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この社会で子どもを育てる

私はこの社会の現状について、完全に傍観者として生きていたことに気付いてしまった。
 
この世の中では、子供の自己決定が許容できる社会造りは一切されてはなくって、子供に無理強いしないといけないような状態になっている。

お金を稼がないと暮らせない社会なので、父親は家族から離れ働きに出ていく。
場合によっては母も働きに出て、暮らしのためには子供の自己決定なんて論外のような状態になっていたり。
もしくは母親が家事とワンオペ育児を両立して母にも子にも無理強いしてキャパオーバーになっていたりする。

街は見通しの悪いように建物が建てられたり、道路には車が走り、子供がフラフラ歩いてることの方が危ない。と親を責める社会。

蟻や蜂の社会では子供を守り育てることを目的としているけれど。
現代の人類は子供ではなくお金を優先にして社会が作られている。

私はこの事について、完全に傍観者として生きてきた。
「だって社会がそういうものなんだから、どうしようもないよ」って諦めて社会に屈してきた。

だって恐かったから。
声を上げたら、人々の中にある鬼が騒いで批判されるんじゃないかって思ったら恐くて仕方なかった。
なんなら今も恐いよ。

私はこの社会をそのままにした当事者であるにも関わらず、傍観者として逃げていたんだ。

じゃあ今それに気づいたけれど、この社会で2人の親としてこれからどうするか?

それぞれ自由に振る舞う子供2人と共に暮らしの全てを放棄して一緒に遊んで、後から私を責めてくるあらゆる全てのモノに私は何も反論せずに穏やかにそこにいれるのか…?

そんなこと物理的にも振る舞い的にも私にはできない。。

この社会で私は無力だ。
そしてこんな社会をそのままにしてきた私自身の失態にうちひしがれた。

なので。
私は前を向くことにしました。
もう傍観者はやめよう…。
この社会をそのままにしてきた当事者として、これからを生きよう。

だから、自分の子供たちが子供であるうちに間に合わなくとも、未来の子供達がもっと安心して、周囲の大人や社会に無理強いさせられたり、自分らしさを殺すことなく、この地球でのびのびと生きられるように…
そこを目指して。改めて、少しずつでも良いから前に進もう。

だからこれからは…
私は子供達に屈服させない。
子供達に私は屈服しない。

私達は、生まれてきたその時から。
親に毎日毎日…日常的に屈服させられながら育ち、今までされてきた事を2才くらいになったらそれをただ真似をする。
そのうち、この流れで自然と人を屈服させる方法を学び、人をコントロールする技を覚える。

他者の要求をのみ(屈服して)
自分の要求をのませようとする(屈服させる)

これが、もう本当に当たり前すぎて、これのどこが良くない事なのかもわからなくなるほどに自然な考え方になる。

自分が感じる「嫌」な感情を人や環境のせいにして「それ、嫌だからやめて」とアプローチすることで、他者や環境を変えさせて自分の心地よい状態を作ることが相手を屈服させることだなんてまさか思い付きもしない…。

他者の要求をのみ込み、それに答えることが優しさであり愛だと錯覚するようにさえなってしまった。

それゆえに、自分の思い通りに屈服しない他者は悪者として「自分はこんなに屈服したのに!(私は悪くない)屈服してくれないあいつは悪い」と判断して他者を排除する。

こんな技を、私達は生きていく上で覚える必要があったのだろうか?

他者を屈服させて思い通りに動かす技を覚えるよりも。
自分を嫌な気持ちにさせるモノを排除することを覚えるよりも。
自分の人生をクリエイションしていくことの方が大切だと思った。

それは、自分自身の意図の具現化や自己決定をスムーズに行える状態にあるということ。

だから、この屈服の考え方や技が構築される1番基盤となる親子間を真剣に取り組むことにした。

「社会や他者に屈しなくても、相手を屈服させなくても、社会で自分らしさを失わないまま他者と仲良く生きていけるんだ」という事を理解した人達が増えたら社会は間違いなく変わる。

子育ては地域や社会や国、地球を育む事と直結している。

目の前の子供を置き去りにしてはいけない。

子供の意図の具現化力、自己決定力を大切に育む事が私が望む未来の地球に繋がる。

身一つで子供ら二人を見るのは物理的に無理があるけど。
私のできる範囲でやる。

そう決めた。

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