本能寺の変1582 【 重史 20 】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【 重史 020】『信長公記』
←はじめに ←目次 ←【 重要史料 】 ←
→重要 ◎目次
→重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次
→テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次
→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親
→その一因 目次
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【 人物 】
*加筆修正
【 重史 020】 ◎第74話 ◎小74
中国備中へ、羽柴筑前守相働き、 『信長公記』
天正十年1582、五月。
中国備中へ、羽柴筑前守相働き、
すくも塚の城、あらあらと取り寄せ、攻め落し、数多討ち捕り、
並びに、ゑつたが城へ、又、取り懸け侯ところ、降参申し、
罷り退き、
高松の城へ一所に楯籠るなり。
又、高松へ取り詰め、見下墨(みさげすみ)、
くも津川・ゑつた川、両河を関切り、水を湛へ、
水攻めに申しつけられ侯。
芸州より、毛利・吉川・小早川、人数引卒し、対陣なり。
(『信長公記』)
→【 重 史 021】
⇒ 次へつづく
NEW!!
目次 が更新されました。
これで、全体像がよくわかる!!
毎日更新!!
原因・動機の究明は、この一歩から!!
重要 ◎目次 が更新されました。
「本能寺の変」
原因・動機は、この中にあり!!
ご注目下さい!!
テーマ別 目次 が更新されました。
視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!
見えてきたもの 目次 が更新されました。
これで、さらに、一歩、近づいた!!
ご期待ください!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?