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「どなたでもお越しください」問題。

なにか仕事をしたり、場を開いたりするとき、僕は案内文を書く。
そのとき決まって「よかったらお越しください」とか「ご縁のある方とご一緒できたら」などと書いて締める。そうしないとなんだか締まりが悪い。

けれど、僕はこの一行を書くのが苦手だ。
五年前に自営業をはじめてからずっと。

なぜか。
それは「どなたでもお越しください」とは思っていないからだ。

僕はどんなことをする時にも「いい人といたい」と思っている。
いい人というのは、話が合う人、はずむ人、いっしょにいて楽しい気持ちになる人のこと。けれど、誰でもそうなるわけじゃない。

また、本気でけんかをするにも相性がある。僕がしている円坐だと「仕合う」といって時に厳しいやり取りになることもあるけれど、それも誰とでもできるものではないと思う。なにかこちらにも湧き上がるもの(機縁)がないと、それは空回りするだけで終わる。

そうでない人といっしょにいるのは、正直言って面倒くさい。これまでに「合わない」のを我慢していやな思いをすることが何度もあったし、そういう思いをさせたこともたくさんあったはずだ。だから、自分の時間を割くのなら「いい人といたい」という思いが年々増している。

「人を選ぶ」というと聞こえは悪いが、実際、そういうところが僕には強くある。それは好き嫌いのレベルでもあるし、それ以上に話がはずむ、はずまないといった身体感覚に依るところが大きい。踊るなら気持ちいい人とダンスしたいもの。

けれど、小学生が好きな子同士でグループを組むように人付き合いをすればいいかというと、そうでもない。人生には「縁」というものがあるからだ。最初「いやだな」と思った人と思いもよらず意気投合したり、「まさかこの人とこんな場面に立ち会うなんて」と思うような経験をしたり、そういうことが人生ではしばしば起きる。そんなふうに換気しないと、人間関係が風通しの悪い、閉塞したものになってしまうのだろう。

といったことを細々と考えていると、案内文が締められなくなる。
「縁」を頼りにするのであれば「どなたでもお越しください」という言い方になるけれど「いい人といたい」と思うと「どなたでも」とは言い切れない。どうぞいい人来てください、くらいになるだろうか。

でも、そんなふうに言っている案内を見たことがないし(大抵「千客万来」というフリをしている)、自分から「私はいい人だ」と思って来る人もおるまい(そういう人はかえってお断りしたいかも)。

それに「どなたでも」というふうにしておかないと、誰も来なくなってしまうのではないか、という不安もある。

だから困ってしまうのだ。
案内文の最後の最後、どう締めたらいいのかと。

基本的に見知らぬ人に会うのは怖いことだと僕は思う。
なにが起きるか、なにをされるか、わからないわけだから。

それを押して「ようこそ」とするのは、そうでなければ得られない出会いがあるからで、そのあたりのニュアンスが「どなたでもお越しください」にはない。やや晴れやかすぎる。

・・・などということを唐突に書くことにしたのは、今週土曜日にひらく『空中庭園』の相棒、橋本仁美ちゃんにこの「どなたでもお越しください」問題の話をしたからだ。彼女と話す前はこんなこと書くどころか、話すつもりもなかった。

はずむ人と話をすると思わぬ方向に人生が転がる。
これが「いい人」といることのうれしさであり、だからやっぱりいい人と会いたいなと思う。


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