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「悲哀の月」 第28話

 三月に入ったところで、コロナウィルスの猛威は止まることはなかった。感染者数は増え続け、ついには千人を超えた。
 世界中も変わらない。感染者数と死者数は増え続けている。ついには、パンデミック宣言が発令され、この年開催予定だったオリンピックは一年延期となった。オリンピックが延期されるのは史上初めてのことだという。それほど大きな問題と言うことだ。
(大丈夫かな)
 そんな日々の中で、雨宮はそこはかとない不安を感じていた。
 原因は里奈だ。
 彼女はコロナ病棟での勤務を始めた当初こそ連絡をくれたが、最近は全くと言っていいほどない。雨宮の方からLINEを送っても返ってこない時もあるほどだ。電話を掛けても出ない時もある。最初は多忙で疲れているのかと思い気を遣っていたが、それもある日を境に変わった。
 休憩中に羽鳥のした会話が原因だった。
「カミさんは大丈夫なのか。コロナ病棟で働いているんだろ。何だか、この前テレビで取り上げられていたんだけどさ。かなり待遇が悪いみたいだぞ。コロナ病棟で働いていると言うと冷遇する人がたくさんいるみたいで。精神的に参る人は多いって話だ。病院だから、対策は万全なのかと思ったら医療スタッフは自己責任みたいだしな。感染しても自分のせいらしいよ。だから、コロナ病棟に配属された看護師は次々と辞めていくって話だ。当然、そんなことになっているから残った人の負担が増していくんだろうし。新しく来る人もほとんどいないから、本当に大変だって言っていたぞ」
 その話を聞き、雨宮は実際にネットで調べてみた。
 すると、羽鳥の話は事実だった。現役のコロナ病棟勤務の看護師が匿名で現場の窮状を訴えているサイトがあった。
 目を通してみると、読むのも辛くなるような内容だった。病棟では防護服を着用するが、通気が悪く暑くてしょうがないらしい。更に、マスクやフェイスシールドを長時間付けていることで頭痛が止まらなくなり、消毒液で手はガサガサになると言う。友人や知り合いからは、コロナ病棟で働いていると聞くと距離を置かれるようになり、恋人とも別れた看護師もいるという。場所によっては、飲食店にも入店拒否されるらしい。泣いてばかりいる看護師がほとんどだという。
 更には、こんな辛い思いをしているというのに、給料は下がったという。人よりも危険な仕事をしているため期待していた人も多かったと言うが、病院側もコロナにより、来院者は激減し、経営難に陥りかけていることが原因らしい。本来なら退職したいところだが、それでは生活できなくなってしまうため、仕方なく勤務を続けている人が大半らしい。コロナ病棟は、世間が考えているよりもずっとシビアな状況にあったのだ。
 雨宮はネットでそのことを知ると、里奈に連絡を入れた。
 だが、この日も彼女から返信はない。この日は休みだと言っていたから、時間はあるはずだ。
(おかしいな。どうしたんだろ。ちょっと部屋に行ってみるかな)
 不信に思い、雨宮は里奈の部屋に行ってみた。彼女の住むマンションはオートロック制だが、暗証番号は知っている。四桁の番号を押しロックを解除すると、階段で二階へ上がった。
 そして廊下を歩き、部屋の前に立つとインターフォンを押した。
 だが、彼女が部屋から出て来ることはない。室内は静まり返っている。
(疲れて寝ているのかな)
 一瞬、そう思ったが、すぐにその考えは打ち消した。もしそうだとしても、何度もインターフォンを鳴らしたのだから起きてくるはずだ。何の動きもないというのはおかしい。
「里奈。いないのか。ちょっと入るぞ」
 不信が募ったため、雨宮はドアを叩きながら呼び掛けた。
 室内からはやはり反応はない。
 そこで合い鍵を取り出しドアを開けた。
 部屋は電気が消えていた。玄関には靴がなかったため、どうやら留守らしい。
 雨宮は、電気を点け部屋に上がった。
 里奈の住む部屋は、玄関の脇がキッチン、右にトイレとバスがあり、正面がリビングとなっている。リビングの左側が寝室だ。
 雨宮が来た時はいつも、部屋は全てきれいに片付いている。
 しかし、今は違う。
 上がってみると散らかっていた。キッチンには、カップラーメンの容器や皿にカップなどが放置されたままとなっていて、リビングの中央に置かれたテーブルにはペットボトルが転がり、パンの袋も捨てられずに残っている。更に床には、服が脱ぎ散らかされたままとなっていて、雑誌や広告が雑然と散らばっている。室内の様子は、几帳面な里奈とはかけ離れていた。
(もしかしたら、何かあったのかな)
 部屋に上がった雨宮は、片付けながら不安を強めた。
 と、そこであるものを見つけた。
 煙草だ。テーブルの脇に置かれたクッションの下にあった。
(まさか、煙草を吸うほど精神的に追い込まれているのか)
 煙草を手に彼は心配になった。交際している中で、里奈が煙草を吸うことを知らなかった。
 その中、動きがあったのは夜の十時過ぎだった。
 ようやくドアが開き、里奈が帰ってきた。
「お帰り」
 雨宮はすぐに玄関へ行き、彼女を出迎えた。
 が、すぐに表情は変わった。
 何故なら、少し会わなかっただけで彼女は別人のように疲れ果てていたからである。


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