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「悲哀の月」 第9話

 数日後。
 雨宮が帰ってくると、部屋に里奈の姿があった。合い鍵を渡してあるため、来ていたようだ。雨宮の住む部屋は、玄関を入いると右手にキッチン。左手にバス・トイレがある。正面は引き戸になっていて、先はリビングとなっている。突き当たりにもう一枚引き戸があるが、寝室だ。
 里奈はリビングで、中央に置かれたテーブルの脇に座りテレビを見ていた。
「どうしたんだい。今日は。疲れているみたいだけど」
 雨宮は彼女の正面に座ったところで聞いた。普段であれば何を話しても食いついてくる里奈だが、この日は違った。何を話しても上の空だ。返ってくる返事も生返事ばかりである。
「うん、正直言うと疲れているわね」
 里奈はあっさり認めた。
「そうなの。なら、別に無理しなくてもいいのに。部屋でゆっくり休んでいても良かったんだよ」
 雨宮は気遣った。
「うん」
 その優しさは嬉しかったが、口は勝手に動いてしまう。
「健介も知っているわよね。コロナウィルスって。今、ニュースで頻繁に取り上げられているから」
「あぁ、知っているよ。中国で発生したやつだろ。クルーズ船により日本にも入ってきて、今じゃ感染者が大量に出ているって話だよね」
 ニュースなどほとんど見ない雨宮だが、コロナに関してはネットで取り上げられていたため、多少は知識があった。
「そうなのよ。新型肺炎って言って、感染したら肺にウィルスが留まって増殖するみたいなのよ。それによって呼吸困難になって、重症者になると自力呼吸が出来なくなるんだって。その話だけでも怖いけどさ。最近はニュースでも大きく報道されていることもあって、コロナの問い合わせが後を絶たないのよ。患者さんやお見舞いに来た人とか、電話でも聞かれて。こっちは何も聞いていないから答えようがないのにさ。本当はわかっているんでしょとか言って、しつこい人もいて。だから、疲れているのよ。本当は無視したいんだけど、そういうわけにはいかないからさ」
 里奈は溜息をついた。
「そうなんだ。それは辛いね」
 雨宮は同情した。クルーズ船以降、日本でも感染者は増える一方だ。いつ自分が犠牲者になるかわからない状況にある。ただし、その状況は誰もが同じだ。決して聞いてくる人だけではない。
「そもそも病院って誰でも入れるじゃない。だから、対策の取りようがないのよ。私達としては強く出ることも出来ないし」
「確かに、そうだよな」
 雨宮の顔は切なくなる。現在はネットの普及により、評判はすぐに広まってしまう。それがデマであっても信じる人は多い。もし悪評でも広まってしまえば、足を運ぶ人は一気に減少してしまう。そうなれば死活問題だ。現在はどこも対応には最善の注意を払っている。
「今後、こういうことは増えるだろうしさ。看護師の中でも、うちの病院はどういう対応を取るのか、不安の声も出ているし。今後のことを思うと頭が痛いのよ。健介の前でこんな話はしたくなかったけどね。ごめんなさい」
 里奈は最後に謝った。
「いいよ。吐き出してくれよ。ストレスを溜め込むのは良くないから。俺は受け止めるしさ」
「ありがとう。やさしいね。健介は」
 里奈は涙を浮かべた。交際中から優しかった雨宮だが、結婚しても変わらないことが嬉しかった。結婚すると態度が一変する人が多いというが、彼は違うようだ。
「体も疲れているだろ。マッサージしてあげるよ」
 そう思っていると肩を揉んできた。
「ありがとう」
 里奈は優しさに甘え肩を揉んでもらったが、雨宮に見えないところで涙を拭っていた。


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