本能寺の変1852 その一因 一、武田効果 第115話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
その一因 一、武田効果 第115話
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【シリーズ】信長の甲斐侵攻
その一因 一、武田効果 第115話
【参照】その一因 一、武田効果
【参照】信長の甲斐侵攻 5潮目の変化
◎第115話 ◎小115 ◎P115 通し 第115話
天正十年1582、三月十七日。
信長は、天竜川に沿って伊那谷を北上した。
飯田 → 飯島。
移動距離、凡そ八里24km。
信長は、松井友閑へ戦勝を伝えた (①~⑪) 。
友閑は、堺の代官である。
①穴山梅雪は、内通していた。
梅雪(信君=のぶただ)は、すでに、妻子を甲府から下山舘に避難させて
いた(山梨県南巨摩郡身延町下山)。
②勝頼の首。
小山田信茂の裏切り。
③典厩信豊の首。
下曽根浄喜の裏切り。
④仁科信盛の首。
奮戦すれども、虚し。
⑤歴々の者ども。
信長は、その多くを殺害した。
⑥土岐頼芸他。
かつて、信長に敵対した者たち。
武田氏が彼らを庇護していた。
土岐頼芸・織田信賢・織田信安。
これは、追放。
佐々木承禎の子次郎(不明)・若狭の武田五郎(不明)。
これは、切腹。
⑦我ながら驚き入る計りに候。
信長は、瞬く間に、四ヶ国を手に入れた。
これには、自身も、驚いている。
此の如く、卅日・四十日際(きわ)に、一偏に属するの事、
我ながら驚き入る計りに候、
(「武家事紀」「織田信長文書の研究」①~⑦/⑪)
信長は、己の勢威を再認識した。
すなわち、織田の武威・威光。
「これ程までとは」
圧倒的な強さ。
「戦わずして勝つ」
勝頼の首。
「あの武田」、でさえ。
最早、この国(日本)に、信長に、対抗し得る勢力は存在しない。
ならば、・・・・・「次」。
「天下布武」は、目前にあった。
光秀も、驚いた。
光秀は、洞察力に優れている。
「これまでとは、違う」
そう、感じた。
ならば、・・・・・。
「早まる」
中国出陣は、近い。
ここで、潮目が変わった。
流れは、東から、西へ。
初めは、静かに、緩やかに。
だが、それは、次第に、加速して・・・・・。
やがて、激流となる。
光秀は、これに翻弄されることになる。
信長は、鋭い感覚の持ち主だった。
「機を見るに敏」
この変化を見逃さず。
「武田効果」
いよいよ、頭脳が冴えわたる。
「時節到来」
その時が来た。
そう、思った。
光秀の心の内には、大きな不安が湧き上がった。
土佐の事。
「それまでに」
間に合うだろうか。
光秀は、石谷頼辰(よりとき)を土佐に派していた。
長宗我部元親との最終交渉。
何としても、聞き容れてもらわねばならなかった。
光秀は、毛利に、武田を重ね合わせた。
毛利は、武田の二の舞となる。
中国の事。
安芸の毛利。
光秀は、武田の滅びゆく姿をその目で見ている。
これを、毛利に重ね合わせた。
信長と同じ目線である。
これとて、武田に同じ。
さ程、時間はかかるまい。
二の舞となるだろう。
ならば、その先は、・・・・・。
信長の「さらなる夢」。
信長は、大いに満足していた。
すべてが、順調。
予定通り。
そう、確信していた。
なれど、戦国の世。
「一寸先は、闇」
「好事、魔、多し」
何が起きるかわからぬ時代だった。
⇒ 次へつづく
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