ネルノダイスキ 『ひょうひょう』 : 二次元オブジェの異様な世界
なんと評したら良いものか、なかなか悩ませてくれる作風である。
「面白い」というのは、間違いない。また、この作家の作風を評するに「シュール」という言葉は、ほとんど自動的に出てくるもので、決して間違いではないのだが、「面白い」にしろ「シュール」にしろ、それはあまりにありふれた形容でしかなく、この作家の「特殊性」を言い当てているとは、とうてい思えない。
まず、際立った特徴を挙げてみよう。
と、このようなことになるだろうか。
(3)については、作者自身も認めているところで、意図してそのような物語を選んでいるようである。
本作品集所収の短編「へのへのもへ」などは、古式ゆかしい「妖怪封印譚」とでも呼ぶべきもので、現代が舞台になっている以外は、「昔話」によくあるパターンの物語だ。
だが、その一方、そこに登場する妖怪「へのへのもへ」は、他の物語に登場する「グロテスクな生き物」とは真逆に、それこそ「へのへのもへの」の落書きのようにシンプルな、描き込みの少ない、のっぺりした造形だからこそ、巨大怪獣であるにもかかわらず、不思議なリアリティを醸し出している(もっとも、暴れだしてからは、グロテスクな姿を見せるが)。
つまり、「へのへのもへ」が、ネルノガダイスキ的に当たり前な「グロテスクな怪物」だったなら、かえってその「存在感までが当たり前」になってしまい、つまらない作品になったであろうことは想像に難くなく、そのあたりを意図して、わざと「通常のパターン」をはずしたのだと、そう見るのが至当であろう。
なお、この「へのへのもへ」では、昔の特撮ドラマ『ウルトラマン』に登場した怪獣ガバドンが意識されていたであろうことは、まず疑いのないところ。ガバドンも、二次元の落書きが、三次元化した怪獣なのだ。
もしかすると「へのへのもへ」は、ガバドンへのオマージュ作品なのかも知れない。
いずれにしろ、以上のような特性からわかるのは、作者は(1)と(2)のギャップを利用することで、意識的に「独自の世界」を生み出しているのであろう、ということだ。
「絵柄(タッチ)の不統一」ではなく、意図的な「絵柄(タッチ)のズラし」による「ギャップ」によって、作品世界にわざと「亀裂」を入れる。
そして、そのことで、あえて「まとまりのある世界」にはならないようにして、「アンバランス・ゾーン」的な「決着のつかない余韻」を生み出しているのである。
(1)と(2)のギャップということでは、私の場合、好きな漫画家である「panpanya」をすぐに思い出してしまうのだが、本書作者ネルノダイスキの場合は、もちろん、panpanyaとは、また方向性が違う。
panpanyaの場合は、主人公の女の子や、その友達、犬、魚、鳥などの「常連キャラクター」は、極めてシンプルな線で描かれており、その一方で、風景や「物体」的なモノは、いつでも手間の掛かった描き込みがなされている。
つまり、こうした「キャラクターと舞台のギャップ」という点で両者は似ているものの、しかしpanpanyaの場合は「ギャップによる違和感」を醸成していると言うよりは、「舞台となる世界こそが主役であり、主人公を含むキャラクターは、世界の案内役(に過ぎないから存在感が薄い)」という感じなのである。
だから、両者は「形式」的には似ているところがあっても、「ねらい」においては違っている。
panpanyaの場合は、その描く「世界」に対して、作者自身がノスタルジーを持っているのだが、ネルノガダイスキの描く「世界」は、作者と距離を取った、もっと疎遠なものであり、しばしば敵対的なものであったりするのだ。
ちなみに、作者のネルノガダイスキのプロフィールは、次のようなものである。
もともとこの人は「二次元と立体(三次元)」の両方が好きなアーティスト気質の人であり、「奇妙な作品(オブジェ)」を作ろうとする傾向の強い人なのではないか。
言い換えれば「物語創作には、あまり興味がない」ということだ。
そして、そのあたりで、「世界を物語る」人であるpanpanyaとは、作風に違いが出てくるのではないだろうか。
そう、ネルノダイスキの漫画は、「物語」と言うよりも、「二次元で表現されたオブジェ」だと考えればいい。それも「不安なオブジェ」。
だから、ぱっと見のインパクトが極めて強烈であるにもかかかわらず、読んでみると、意外に「物語の内容的には、おとなしい」と言うか、「まとも」な印象の強い作品が多いのである。
ネルノガダイスキは、絵のインパクトを生かすために、故意にシンプルな物語を選んでいるのであろう。
物語は、あくまでも「料理を盛るための皿」のようなものであり、だからこそ、シンプルな物語、昔話のような、原型的で安定した形式の物語の方が好ましい、ということなのではないか。
大切なのは「ストーリー性」ではなく、イメージを盛る「形式」として、「物語」は採用されているのではないだろうか。
本書の表紙に『ピカピカの金属』、見かけが「磨かれた鉄板」のような紙が使われているのは、ネルノガダイスキの、金属的な「オブジェ指向」を表現したものと見て良いだろう。
ともあれ、好みの問題はあるにせよ、一見の価値のある、独自の世界観を持つ作家として、オススメしておきたい。
(2024年10月3日)
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