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本能寺の変1582 その一因 一、武田効果 小114 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、武田効果 小114 

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→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
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その一因 一、武田効果 第114話

 【参照】その一因 一、武田効果
 【参照】信長の甲斐侵攻 4勝頼の首
     ◎第114話 ◎小114   ◎P114  通し  第114話

 同、三月十四日。
 信長は、浪合に着いた。          ◎第114話『信長公記』
 信長は、ここで、「勝頼の首」と対面した。 ◎第114話『信長公記』
 光秀も、「勝頼の首」を見た。
 信長は、戦後の処理について考えた。

 三月十五日、飯田、着。
 信長は、飯田で、「勝頼の首」を晒した。  ◎第114話『信長公記』
 信長は、武田の滅亡を近隣諸国に知らしめた。◎第114話『信長公記』
 武田信豊の最期。             ◎第114話『信長公記』
 信豊の首。                ◎第114話『信長公記』
 信長は、勝頼の乗馬大鹿毛を信忠に与えた。 ◎第114話『信長公記』
 信忠は、自慢の後継者だった。
 信長は、武田の消滅を実感した。      ◎第114話『信長公記』
 信長は、執念深い。
 「三方ヶ原の合戦」
 信長は、勝頼の首を京へ送った。      ◎第114話『信長公記』
 長谷川宗仁は、首の配達人。

 「噂」が、諸国を駆け巡った。
 
「あの武田が」、・・・・・。
 滅ぼしたのは、織田信長。
 朝倉、浅井、公方義昭、本願寺。
 のみならず、今また、武田。
 「次は、毛利」、・・・・・。
 刃向かう者は、殺される。
 「恐ろしき男」、・・・・・。
 最早、この国に、信長に逆らう者などいない。

 これすなわち、戦争抑止力。
 「戦わずして勝つ」
 信長は、最大の武器を手に入れた。
 「百万の味方を得たに同じ」
 正に、独擅場。
 信長に、並び立つ者、これなし。

 これが、「武田効果」。

 武田は、瞬く間に、滅び去った。
 信長は、己の勢威を再認識した。
 それが、強い自信となった。
 「次は、毛利」
 そして、確信した。
 「天下布武は、成る」

 その矢先に、事件が起きた。


 同、四月二十一日。
 信長、帰陣。
 光秀、同。

 信長は、夢の中にいた。
 
安土。
 
大遠征の直後である。
 まるで、雲の上を歩くが如し。
 夢か、現実(うつつ)か、・・・・・。
 おそらく、その様な感覚の中にあったのではないか。

 信長は、目的意識の強い男。
 
信長は、この年、四十九歳。
 来たる年、ちょうど、五十歳。
 「人間五十年」
 信長は、これを、人生の一区切り、と考えた。

 そして、「さらなる夢」へ。
 これが、信長の志向である。
 光秀のそれとは、相容れぬものだった。

 光秀は、焦燥していた。
 
坂本。
 使者の出発が、正月十一日。
 以来、すでに、四ヶ月が経過し、五ヶ月目に入っていた。

 一、土佐の長宗我部、・・・・・。
 一、石谷頼辰の帰還、・・・・・。
 一、最悪の場合、・・・・・。

 事態急変。
 時代は、急激に変化していた。
 ① 五月七日、四国出陣命令。
 ② 〃十七日、中国出陣命令。

 その発動日が六月一日だった。

 ここに、「間に合わぬやもしれぬ」という問題が、急浮上する。
 そして、その可能性が、次第に、色濃くなっていった。

 この頃である。
 「足蹴事件」 (フロイスの『日本史』) 。
  
①②に関連して、起きた事件と思う。

 おそらく、①について。
 光秀は、信長に、出陣の延期を懇請した。
 しかし、信長は、これを容れず・・・・・。

 五月十七日。
 光秀、安土より坂本に帰城。

 同二十六日。
 光秀、坂本から亀山へ。

 同二十七日。
 光秀、愛宕山へ参詣。
 同二十八日。
 西坊にて、連歌興行。
 「時は今、あめか下なる五月哉」

 石谷頼辰、未だ、帰らず。
 結局、間に合わなかった。


 
斯くなれば、「万事休す」
 最早、打つ手はない。

 同二十九日。
 
五月は小の月、この日が月末である。
 信長、上洛。

 信長の油断。

 光秀は、四囲を見渡した。
 
柴田勝家、・・・・・。
 滝川一益、・・・・・。
 羽柴秀吉、・・・・・。

 六月一日。
 光秀は、軍勢の一部を、中国へ向けて出発させた。

 光秀の決断。

 同二日未明、「本能寺の変」。



 ⇒ 次へつづく

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 「本能寺の変」
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