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川を越えていく

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私の日記を小説風にしてみました。
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記事一覧

■1  知らない男からの電話(1)

■1 知らない男からの電話(1)

電話が鳴る。
仕事の定時にはなっているけれど、お客様対応がなかなか終わらず、Apple watchがブルブルと震える左腕をチラリと見た。

東京03から始まる電話番号の誰かが私に用事があるらしい。

ずっと鳴っている。でも、電話には出られない。

接客が終わり、廊下へでて、iPhoneで着信履歴をみる。見覚えのある下4桁だ。

留守電が録音されていた。聞いてみると、律儀かつ慎重な声で、男性が「また

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■2  知らない男からの電話(2)

■2 知らない男からの電話(2)

「折り返しのご連絡ありがとうございます。わたくし、○○の佐藤と申します。先日受けていただきました、◇◇◇の1次選考の結果がでまして……」

なにやら、先日受けた採用試験の1次選考に通過した、との連絡だった。

「ついては、二次面接を行いたく、ご連絡しました。ご都合をうかがいたく……」と矢継ぎ早に話すその男は、同業独特の堅苦しさを全面に出している。

やはり、その電話だったか。嬉しいような、それほど

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■3  知らない男からの電話(3)

■3 知らない男からの電話(3)

「では、木曜日の午後か、金曜日の午前中でいかがでしょうか」

佐藤という男は、電話で話しているうちに、知らない男から知っている男に変化した。同業のため、旧知の中かと思うくらい、急に親近感が湧いてくる。会ったことはないが、こちらの都合を優先させてくれて、金曜日の午前中に面接の約束をした。

ああ、どうしよう。面接を受けて、採用されるかはまだわからないが、50/50だと思う。万が一、採用されたら、また

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■4  スキンヘッドの男(1)

■4 スキンヘッドの男(1)

「応募します」
私はそう言って、背の高いスキンヘッドの男にもう1件の求人案件に関するエントリーシートを渡した。男は「あぁ…」と言って受け取る。事前にその書類を提出することは予告しておいた。その男は私の上司、ひょろっとしていて、飄々とした男だ。

「例のところ、面接の連絡がきました」そう私が報告すると、スキンヘッドの男は「凄いじゃん」と言って驚いている。A社の1次選考を通過すると思っていなかったらし

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■5  スキンヘッドの男(2)

■5 スキンヘッドの男(2)

スキンヘッドの男の名は高梁。前々から私は、自身の所属するセクションについて高梁に相談していたが、飄々としているせいか、賛同してくれているようにみえて、反対もされているように感じていた。今回のエントリーについても、あまりいい顔をしてくれない。

「あそこはお客様がね、手強いんだ。一筋縄ではいかない方が多いよ。ノルマもあるし。大丈夫?できるの?大変だよ。今のところにいる方がいいんじゃないの?」
その話

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■6 川を越えていく(1)

■6 川を越えていく(1)

その電車は河川橋を渡り、川を越えていく。

あ、ここでひとつの線を超えたかもしれない。大きめの川のような境界線を越えた気がする。10年前にも1度、川の向こうへ超えてみたことはあったけれど、うまく立ち回れなくて、川より手前に引き返したんだった。今度こそ、渡りきってみせる。向こう岸へ行ってみせる。

あかりは、そう思って電車のドア付近に立ちながら、流れる車窓を見ていた。

私の名は、この国では「あかり

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■7 川を越えていく(2)

■7 川を越えていく(2)

「あの…。本日面接に伺いました藤原と申し…」

あかりがそこまで言うと、若い庶務の女が「少々お待ちください」と言って奥に行き、白地に赤い縁どりのマスクをした女が代わりに出てきた。

「こちらへお入りください」
テンポよく事務的に対応する女に着いていくと、会議室のようなところへ通された。

テーブルの上には求人票が置いてあり、席につくなり赤い縁どりマスクの女が説明を始める。早口だけれども聞き取りやす

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■8 川を越えていく(3)

■8 川を越えていく(3)

「藤原灯と申します。本日は宜しくお願いします」
私はそう言って、面接官2人の顔を見て深く礼をした。長い髪がはらりと落ちる。面接官2人もそれぞれ名を名乗る。そして、再び礼をして、席に着いた。

在り来りの面接ではあったが30分間、質問に対して答え、深掘りをされていく面接となった。最後にいくつか仕事内容やノルマについての質問をし、「あぁ、それなら出来ると思います」とアピールして終了した。

手応えはあ

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■9 川を越えていく(4)

■9 川を越えていく(4)

「連絡来た?」
隣の席の水田から聞かれた。
「まだこないですけど、水田さんは?」
「私もまだなのよ」
浮かない表情で水田は答えた。

この時期、同じように人事異動の希望を出した者はソワソワしている。水田も同様だった。

「あそこの課は、面接日の連絡があったそうよ。私たちの課だけ、遅いみたい。やあね、落ち着かないわ」
うん、と私は頷くと、それぞれ仕事に戻った。

この間の第2志望先の面接結果はまだこ

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■10 川を越えていく(5)

■10 川を越えていく(5)

雨の日だった。歩いて本社へ向かう。なぜか私も支店ではなく、本社での面接となった。歩いて20分、いつもの道を歩いていった。途中、小さな川に掛かっている橋を渡る。「あ、また川を越えた…」私はそう思って、探していたものがなにか、気づくことができたように感じた。私はいくつもの橋を渡り、その先にある景色がみたい。感じたい。そんなことを考えながら、本社の自動扉を開けて進んでいく。

庶務へ顔を出すと「あぁ、藤

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■11.川を越えていく(6)

■11.川を越えていく(6)

真ん中の女が言った。
「では、志望理由と自己PRを3分程度でお願いします」
「はい、私は……」

あれこれと話をしていった。真ん中の女に踏み潰されたような顔の二人のオジサンたちにも質問され、回答し、私も質問し、回答され、私自身について、応募しているその仕事について、深掘りしていった形となった。

「あなたが今いる部署のその仕事と、応募しているこの仕事とでは、何が違うと思いますか?」
白髪の男が言っ

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■12. 川を越えていく(7)

■12. 川を越えていく(7)

「面接と選考に時間がかかっているので、申し訳ないのですが延期させていただき、翌月曜日までに連絡します」
面接官だったその男がそう言うので、私は「はい」と言い、電話を切った。

嫌な週末だな。モヤモヤしながら、過ごさないといけない。できれば受かりたい、という思いと、できれば受かりたくない、という思いが拮抗している。私はひとり、はぁ~とため息をついた。

休憩時間に隣の席の水田から、結果について聞かれ

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■13.川を越えていく(8)

■13.川を越えていく(8)

「先日の面接の結果のことですが…採用です」
簡潔に用件を伝えてくれた。私は一瞬驚いて、間をあけてから静かな声で
「ありがとうございます」
と答えた。

電話を切ると、ポカンと口をあけてその場に佇んだ。しばらくしてハッとし、現実に引き戻された。

や、やった…。4月から新しい生活が始まる。少し勤務時間が変更したり、通勤時間が増えたりするけど、給与があがる。新しい環境で、新しい仕事を覚えられる。そう思

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