりに考えてさ。この動画を制作することにしたんだ。だから、とりあえず見てくれるかな。俺なりに精一杯頑張って作ったから」
 そのメッセージの後で画面は切り替わった。三分割になり、バンド演奏が始まった。雨宮はギターを弾いている。
「健介」
 里奈からすればそれだけでも嬉しかったが、曲が始まると更なる喜びが襲う。
 雨宮が歌い出したのだ。歌声は、自分とカラオケに行っていた時とは違う。格段に上達していた。余程練習したのだろう。里奈はそう思ったが、歌詞にもまた心を奪われた。歌詞は画面の下に文字となって表示されていたが、二人が過ごしてきた日々を辿っていたのだ。間奏では、雨宮の勤めている工場の従業員が二列に並びコーラスを歌うシーンも入っていた。
「健介」
 予想もしていなかった動画に里奈の目からは涙がこぼれる。沙耶はすぐにその涙を拭いてあげた。
「どうだったかな。俺にはこんなことしかできないからさ。この曲は本当なら、披露宴で演奏する予定だったんだけどね。式にはまた別の曲を作るよ」
 曲が終わると、再び雨宮のメッセージに切り替わった。
「この曲の収録にはたくさんの人が協力してくれたんだ。病室では不安の方が多いと思うけどさ。決して一人じゃないからな。里奈にはたくさんの人が付いているからな」
 そう呼び掛けた後で画面は切り替わった。
「頑張れ」
「負けるなよ」
「披露宴で待っているからね」
 と、雨宮の働いている工場の従業員が一人ずつ励ましの声を掛けてくれた。彼と共に演奏していた二人も続く。
 その後になると、見慣れた顔が現われた。里奈の働いていた病棟の看護師だ。婦長の房代を始め、真子や懐かしい顔が並んでいる。コロナ病棟の医師や目の前にいる沙耶を含めた看護師もメッセージを寄せてくれていた。病院を辞めた貴子の姿もあった。
 最後は、両親だ。二人は涙を流しながら回復を願っているとメッセージを送ってくれた。
「里奈には、これだけ多くの人が付いているんだからな。一人じゃないんだ。頑張れよ。絶対に負けるなよ。そこから出て、二人の結婚式を挙げるんだからな。あんなに楽しみにしていたじゃないか。絶対に挙げるんだぞ。約束だぞ。俺は待っているからな」
 雨宮のそのメッセージが流れた後で動画は終了した。
「ありがとう」
 動画が終わると、里奈は沙耶に礼を告げた。途端に咳が出て来る。
「頑張りましょうね。これだけ多くの人が応援してくれているんですから。きっと治りますよ。絶対にあきらめずに頑張りましょう」
 タブレットを片付けると沙耶は拳を握った。ただし、彼女の目も濡れている。
「うん、わかっている。頑張るわ」
 里奈は誓った。相変わらず全身は苦しかったが、動画から力をもらった。数分前まであった弱さはもう消えている。
(健介。ありがとう。私、頑張るから。絶対に負けないから。絶対に健介と披露宴を挙げる。カレーライス以外の料理だって作るわ。そのためにも頑張る)
 息苦しさと戦いながらも里奈の心の中には、希望という名の月が浮かんだ。


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