ヨルシカの春ひさぎについて考えたこと

ヨルシカさんの春ひさぎについての考察です。

春ひさぎ=春陽はるひ詐欺さぎ とすると
陽炎、春の陽が見せる幻に騙される と思えます。

陽炎のゆらゆら揺れるのは音の波が揺れるようで、音楽に合わせて踊っているみたいだなと。

MVの概要欄より、春ひさぎは「商売としての音楽」のメタファーです。
大衆に寄せた、綺麗に言語化された音楽(陽炎)で詐欺をする、商売をするってことかなと。

商品として自分を安売りすることを、短命な蜻蛉に喩えてる気がします。

陽炎や=陰牢屋(かげろうや) とすると
春をひさぐ(自分を安売りする)ことで、表面(陽)は明るくとも、内面(陰)は牢屋のように閉ざされるのかなと。
「悲しい事無しの愛だけ」歌って表現していたら、反動で心(内面=陰)は悲しみの牢屋に囚われそうです。


最初の歌詞「大丈夫だよ大丈夫 寝てれば何とかなるし」は、盗作おじさんの妻が病に伏しているのかなと。
短命な蜻蛉(カゲロウ)は、早くに亡くなった妻の比喩と取れます。
蜻蛉(カゲロウ)の見た目は蜻蛉(トンボ)に似ています。
カゲロウの表記が蜉蝣ではなく蜻蛉、つまりトンボと同じ漢字にしているのは、トンボのようでトンボじゃなかったって事かなと。
トンボのようにある程度長く生きていけると思ったのに、カゲロウみたいに亡くなってしまった、
だから春陽詐欺だ、と取れる気がしました。(春陽→陽炎→カゲロウ)
春のように二人の日々が始まっていくと思ったのに、実際は終わりの秋だったという。

楸(ひさぎ)という植物があるようです。
春ひさぎ=春楸、とすると春と秋があって
陽炎(春の季語)と蜻蛉(秋の季語)に掛かってる気がしました。


春ひさぎには「詮の無いことばかり聞いてられないわ」と「詮の無いことだって聞かせてもっと」など、意味が真逆の歌詞があります。
表側と裏側、陽と陰があるのかなと。
トンボのように見えたのは陽炎のまやかしで、妻の命はカゲロウのように儚かったと。

かげろう=陰ろう=陰に移ろう とすると
夜になって行く、大人になって今日を忘れていくのかなと思いました。



曲名の由来「春をひさぐ」を踏まえると、『花人局』と繋がっていそうです。

『花人局』の「夕焼けをじっと待っている」は、春陽(はるひ)を待っていると取れます。
「浮雲掴むような花人局」は、亡くなった妻が陽炎のようにぼんやり見えているのかなと。
亡くなった妻はもう帰ってこないから、春陽詐欺(春ひさぎ)だと取れそうです。
「その温もり一つ残して」の温もりは、陽炎のような熱、幻なのかもしれません。


春ひさぎの「おくんなまし」は花魁言葉で、花魁はぽっくり下駄を履くみたいなので、
『ブレーメン』MV3分前後のぽっくり下駄の人に繋がると思いました。

『ブレーメン』の「愛の歌」は、
春ひさぎの「悲しい事無しの愛だけ歌っておくれ」に掛かってる気がしました。
歌詞に「言勿れ」とあるので、「事無し」は事勿れに掛かっていそうです。

「終いは口付け一つが善いのも言わない方が増し」は、
ブレーメンMV3分10秒前後で、ぽっくり下駄の人が爪先立ったこと(口付けしたと取れる動作)に繋がりそうです。

「左様な蜻蛉」を左様なら(さようなら)した蜻蛉とすると
(蜻蛉は短命なので)亡くなった妻のことかなと。
ブレーメンMVで、妻と思われるぽっくり下駄の人は、左から来ますし。


春ひさぎ「詮の無いことだって聞かせてもっと」は、言葉で全部表せなくても聞かせて、って事かなと。
詮=言+全 と取れるので。
『レプリカント』の「言葉で全部表して〜それでも空は酷く青いんだから」に繋がります。
あと、春ひさぎからは脱線しますが、
レプリカント「他人の為に生きられない」=偽物じゃいられない って事かなと。
偽=人+為 と思えるので。

以上です。