勝手にそう思い込んで。
先日公開した記事が、けっこう読んでもらえていてうれしい。
「いいね」の数は過去最高になった。ありがとうございます。
でも、僕はうれしいというよりも、いまもずっと驚いている。
「うそー」
と口をあけて、あんぐりしたまま呆然としている感じだ。
と書いたけれど、いまはさすがにその感じは薄れてきている。
あれだけのことがあった割には、この一週間は普通だった。
目立って人生が変わったということもない。
ただ、僕自身はいまだに驚いていることがある。
それは原因のない幼い頃の思い込みが、ここまで人生を左右してきたという事実。
僕が「妹ばかりひいきして自分を愛していない」とひがんだ時、父は会社員として最も多忙な時期で、その想いに気づく暇すらなかった。
ただそれだけのことが三十年経つと、どんなに努力しても越えられないほどの力をもった。
本人も気づかない水面下で。
この思い込みの力に驚いている。
考えてみれば、僕が奥さんをはじめとする他人と衝突するときにもこの思い込みは働いている。「相手はこう考えているだろう」と頭が勝手に物語を書きはじめてしまうのだ。この誤解を解くのに、かなり時間がかかる。
逆に、相手から自分について思いもよらないことを言われることもある。
「それ、おれじゃないよ」と必死に弁解しても、頑として譲らない。
そういうとき、自分の話なのに誰とけんかしているのか分からなくなって途方に暮れる。
人が自分のことをどんなふうにみているかは分からない。
そして、自分もまた人を正しくみているとは限らない。
そんな中で、僕らは人間関係をしている。
僕らは勝手に思い込んで、勝手に不幸になれる。
今回の出来事は、その事実を裏付けるものだった。
でも、だとしたら、僕らは勝手に思い込んで、勝手に幸せにもなれるのではないか。
いや、あるいは、本当に幸せと言えるのは、思い込みのない事実そのものを体験した瞬間にあるのか。
そのへんは分からないが、少なくとも今後、思い込みの檻にとらわれて自滅するのは避けたい。
その意味でも、大事な人とは誤解を解く時間をちゃんととれたらなあと思っている。それはけっこうな時間をかけるに値することだと思うから。
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