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黒澤明監督 『野良犬』 : もっと注目されて然るべき、リアリズム映画の傑作

映画評:黒澤明監督『野良犬』1949年・モノクロ映画)

私の場合、つい最近まで、特に熱心に「映画」を見てきたわけではなかったし、だから、黒澤明についても特に興味はなかった。
それが一昨年、ジャン=リュック・ゴダールの映画を見て「なんだこりゃ?」と思ったことから、ここ2年、内外の古典的な作品まで含めて、意識的に映画を見るようになった。それで、黒澤明についても、いわゆる「代表作」とされるような作品から順に見ているわけなのだが、そうした映画の素人であり、黒澤ファンでもない私の耳には、本作『野良犬』のタイトルは、これまではほとんど届いてはこなかった。

当然のことのように、『七人の侍』をはじめ『生きる』『羅生門』『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』『用心棒』『天国と地獄』『赤ひげ』といったところが黒澤明の代表作としてが並び称され、そのほかには黒澤が「世界のクロサワ」になってからの大作『影武者』や『』といった作品に言及されることが多いように思う。

あるいは本作の『野良犬』というタイトルが、いささか地味なものだったため、目に止まりにくく記憶にも残らなかったということなのかも知れないが、いずれにしろ本作が、「黒澤明ベスト5」に選ばれることなどなく、「ベスト10」に入ることさえ極めて稀なことのようである。

そんなわけで、さほど期待もせずに見た本作は、多少は「地味」ながらも、たいへん完成度の高い「リアリズム映画」の傑作であった。

言うまでもないことだが、本作は、その後に世界の映画界を席巻した、フランス発の「ヌーヴェル・ヴァーグ」、以前の作品である。だから「古い」のかと言えば、そんなことはまったくない。
「ヌーヴェル・ヴァーグ」の一人であるゴダールが『勝手にしやがれ』(1960年)で導入した、手持ちカメラによる「ドキュメンタリータッチのリアリズム」作品などではないけれど、本作『野良犬』は「物語の内容」や「人物造形」において極めて「リアル」であり、いま見ても斬新とさえ感じられる作品となっている。つまり、「わざとらしさ」が無いのだ。

「ヌーヴェル・ヴァーグ」が称揚した、イタリアの「ネオリアリズモ」の先駆的傑作『無防備都市』(1945年、ロベルト・ロッセリーニ監督)を先日見たばかりなのだが、たしかに『無防備都市』の方が「ドキュメンタリータッチの映像」ではあっても、「物語の内容」や「人物造形」においては、いささか「作り物」臭さのただよう殊更に「ドラマチック」な部分もあって、「リアリズムの映像」を裏切っている部分もあったのだ。

その点、本作『野良犬』は、従来どおりの撮影法できっちりと撮られていて、「絵」としては、きちんと作り込まれて、その点で「ネオリアリズモ」的な「映像リアリズム」の作品ではない。つまり、「作り込んでいない(ドキュメンタリータッチである)が故に、リアルな絵」だというわけではないのだが、それでも映画総体としては「リアル」なのである。

「ヌーヴェル・ヴァーグ」が(それがすべてではないにしろ)「ドキュメンタリータッチのリアリズム」を希求したのは、ひとつには、フランス映画界の旧泰然たる「撮影所システム」の弊害として、例えば、映画というのは、「屋外シーン」も含めて、屋内に作られた「セット」で撮影されるのが「当たり前」とされ、そのために「絵面の完成度は高いが、動きがなく作り物っぽさが否めない」といった、戦前派には馴れており「当たり前」でも、若者には「嘘っぽい」と感じられるような作り方が、そのまま温存されていた、という問題があったためである。

つまり、ある意味「伝統と実績と格式のあるフランス映画」界であったればこそ、「保守」的に「古い様式美」を温存したために、若者たちからの反発批判を浴びたというのが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」が発生した、ひとつの理由だったのである。

そして、その意味で、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の影響を、フランスはもとより、世界(ヨーロッパとアメリカ)の映画界が影響を受けて、「完成した絵を撮る」ではなく、「未完成の美」を撮る、生き生きとした「絵作り」が目指されるようになったというのが、「ヌーヴェル・ヴァーグ革命」だと、そうも言えるのだが、しかしそれは、こと黒澤明に関しては、さほどの衝撃ではなかったのではないかと、そう思わせるものが、本作にはあるのだ。

つまり、本作『野良犬』は、「ヌーヴェル・ヴァーグ」以前でありながら、屋外のアクションシーンを、実に生き生き撮っており、のちの『フレンチ・コネクション』(1971年、ウィリアム・フリードキン監督)に模倣されたらしい「刑事が犯人を、全力疾走で走って追うシーン」の開放感と迫力は、フランスの「撮影所システム」が抱えていたような問題など、微塵も感じさせない「リアリズム作品」だったのだ。

相応の年齢に達した今の日本人にとっては、この追跡シーンは、テレビドラマ『太陽にほえろ!』(1972〜1986年)の遠い祖先だと言えばわかりやすいかも知れない。だが、「リアリズム」という観点からすると、本作『野良犬』の方が、『太陽にほえろ!』の遥か先を行った迫力に満ちている(つまり『太陽にほえろ!』は、退化している)。
例えば、スリ犯を走って追う刑事の村上(三船敏郎)が、勢いあまって転倒する(転ぶ)シーンなどは、演技とはとても思えないほどの迫力があるのだが、『太陽にほえろ!』になると、すでに「走って追跡する」というのが「様式化」されてしまっており、「型」の安定感はあるにしろ、「リアリズムの迫力」は、すでに失われているのである。

(転倒したために、その先の交差点でスリ犯を見失い、途方にくれる村上刑事)

そんなわけで、黒澤明というのは、映画史における「ヌーヴェル・ヴァーグ」はもとより「ネオリアリズモ」の発見を待つまでもなく、すでに十分「リアリズム」の力を駆使し得た映画作家だったというのが、本作を見ればよくわかるし、それでいて、無闇に「ドキュメンタリータッチ」の新しさに偏らない「端正な絵作り」の見事さも、併せ持っていた監督だと言えるだろう。黒澤が、世界に紹介された途端、高く評価されたというのは、本作を見れば容易に納得のできることなのだ。
だが本作は、黒澤明が世界で評価される前の作品なのである。だから、日本人の間でも、その「権威主義の弊」として、こうした「当たり前によくできた旧作」が、十分に評価されず、いまだに、外国で誉められた有名作ばかりが持て囃されているのではないだろうか。だとすれば、これは恥じて然るべきことであろう。

ところで、本作のタイトルである『野良犬』だが、今の若い人は「野良犬」といっても、その意味するところがピンと来ないのではないだろうか。

「野良犬とは、飼われていない(野放しの)犬のこと」というくらいの認識はあるだろうが、本作の制作当時、そして私の子供時分である1960年代までにおいては、「野良犬」とは、単に「飼われてはいない犬」のことではなく、「都市部に住む、野性の犬」のことだった。つまり、「人間の友達」などではなく、様々な事情で都市部に棲息していながらも、生きるために「野生」を捨ててはいなかった犬のことであり、要は「群れて行動する」こともあれば「人間を襲う」こともある、危険な動物の一種が、「野良犬」だったのだ。

(本編『野良犬』のものではない、当時の風景)

私が、子供の頃には、町で「野良犬」に出会うと、本当に怖かった。襲われ噛みつかれる怖れが、リアルなものとしてあったからだ。1匹でも十分に怖かったのに、野犬の群れに行き合った時の恐怖というのを、今の人は決して知らないだろう。
当時は、犬小屋に繋がれている飼い犬でさえよく吠え、通りかかる者に狂ったように吠え掛かることも珍しくなかったから、子供にとっては、(子犬以外の)犬とは、基本的に「怖い」ものだったのである。
また、言い換えれば、現在の「ほとんど吠えない犬」「吠えても怖さのない犬」というのは、人間によって「改造された」、よく言えば「品種改良された」犬なのであり、「野生」を奪われた(牙を抜かれた)奇形的な犬なのである。

したがって、「野良犬」というのは、単に「飼われていない犬」のことではなく、「生きるための攻撃性を捨てていない犬」という意味合いをも含んでいたのだ。

そして、そうした目で、本作のタイトルバック映像である「恐ろしいほどに激しく興奮した、犬の顔のアップ」を見れば、その意味も するところも理解できる。
あれは、単なる「犬」ではなく、闘わなければ生きられない、「牙を向く野良犬」を象徴する、人間から見れば「恐ろしい顔(表情)」だったのである。

「Wikipedia」によると、

『タイトルバックの野良犬が喘ぐシーンは、野犬狩りで捕まえた犬を貰い受け、撮影所の周りを走らせた後で撮影したものである。しかし、アメリカの動物愛護協会の婦人から「正常な犬に狂犬病の注射をした」と告発された。供述書を出してこの出来事は幕となったが、黒澤は「戦争に負けた悲哀を感じた」と語っている。』

とのことだが、その真相に関わりなく、「野良犬=野犬」というのは、「かわいい飼い犬」が当たり前になってしまった今の人から見れば、狂犬病に罹った犬にも見えるほど、「狂っている」とさえ感じられるほどの、見慣れない「野生」を、生きるために抱えていたのだ。

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さて、本作『野良犬』だが、ストーリーは極めてシンプルである。

『暑い夏の日の午後。若い刑事村上は射撃練習を終え、満員のバスに乗り込み帰路につく。しかし、車内でコルト銃を盗まれたことに気づき、慌てて犯人らしき男を追うが結局路地裏で見失う。コルトには実弾が7発。村上の必死の捜索もむなしく、やがてそのコルトを使った強盗事件が起きてしまう。窮地に追い込まれた村上は老練な刑事佐藤の助けを借り、コルトの行方を追うのだった……。』

「映画.com」・『野良犬』紹介ページより)

要は、エアコンなど無かった戦争直後」の物語であり、本作でも描かれているとおり、まだ「GHQ」が居座っており、酒が「配給」制だった時代の物語である。

そんな、エアコンもない時代の、「おしくらまんじゅう」状態の暑苦しいバスの中で、拳銃訓練から帰えるところだった若い刑事・村上三郎三船敏郎)は、貸与されている拳銃(コルト式自動拳銃)をスられてしまう。それに気づき、慌ててバスを降りたところ、走って逃げていく男を見つけて追跡するのだが、それも見失ってしまう。

(三船敏郎演じる、村上三郎刑事)

拳銃の盗難被害を「警視庁捜査一課」の上司である中島警部に報告して処分待ちをしている間、中島警部の助言を受けて、彼はスリなどの「窃盗犯罪」を担当する「捜査三課」に出向いて、そこでの助言から「手口別の前科者カード」を調べているうちに、バスの中にいた女がスリ師(正確には、作中でもそう呼ばれるとおり、列車やバスなどの乗り物でのスリを専門とする「箱師」)の「お銀」岸輝子)であったことを知り、捜査三課の係長の口利きで「お銀」に接触する。
結果として、すでブツ(スった拳銃)を持ってはいなかった(お銀がスリ盗り、逃げた男にリレーしていたため)したたかな「お銀」の口を割らせることはできなかったが、しつこくつきまとった結果、「お銀」からブツの流れるルートについてのヒントを与えられて、村上は、食い詰め者の復員兵になりすまして場末を歩き回り、拳銃の売人から声のかかるのを待つのであった(※ ちなみに、このシーンは、隠し撮りなどにより、戦後より闇市などの風俗風景をよく捉えらえており、その点で高くも評価されたが、ドラマとしては、やや冗長の感も否めない。しかし、黒澤としては、ここを長くすることで、偶然に頼る、待ちの捜査の困難さを、リアルに表現したのであろう。こうした黒澤特有の冗長性は、例えば『蜘蛛巣城』で、主人公たちが霧に巻かれて迷うシーンなどにも見られる)。

(復員兵になりすまして場末を歩き回り、拳銃の売人の接触を待つ)

その後色々あった末に、捜査三課のベテラン刑事である佐藤志村喬)の助力もあって、拳銃を買った人物の特定にまでは至るのだが、その「遊佐」木村功)という男の行方を追うあいだに、村上の拳銃を使った強盗事件が発生してしまい、2件目の犯行では、ついに死者まで出してしまう。
村上は、自責の念に苛まれながらも、中島と共に遊佐を追い詰めていく。一一というようなお話である。

(物語ラストの泥だらけの逮捕シーン。バックには「対位法」として、場面には不似合いな童謡が流れてきて、逆にリアル感を増している、卓抜な演出)

で、要するに、お話としては、シンプルでもあれば、いささか「単調」でもあるのだが、言い換えれば、ストーリーにおける「ドラマティックさ」は無い反面、それが「リアル」でもあれば、なによりも「登場人物のリアルさ」が本作の持ち味であり、それが作品としての「リアルさ」と「ドラマティックな場面」を支えてもいるのである。

例えば、三船敏郎が演じる若手刑事の村上は、「真面目な若手刑事」というだけで、特に「個性的なキャラクター(性格類型)」を与えられてはおらず、ただ当たり前に、真面目に「自分が盗まれた拳銃」の行方を追うだけだし、彼と、今で言う「バディ(相棒)」を組むことになるベタラン刑事の佐藤も、特に個性らしい個性は与えられておらず、ごく普通の真面目で老練で、家庭にあっては良き父である刑事にすぎない。
また、村上の捜査一課の上司である中島警部も、捜査三課の係長も、みんな当たり前に「良い人」ではあるけれども、それは「殊更に」そうだというのではなく、実に「リアル」であり、現実に「こんな人いたなあ」と、元警察官である私に思わせるような「リアルな人物造形」となっているのだ。

(拳銃の売人の女を取り調べる佐藤刑事。今なら、取り調べ中のタバコを吸わせることも、恵んでやることも許されない)

要は、「村上」「佐藤」「中島」といったネーミングからもわかるとおり、本作における刑事たちは、「ドラマチックに個性的」なのではなく、いかにも「リアル」に造形されており、それは多かれ少なかれ「すべての登場人物」に渡っているのである。

ただし、ひとつだけ言えることは、先にも少し触れたとおり、すべての登場人物は「ごく普通の人間」であって、決して「極悪人」ではない。むしろ大半は「良い人」であるし、いわゆる「良い人」ではなくても、「恵まれない、可哀想な人」なのだ。
そして、「良い人」の代表が刑事たちなら、「恵まれない、可哀想な人」というのは、事件の被害者や被害者家族であると共に、犯人である「遊佐」もまた、そこに含まれよう。つまり、遊佐は「極悪人」ではなく、憐れまれるべき「弱い人間」なのである。

つまり、本作を覆っているのは、黒澤の「ヒューマニズム」なのだ。人間に対する「肯定的目線」なのである。

だから、少々「甘い」という印象もないではないのだけれど、しかし、それは本作の中でも「村上と佐藤の会話」として語られるとおりで、黒澤とて重々承知した上での、「態度選択」の結果だということが窺える。

若い村上が「遊佐は、復員した際に、たった一つの財産だったリュックを盗まれたことから、ついていない生活に流されてしまった男なんです。本質的な悪人ではないからこそ、踊り子の並木ハルミも、あいつに同情して庇うんでしょう。実は、僕も復員した際にリュックを盗まれたから、遊佐の気持ちがわからないでもない。ただ、僕の場合は、その経験があったからこそ、刑事になったんですが」と、そう遊佐への同情を語るのに対して、ベテラン刑事の佐藤は「それはそうかも知れない。誰にだって、色々な事情はあるだろう。だが、同じようにリュックを盗まれても、それで〝世の中が悪いんだ、社会が悪いんだ〟と世を拗ねて犯罪に走る者もいれば、反対に君のような者もいる。だから、犯罪というのは、世の中が悪いで済まされるようなものではない。君の気持ちもわからないではないけれど、しかしそのようにして犯罪に走った者の凶行によって、被害者となる者のいることを、決して忘れちゃいけないし、その意味で犯罪は、理由がどうあれ許されるものじゃない。だから、われわれは、当たり前に犯罪者を憎み、彼らを刑に伏させるんだよ。まあ、こういうことは、経験を重ねるうちに、自然に呑み込めるようになってくるものだ」という趣旨の説諭をするのである。

(レビューの踊り子である並木ハルミは、なぜか捜査に非協力的)

つまり、黒澤明の立場とは、わかりやすく「完全無欠な悪人などというものは(異常者以外には)存在しない。その意味で〝悪い人〟はいないのだけれど、しかし、その犯罪者に、どんなに同情に値する事情があろうと、しかし、他人に犠牲を強いるような犯罪は、決して許せない」といった、ごく常識的な「ヒューマニスト」の立場だったのである。

本作に限らず、黒澤の作品には、こうした「弱者への同情」が基本にあり、しかしながらその一方で「悪には敢然と立ち向かう」という、そんなリアリズムがある。

そして、ここで重要なことは、黒澤明には「語りたいことがあった」という事実であろう。

「ヌーヴェル・ヴァーグ」以降の映画界では、しばしば「映画は、中身ではなく、いかに見せるかである。どんな内容であろうと、見せ方ですべては決まり、同じメッセージでも、伝わる場合もあれば伝わらずに終わる作品もある。だから、映画作家は、文学などとは違って、映像を通して語るのだという点に自覚を持って、いかに見せるかということを最重要視しなければならない」と、おおよそこのようなことが語られ、そうした「態度」が「映画の正統派」として幅を利かせているように、私には見える。
つまり、「メッセージ」や「主題(テーマ)」は、映画においては「二の次」だという態度なのだが一一、はたして、本当にそうなのだろうか?

たしかに「映画」は、「文学」とは違って、「作者が読者に直接的に語りかける」ような形式のものではなく、あくまでも「映像」を「介して」それを行うものだ。映像を介して、それを「行うべきもの」だ、と言えよう。
具体的に言うなら、登場人物が、監督や脚本家の考えである「メッセージ」を、べらべらと捲し立てるような映画は、映画である必要性のない、三流の作品だと言えるのである。だからこそ、まずは「映像ありき」だと、そういうことなのだが、しかし、ここで考えなければならないのは、そもそもそうした「映像オタクたちに、語るに値する思想などあるのか?」という疑問である。

例えば、フランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たち(「カイエ」派)は、当時、平均年齢が30歳ほどであったのだが、そんな「若造」に、そもそも「語るべき思想」などあったのか、ということなのだ。

(佐藤から村上にかかってきた電話の向こうで、銃声が響く)

つまり、彼らが「思想を語る前に映像を」と言ったところで、彼らの考えていた「思想」とは、所詮、多少は「批評家」などもやって見せた、「インテリ」ぶった若者の考える程度の「思想」でしかなかった。
それは、一流の「文学者」や「思想家」や「哲学者」のそれでは、なかったのだ。

だから、そんな彼らが「思想や、それを乗せた物語を語るよりも、映像を重視せよ」と言って、「映像のお勉強結果を反映した映像作品を作り続けただけで、そのうちおのずと、深い思想が語れるようになるものなのだろうか? 思想とは、そんな片手間にでも深めることのできるほど、お易いものなのか?」ということである。

つまり、ここで私が問うているのは、映画における「表現内容の充実が先か、表現手段の充実が先か?」という問題である。

言うまでもなく、「ヌーヴェル・ヴァーグ」以降の映画界は、えてして「表現手段としての映像」が先だ、あるいは「それだけが映画だ」と主張しがちだったのだが、その結果「表現は斬新でも、内容は空疎」な作品が「(映画として)傑作」だと持て囃され、その結果、もともとは「文学畑」である私などから見れば「なんだこれ? しょーもない」という作品が、その「映像表現の巧みさ、のみ」において、高く評価されることにもなっている。

だが、こうしたことは、所詮「井の中の蛙」の自己満足なのではないだろうか。

たしかに、「深いメッセージ」を伝えるためには「的確な表現力」が必要なのだけれど、だからと言って「表現手段」ばかりに傾倒している「オタク」では、語るに値する「深い思想」など持てるわけがないというのもまた、理の当然なのである。

その点、黒澤明には当初から、語るべき思想としての「ヒューマニズム」があった。
それには、いささか「甘い」ところもないではなかったが、とにかく彼の場合は、そうした自身の「信念」を語ることを辞さなかったし、その「メッセージ」を的確に表現できるだけの「映像的美意識」も兼ね備えていた。一一だから彼の作品は(晩年のものは別にして)、万人ウケも可能だったのではないか。
それを「通俗」と呼ぶのは、「語るべき思想を持たない映像オタクの言い訳」でしかないのではないだろうか。

そしてこれは「活字の本も読まない映画オタクが、映画だけ見ていて、何を理解できるようになれるのか? なれるのは知ったかぶりだけの、映画村のオタクだけだろう」と、そう批判的に挑発するのと、同じことなのである(※ これは、「文学世界」における、推理小説オタクやSFオタクら、特定ジャンルオタクたちによる〝我々こそが一番〟アピールと同じことだろう)。

本作『野良犬』を見ていて感じたのは、黒澤の「奇を衒わない真面目さ」であり「常識人」ぶりである。

言い換えれば、黒澤は、独自の「映像センス」を持ってはいたが、それは、「趣味人的」でも「インテリ的」でもなく、まして「映像オタク」的なものでもなかった。

一部の「オタク」に限られた話なのかも知れない。だが、映画ファンは、オタク的な「映像至上主義」に対しても、相応の「知的懐疑」を持ち、いまいちど「語るに値する思想を、真面目に語る」という態度の重要性を思い起こして、それを取り戻す努力もするべきなのではないか。

映画においても、目立つ反逆者たちの「事情」ばかりを見るのではなく、彼らによって「盗まれた拳銃」を取り戻すことも、真剣かつ真面目に考えるべきなのではないだろうか。


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【付録】
『野良犬』における警察描写に関して、私の気づいた二、三の事柄

本作における「警察描写」は、「Wikipedia」でも語られているとおりで、かなりリアルなものである。

『探偵小説の愛読者でもあった黒澤は、ジョルジュ・シムノンを意識したサスペンス映画を作ろうと企画し、新人の脚本家菊島隆三を共作に抜擢し、彼を警視庁に通わせて題材を集めさせた。そこで捜査一課の係長から、警官が拳銃を紛失することがあるというエピソードを入手、それを採用して熱海で脚本を作り上げた。』

こうした取材による、警察に関する「リアル描写」について、元警察官である私の気づいた点を、いくつか書いておこうと思う。

まず、面白かったのは、冒頭の「射撃訓練」だ。
私が現職だった、昭和57年(1982年)から平成を経て令和初頭までの時期も、当然のことながら、警察官であれば、拳銃実射訓練が義務付けられており、それは、だいたい年に2回ほどのものだった。
私が勤務した大阪府警だと、私が若かった頃は、大阪城公園内の一画に、高い塀を回らした露天の射撃訓練場があり、各警察署から2〜10人といった人数が、各署の警察車両で射撃場に集まり、本部教養課に所属する射撃の選手でもある教官の指導のもとに、20発程度の実射訓練を行った。

しかし、『野良犬』では、戦後すぐという設定だから、各署で訓練員の送迎のための車までは出せなかったのであろう、訓練を終えた刑事たちは、各自バスなどで帰署または帰宅している。
その際に主人公の村上は、混み合ったバスの中で拳銃を擦り盗られるのだ。

(射撃訓練を終えて帰る私服警官たち。村上は手にした拳銃をそのまま、扇子も入っている上着の右ポケットにしまう)

ここで興味深いのは、訓練を終えた村上が、小型のコルト式自動拳銃を、無造作に上着の右ポケットに入れて帰る、という点だ。
後のシーンでは、私服警官用の拳銃ホルダーも着用しているから、当時でも、拳銃携帯時には、正式には拳銃ホルダーを使用すべきだったのであろう。だが、なにしろ戦後間もない頃だったせいか、そのあたりがきわめてルーズだった、ということなのでもあったのだろう。

私が知りうる範囲で言うと、少なくとも私のような交番勤務の制服警察官の拳銃保管がうるさく言われるようになったのは、休憩中の交番から盗まれた拳銃が、韓国の大統領夫人射殺事件(文世光事件・1974年)に使用されてからだったと、そんな話であったはずだ。
それまでは、交番で仮眠する際は、拳銃ホルスターや、警棒吊り、手錠ホルダーなど一式の付いた体革(ベルト)を枕元に放り出しておいたり、押入れに入れておいたりという感じだったようだが、この事件以降は、拳銃だけは別にして、据え付けの鍵のかかる(金庫風の)保管庫にしまうようになった。
(※ その後さらに、体革も別の専用保管庫に収納することにもなった。つまり、万事ことなかれ式にどんどん面倒になった。万が一盗難や紛失事案が発生した場合に、その責任問題は、当人だけでは済まなくなり、偉い人も記者会見で頭を下げたり、処分に連座させられかねなくなったからである)。

したがって、拳銃実射訓練に出る際、ホルスターにも入れずに拳銃を携帯するなどということは、私の現職時代にはすでに考えられないことだったのだが、この作品の描いた時代は、その点まだまだのんびりしたものだったのであろう。
実際、当時なら、拳銃紛失あるいは盗難事件があっても、警察内部で内々に処理しただろうから、大ごとにはならなかったし、しなかった。そのため、村上の処分も「減給三ヶ月」だけで、私の現職時代のように、「お前のせいで」と周囲から追い込まれるようなことにもならず、上司たちも鷹揚であり得たのだろう。

ちなみに、大阪府警ではその後、大東市東部の生駒山中に、立派な射撃訓練場が作られ、今はそちらで訓練が行われている。
言い換えれば、昔は、大阪城公園で、「パン、パパパパパパパパーン、パーン!」というような、花火のような銃声が、始終鳴り響いていたわけだが、それに苦情を言うような者は、ほとんどいなかった、ということである(※ 20人ほどが、横並びになって一斉に射撃をするので、上のような音になる)。

あと、この映画で「これは無理だ」と思ったのは、強盗犯が使った拳銃の弾丸に残された固有の「発射痕」(専門用語失念)と、自分の盗まれた拳銃の発射痕を比較するために、村上は射撃場に赴いて、自分の弾を掘り起こすシーンである。
画面が荒くてわかりにくいが、たぶん村上は、自身が狙った射的の木枠に食い込んだ弾丸を、ナイフで掘り起こすのだが、こうした木枠は繰り返し使用されるものだし、隣の者が(下手なために)撃ち込む場合だってあるので、この弾丸が村上のものだと断ずることはできない。だから、うまく自分の撃った弾丸を見つけられる公算は、かなり低い。
ただし、結果として、事件に使用された弾丸と「発射痕」が一致したなら、その掘り起こした弾丸が村上のものだったのだとは言えるだろう。なぜなら、射撃場から見つかる弾丸は、いずれにしろすべて警察官の残したものだからである。

あと、興味深かったのは、村上が、捜査三課の「手口係」の「手口原紙」を調べるシーンだ。壁一面を前後左右に天井まで並んだ小引き出しに収められた紙製カードを一枚一枚手繰りするわけで、今ならコンピュータにデータ入力されており、一発で検索できるのだが、それまでは、なんでもこうしたカード式だったのである。

例えば、交番のお巡りさんは、受け持ち内の一般家庭や事業所を各戸訪問して「巡回連絡カード」を作ってもらう。
一般世帯だと「世帯主と家族の、氏名て生年月日・俗柄・職業・勤務先・勤務先の電話番号」や「自宅の電話番号」とそれ以外の「緊急時の連絡先」などを、基本、当の家人に手書きしてもらう。あくまでも「任意の情報提供」であるというのを、一目見てわかるように担保するためだ。だが私は、書いてもらっていると、時間がかかって仕方がないので、もっぱら任意に聞き書きをしていた。
当然、そうした巡回連絡カードの一部は、大阪府警の交番の一部で、いまも生きて活用されているはずだ。

さて、そのように「巡回連絡カード」を作成すると、それを交番に持って帰って、所定の巡回連絡カード収納庫にしまうのだが、これは地番ごとの小引き出しになっている。
つまり、何人かいる交番勤務員が、それぞれ、A巡査は「朝日町1丁目から3丁目」、B巡査長は「朝日町4丁目から5丁目」といった具合に、番地別に受け持ちを持っており、その担当地区のカードを作成するのだ。

で、かなり前に廃止になったが、昔はこれだけではなく「巡回連絡カード用小標」というのも作られた。
これは縦2センチ横6センチほどの小さなカードで、これに、新たに作成された巡回連絡カードに記載された「世帯主名・生年月日・電話番号・住所番地」を書き込み、これを「世帯主名」の50音順「巡回連絡用小標簿冊」にまとめるのである。そうすれば、住所がハッキリとわからなくても、すくなくとも交番の受け持ち全域については、氏名で検索することができたからだ。
しかし、この小標の作成がとても面倒くさい。手間がかかる割には、滅多に使われない。そのうえ、この小標作成は、義務化されてはいても、まったく評価されないルーチンだったから、私はサボって、あまり小標は作らなかった。他にも仕事はいろいろあったのだ。例えば、交通切符を切るに出るとか、泥棒を捕まえに出るとか、被害届や遺失拾得届の受理、来訪者への道路教示などなど、である。
下に向かって「あれば便利だから、やれ」と言うのは簡単だが、実際には、それらのルーチンをぜんぶ漏れなくこなせるわけではないし、持ち込まれた案件を、基本、拒否できない何でも屋の交番勤務員の場合(それでも私は、たまに「そんなこと、警察でも出来ません」と拒否して喧嘩をしたが)、まったく評価されない、地味な仕事も多々あるのである。

2024722日)

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