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「悲哀の月」 第69話

 翌日。
「どうだった。先生の話は」
 出社すると五味が聞いてきた。周囲には他の従業員もいる。誰もが自分のことのように心配してくれているようだ。
「かなり深刻な状況と言うことでした。今は集中治療室で未承認の薬を投与して、エクモを装着しているんですけどね。それでも症状が変わらない場合は覚悟してくださいと言われました」
 雨宮はありのままを報告した。
「本当かよ。それは辛いな」
 従業員の間でどよめきが生まれた。彼らとしても、里奈が病室から送ってきた動画は見ていた。確かに辛そうではあるが、きっと回復するだろうと信じていたのだ。
「でも、エクモを装着すれば回復する人も多いんだろ。確か、半分近くの人は回復しているってニュースでやっていたぞ。だから、まだ可能性はあるんじゃないか」
 ただ、五味一人だけは励ましてくる。
「えぇ、俺もそう思いたいんですけどね。彼女の父親が医師なんですよ。昨日、彼女のレントゲンや検査した数値などを見せてもらったんですけどね。あの状態から回復するのは奇跡に近いって言うんです」
「そうなのか」
 さすがに医師の見解を聞いては五味としても、これ以上迂闊なことは言えなかった。何とか力を与えたい気持ちはあったが、医学に精通している人の意見に勝てるはずがない。彼の持っている知識など所詮は、テレビやネットから得た一夜漬けのものだ。
「えぇ、主治医は希望だけは持ち続けて下さいって言うんですけどね。お父さんの話を聞いたら、どうしてもそうすることは出来ないんですよ」
雨宮の声はか細くなっていく。説明していくことで、いたたまれない気持ちに負けそうになっていた。
「駄目よ。そんなことじゃ」
 誰もが肩を落とす雨宮に同情の目を向けていたが、突如一喝する声が飛んだ。
 佳代だ。今まで黙って話を聞いていたが、我慢できなくなったようだ。
「家族なんだから、希望は捨てちゃ駄目よ。絶対に。彼女だって辛い中、頑張っているんだから。それなのに支えてあげる家族があきらめてどうするのよ。毅然とした態度でいないと。彼女だって、弱気になってしまうわよ」
 今にも涙を流しそうな雨宮を叱咤していく。
「だって、エクモを付けて薬だって投与しているんでしょ。先生方だってまだあきらめていないってことじゃない。希望はあるのよ。それなら信じてあげないと。彼女に悪いわよ」
 彼女はついに手を握ってきた。
「そうですよね。駄目ですよね。俺がこんな弱気になっていたら」
 言葉に温もりが加わったことで雨宮の気持ちは変わった。
「ありがとうございます。俺は頑張りますよ。彼女の回復を信じて。その日まで支え続けます」
「そうよ。そうしなさい」
 思いが届いたと判断し佳代は握っていた手を離した。
「とりあえず今日は帰ってゆっくりしろよ。疲れているだろうから」
 そこで五味が優しく声を掛けた。
「いえっ、仕事をしていきます」
 だが、雨宮は拒んだ。
「一人になるとどうしても、彼女のことを考えてしまうんですよ。どうしても落ち着かないんです。ですから仕事をしていた方が気が紛れるんで」
「そうか。なら、頼むぞ」
 五味は肩を叩いた。
「はい」
 頷くと雨宮は、仕事に取り掛かった。
 だが、胸の中から里奈に対する不安が消えることはなかった。笑顔を思い浮かべようとするが、すぐに苦しむ顔に変わってしまう。仕事をしながらも雨宮は、頭の中で妻の苦しむ顔を振り払い続けていた。


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