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あしたの小窓から。

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小窓のむこうに、ちいさな「あした」が見える。 ここでは音楽、教育、投資、霊性などについて、考えたり感じたりしたことをつれづれに綴っています。
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#人間関係

いる場所を間違えた感。

いる場所を間違えた感。

自分はかなり偏った人間だと思う。
だから時々、人との間に摩擦が起こる。摩擦といってもケンカするわけではない。自分のことを懸命に話すけれど、理解してもらえず、正確に理解してもらいたくて、さらに言葉を重ねて、それでも埒があかず、だんだん疲弊していくのだ(もしかすると理解してもらえているのを勘違いしているだけかもしれないが)。

そういうことが起こると、決まって「いる場所を間違えたなあ」と思う。
そして

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あこがれているのだ。

あこがれているのだ。

最近、一年前に書いたこの記事がよく読まれている。

それに仕事をする上でも「敬意」という言葉をつかうことが多い。

互いに敬意がある人との仕事は、心が通いあう感じがしてぐんぐん進むが、そうでない人との仕事は、どんなに力や実績がある人とでも冷めていくばかり。

人はどんなに弱い立場にあろうと、相手から敬意を払われているかを敏感に察知するものだし、その感覚は初対面のときから変わらない。心地よい方にいこ

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いい人というのは。

いい人というのは。

南畑にきてから、名古屋にいた時より一気にたくさんの人に会うようになった。

それで思ったのだけれど「いい人だな」と感じる人は、キャパが大きい。
いいよいいよと言ってくれる。ぜんぜん怒らない。なんなら、いいんですかというところまでしてくれることさえある。なにを話してもよさそうだし、通じる感じがするから安心する。

親切な人でも、無理してそうしている感じの人からはそれを感じない。
やさしい、のだけれど

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傷のありか。

傷のありか。

奥さんとけんかになる時、「自分が自分でないみたいだ」と感じることがある。

感情に駆られて我を忘れているという側面もあるだろうが、どちらかというと奥さんに関わる何者かを演じさせられている感じがする。そうして奥さんの過去にあった、強く心に残っている出来事を再演するのだ。

再現の中で、僕は奥さんのお母さんになる。あるいは、かつての上司になる。時には奥さんが別の人で、僕が奥さんの役になることもある。

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ウソをつき続ける私たち。

ウソをつき続ける私たち。

ウソをつくのは、よくないこととされている。
しかし、僕らは日常的にウソをつき続けている。

この本を読んで、そんなことを考えた。

(アマゾンだとどえらい値段ですが『日本の古本屋』などだと、安く入手できます。)

この本はいくつかの、裁判沙汰になったウソの例を紹介しながら「私」の成り立ちに迫っている。そのうち、小学生の少女が家庭教師のわいせつ行為をでっち上げてしまった時のウソのつき方が、僕にとって

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「どなたでもお越しください」問題。

「どなたでもお越しください」問題。

なにか仕事をしたり、場を開いたりするとき、僕は案内文を書く。
そのとき決まって「よかったらお越しください」とか「ご縁のある方とご一緒できたら」などと書いて締める。そうしないとなんだか締まりが悪い。

けれど、僕はこの一行を書くのが苦手だ。
五年前に自営業をはじめてからずっと。

なぜか。
それは「どなたでもお越しください」とは思っていないからだ。

僕はどんなことをする時にも「いい人といたい」と思

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「なんか」のレベルで。

「なんか」のレベルで。

今週末『空中庭園』という場をいっしょにひらく相棒、橋本仁美ちゃんが、案内文にこんなことを書いていた。

 右脳的きき方は体感覚的なきき方。肌感覚とか、熱いとか冷たいとか、硬いとかやわらかいとか。そういう聞き方が入ってくる。それら触感は居心地にかかわってくるから、「この人といるとなんかホッとするな」とか、「この人といると緊張するな」ということが起こる。

 だけど、どうしてほっとするのか、どうして緊

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好きかどうかか。

好きかどうかか。

毎週一度、障がいをもつ人たちが宿泊する施設の宿直をしている。
そこに一人、同じことをずっとしゃべっている常連さんがいる。

一月に関わりはじめて以来、同じことをしゃべる利用者さんには何人か出会った。でも彼のしゃべっていることは、なんだか聞きづらい。さっき終わったはずの話題が五分後にまたはじまったりすることもあるけれど、それ以上になんだかまとわりついてくる。

僕は人の話をずっと聞き続けるのは苦にな

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陰険と温厚。

陰険と温厚。

今朝、奥さんがちょっとうっかりして忘れていたことがあった。忘れるだろうなと思っていた僕は、予想が当たって笑った。他愛のない日常の一コマだ。

でも、ふと思った。僕がもし陰険だったら、このうっかりを責めて凹ませることもできるんだな、と。そう思うと、僕たちの日々の生き心地というのは、いとも簡単に他者によって左右されてしまうものなのだと気づかされる。

もし僕が陰険な親の家の子どもだったら、恐らく他者の

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スムーズよりノイズが。

スムーズよりノイズが。

「話が噛み合わなくなった時にこそ、本来のお互いがいるんじゃないかしら」

今日の『listen.』でつい、こんなことを口走っていた。
いま、その言葉を思い返しながら、この記事を書きはじめている。

昨年末、僕は対話についての記事を集中して書いていた。

これらはいずれも他者との間に「わかりあえなさ」があることを前提にしている。二人の間に「わかりあえなさ」の溝があって、対岸から橋を架けていく。その行

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不快な共感。

不快な共感。

「おお、だよね!」と思った記事。めちゃめちゃ面白かった。

テロ・紛争解決の専門家である永井陽右さんと以前ハマった本『居るのはつらいよ』の著者、東畑開人さんの対談。

ここで東畑さんは、こんなことを話している。

東畑 裏切られると、僕らはみじめな気持ちになる。こっちはこんなに頑張っているのに何でだよ!って。だけど、実はその気持ちこそ、ギャングたちがいつも感じているもので、それが永井さんに投げ込ま

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スーパーにて。

スーパーにて。

近所のスーパー。
僕が並ぶレジの列では、前のおばちゃんが財布を探っている。

ずいぶん長くかかっているので、店員さんは無表情で「どうぞ」と言って、僕の商品の精算をはじめる。いいのかなと思いつつ、会計を済ませる。

僕の会計が終わっても、おばちゃんはまだ財布の中をまさぐっている。そして、店員さんになにか話しかけている。「いい天気だねえ」とかそんなふうに聞こえるが、発音は明瞭でない。店員さんはその声を

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勝手にそう思い込んで。

勝手にそう思い込んで。

先日公開した記事が、けっこう読んでもらえていてうれしい。

「いいね」の数は過去最高になった。ありがとうございます。

でも、僕はうれしいというよりも、いまもずっと驚いている。

「うそー」

と口をあけて、あんぐりしたまま呆然としている感じだ。

と書いたけれど、いまはさすがにその感じは薄れてきている。

あれだけのことがあった割には、この一週間は普通だった。
目立って人生が変わったということも

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暮らしの礎。

暮らしの礎。

おととい、別居していた奥さんが帰ってきた。

同居に戻ったわけではなく、僕の家に泊まりに来ただけなのだけれど、そこには長い旅から「帰ってきた」という実感があった。うれしかった。

そうして一緒に過ごしてみて、気が付いたことがある。

僕たちは別居後も頻繁に会っていたし、仲良くもしていた。
けれど、心のどこかはやっぱり「離れて」いたらしく、その間に枯渇していったものが四つあった。

ごはん、スキンシ

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