記事一覧
偏愛ってなんなんですか
偏愛をテーマに小説を書かなくてはならないわけだが、どうにも偏って何かを好きになったことがない。
恋愛が一番近いのだろうが、おそらくそこまで人を好きになったこともない。他のものを蔑ろにしてまでそのものを愛するような激しい愛を僕は知らないのである。
第一に
偏って何かを愛するとはどういうことか。
まず、そのもの以外の他者はおまけのような人生である。
その者と会うためであるならば、道端で倒れている人
三宮から神戸へ!温泉湯巡りバトル!
早朝、神戸現着。
やってきたぞ神戸。
もっとおしゃれな街かと思っていたが見てみれば道幅の広い新宿-70くらいの街並みがそこかしこに広がっているくらいのものでありまして。というか、駅近くなんてどこもそんなものなのかもしれませんが。
ワクワクするといえば大宮駅周辺のアーケードです。
部活で赴いた際はパチンコ屋とラウンド1くらいしか行かなかったものだが、一種の遊境地としての体裁をなしていたように思い
カスライフ、神戸に着弾
プロローグ
金がねえ〜!!
遊びに行きて〜!!
大学二年の夏、他の友人たちと行く予定だった台湾旅行が部活の予定によって頓挫した私は狭い部屋でVALORANTをしながらそんな嘆きにも似た叫び声を上げていた。
八月ももう半ば、夏らしいことをするには取り返しのつかないような時期になっていたのである。
一人旅に行くには自動車教習所の期限が迫っていたので、他人とちょろっと旅行に行って、その同伴者の誘いを
物思う人の問ふまで。
脆弱で惰弱で凡庸で平均的な君へ。
文才もなく特化もなく水平線のように穏やかでしかし面白みのない非才な僕へ。
文学とはストーリーテラーのみに非ずと気付きはしたものの、自分が突きつめたい道がStorytelling上にあるのだと思い悩む日々が続く。
技法は、足りているか。技能は、極まったか。あれを読むべきかこれを読むべきか、いや時間はあれど今長期的将来的なことに手をつけたくはないと、悩む感情と矛盾した