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「悲哀の月」 第54話

 翌日になり、里奈の症状は僅かに落ち着いた。昨日の数値よりも軒並み下がっている。平常値まではまだ遠いものの、アビガンを投与した効果はあったようだ。ただし、咳は出続け倦怠感も体から抜けていない。
「大丈夫ですか。里奈さん」
 部屋に入るなり咳き込んでいる姿が見えたため、沙耶は声を掛けた。
「えぇ、大丈夫。昨日より、マシになったみたいだから」
 苦しそうではあるが里奈は答えた。昨日は咳き込んでいて話すだけでも辛そうだったが、今は会話が成立している。それだけでも効果はあったようだ。ただし、声には力がなく弱々しい。
「それよりもごめんなさい。こんな形で来てしまって。迷惑を掛けてしまったわね。ただでさえ忙しいのに。貴重な病室を一つ使っちゃったし。本当に申し訳ないわ」
 僅かながらの改善が見られたせいか、彼女の口からは病院を気遣う言葉が出て来る。
「構いませんよ。そんなことは。里奈さんはコロナに感染してしまったんですから。治療しなければいけない患者さんなんですよ。病院のことなんて気にしないで下さい。今はご自身の体を治すことだけを考えて下さいね」
 沙耶は数値をチェックしながら話している。熱はあまり下がっていないようだ。
「それよりもビックリしましたよ。昨日は。新しく運ばれてきた患者さんが里奈さんだったんですから。てっきり今頃、新婚生活を楽しんでいると思っていたので」
 そう思いながら話題を変えた。
「そうよね。私も同じだったから。目を開けたら来生先生が私のことを見ていたんだから。最初は幻かと思ったわ」
 里奈は笑おうとしたが、うまくいかない。咳き込んでしまった。
「でも、恥ずかしいわね。こんなことになるなんて。情けないし。知っている人ばかりの病院に入院するなんて」
 咳が止まると、苦しそうに息をしながら本音を漏らした。
「そんなことは気にしなくてもいいんですよ。誰も気にしていませんから。私達のことを頼って下さいね。頑張りますから」
「うん、お願いね。頼りにしているから。だって私は新婚なんだから。それなのにまだ、新婚生活も挙式も上げていないのよ。コロナになんて負けないわよ」
 里奈は軽くこぶしを握った。それだけでも辛い。
「わかりました。それじゃあ、何かあったら呼んで下さいね。遠慮はいらないので。私達はすぐに来ますから」
「うん、わかっているわよ」
 そう答えたものの、里奈は咳き込んだ。背中を丸め苦しそうだ。顔を赤くしている。ついには仰向けになって背中を丸めてしまった。
「大丈夫ですか」
 沙耶はすぐに背中を摩ってあげた。
「大丈夫よ。いつものことだから。それよりも戻って。私より重症の人はたくさんいるんでしょ。そういう患者さんのことを見てあげて」
 だが、里奈は咳をしながらも他の患者を気遣った。
「わかりました」
 不安そうではあったが、沙耶は里奈の性格を知っている。このまま部屋にいても怒られるだけだろう。僅かな間だったが教えてもらったこともあるため、信頼される後輩としての姿を見せたい。そう思い、頭を下げると部屋から出て行った。
(困ったわね。こんな姿を見せることになるなんて。本当に情けないわ)
 部屋に一人となった里奈は、咳き込みながらもそんなことを思っていた。


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