見出し画像

陰険と温厚。

今朝、奥さんがちょっとうっかりして忘れていたことがあった。忘れるだろうなと思っていた僕は、予想が当たって笑った。他愛のない日常の一コマだ。

でも、ふと思った。僕がもし陰険だったら、このうっかりを責めて凹ませることもできるんだな、と。そう思うと、僕たちの日々の生き心地というのは、いとも簡単に他者によって左右されてしまうものなのだと気づかされる。

もし僕が陰険な親の家の子どもだったら、恐らく他者の一挙手一投足に怯える大人に育つはずだ。子どもはまだ力が足りなくて、親や家から逃げることはできない。親の陰険の責任は彼らにはないのに、子どもはその影響下で暮らさなければならない。

ちょっとしたうっかりを責めるか責めないか。
そんなに簡単なことで、人生の感じ方が変わってしまう。ひいては、人生の進み方にまで影響を及ぼすことになる。

きっと陰険にだって理由があるはずだ。おそらくは悲しい過去があったりするのだろう。だからそのうっかりを責めずにはいられない。

でも責めないこともできるのだ。それを笑いにすることさえも。

そう思うと、芸人さんたちがやっている「笑いに換える」というのは非常に価値のある技術に思えてくる。つらいこと、悲しいこと、みじめなことを笑いにしてしまうことで、昇華することができるからだ。

「ユーモアって大事だな」と僕は思った。
ほんのささいな朝のやりとりが、人生を決めている。
大抵の人は、そのことに気づかずにいる。

記事を読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートは、ミルクやおむつなど、赤ちゃんの子育てに使わせていただきます。 気に入っていただけたら、❤️マークも押していただけたら、とっても励みになります。コメント、引用も大歓迎です :-)