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あこがれているのだ。

最近、一年前に書いたこの記事がよく読まれている。

それに仕事をする上でも「敬意」という言葉をつかうことが多い。

互いに敬意がある人との仕事は、心が通いあう感じがしてぐんぐん進むが、そうでない人との仕事は、どんなに力や実績がある人とでも冷めていくばかり。

人はどんなに弱い立場にあろうと、相手から敬意を払われているかを敏感に察知するものだし、その感覚は初対面のときから変わらない。心地よい方にいこうとする体の習性に従うと、敬意を通わせる人同士は結びつきを強め、敬意を欠いた人からは人が自然と離れ、孤立していくことになる。

で、僕自身は、この「敬意」をあこがれに似たものとして捉えている。
最初は自分にできないスキルに対するあこがれから、最近では自分には引き受けられないそれぞれの人生に対するあこがれに広がってきていて、これがあるとどんな人と会うのも楽しい。

だれかと会って話を聞くと、その人の人生は、僕のものとは似ても似つかない不思議に満ちている。「よく生きてこられたなあ」というのは、なにもたくさんの苦労をしている人ばかりでなく、巷の「よくいる平凡な人」と思い込んでいるその人の中にも息づいている。

およそどのような人生であれ、ある人として生まれ、育ち、生きて、死ぬことは大変なことなのだ。歳をとるにつれて、だんだんとそれが分かってきたような気がする。自分についてもよくやってるなあと思うし、他人についてもそう思うようになった。

互いに違う人同士が、そんなふうに唯一無二の人生を生きていることに対して、敬意を交わし合えたら。

そんな生活環境を夢見ているし、いま、だんだんとそういう人たちが集いはじめている足音を感じている。

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