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エッセイ『サン=テグジュペリからのメッセージ』~何度も、何度も、星の王子さまを読もう


(*ネタバレあり。過去作品を加筆修正しました)

私は絵本が大好きで、かつて絵本作家になりたかった時期がありました。童話を書いたこともあります。今も色々な絵本に思い入れがあるのです。あおくんときいろちゃん、はらぺこあおむし、ディック・ブルーナのミッフィーシリーズ、バーバパパシリーズ、ぐりとぐらシリーズ、花さき山、グリム童話、アンデルセン童話、挙げればきりがありません。

特に星の王子さまは私の大切な一冊で、永遠のバイブルです。絵本や児童文学は子供のものと思われがちですが、年齢や経験、その時々の心境によって味わいが変わってゆくのです。大人になってから再度、英語版と日本語版を買い直して、星の王子さまを読み返しました。内容が記憶よりも深かったことに驚きました。内容が詩的で哲学的なのです。二十代から本格的に散文詩や現代詩、ショートショートを書くようになったので、再度、読み返してみたのですが、新しい発見がいくつもありました。そして今でもたまに読み返すのですが、その度にまた新しい発見があります。読み手としても、ひとりの書き手としても、何回読んでも、ぐっとくる愛読書です。

星の王子さまとの出会いは、保育園に通っていた子供の頃でした。絵本と図鑑は、母がたくさん揃えてくれていたので、親が仕事で留守の時などに、よく夢中で絵を描いたり、絵本を読んでいました。母方の伯母さんが海外のカラフルな絵本をプレゼントしてくれるので、いつも伯母さんの絵本を楽しみにしていました。星の王子さまも、谷川俊太郎氏訳のマザーグースも、伯母さんがくれました。

星の王子さまには、心に響く言葉がたくさんあります。一番好きなフレーズは、狐が王子さまに言った「本当に大切なものは、目に見えないんだよ」という言葉です。大人になればなるほど、目に見えるものだけにとらわれてしまうのです。数字、計算、地理、文法、歴史、成績、学歴、経歴、職歴、肩書き、容姿、収入、地位、資産、条件、解説文……、ほんとうに慣れってこわいですよね。

私は昔から、ひとり遊びが得意で、空想ばかりしていました。小さな頃から、目に見えない大切なものたちが親友でした。でも段々と目に見えないものを大切にしている私は、大人や周りの人間と上手くやっていけなくなり、孤立してゆきました。

サンタクロースや妖精やピーターパンなどの逸話が大好きで、今も心のどこかで信じています。茶化して、《「妖精なんかいない」と言った瞬間、どこかで妖精が死ぬ》という話をしていましたが、今でも結構、本気で信じています。いい年して、イタい奴と思われるのが恐くて、ずっと冗談交じりに言って、笑われていましたが、実際に本気でそういうことを大事にしています。存在する、しない、ではなく、信じること、そして想像することが大切なんです。
 

うわばみの絵

それは星の王子さまの冒頭のうわばみの話にも絡んできます。うわばみの絵が帽子にしか見えなくなったら、それは退屈な大人になった証拠です。初めてうわばみの絵を見た妹は、何とうわばみの絵を「道」だと言いました。妹は勉強はできませんが、素晴らしい感性をしているな、と感動しました。しかし私は帽子には見えないが、何度も読んでいるので、うわばみの絵だという先入観で、心が曇っていたのかな、とショックを受けました。本当にこころの目は、曇りやすいですよね。私は退屈な大人になるのが、何よりも恐ろしいのです。

三年前に読み返して、色々と考えさせられたのが、王子さまにとっての薔薇。それは友達だったり、恋人だったり、家族だったり、色んな解釈ができます。失って初めて気づく世界でたった一輪の薔薇。近くにいた時は、薔薇には棘があって、薔薇はわがままばかり言っていました。昔は妹も荒れていて、わがままばかり言って、両親や私の悩みの種でした。しかし近過ぎて、わからないことがたくさんあるんですよね。

王子さまは薔薇とけんかして、一度、自分の星を出て行きますが、後から薔薇について、語り手である‘”ぼく“に色々と語ったりしますし、その他大勢の薔薇が咲き乱れる庭でのやり取りは、心に沁みます。また狐が星の王子さまに、薔薇のためにかけた王子さまの時間や手間暇が薔薇を特別なものにしていると諭す所も頷くことしきりでした。

「あんたが,あんたのバラの花をとても大切に思っているのはね,そのバラの花のために,ひまつぶししたからだよ」
(中略)
「人間っていうものは,このたいせつなことを忘れてるんだよ。だけど,あんたは,このことを忘れちゃいけない。めんどうみたあいてには,いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ,バラの花との約束をね……」とキツネはいいました。

『星の王子さま』より 

薔薇と星の王子さまにまつわる話は、愛の奥深さと難しさも感じますし、単に愛する、愛されるだけではなく、『愛』という概念について色々と考えさせられます。星の王子さまが自分の星を出て行くときの薔薇とのやり取りは、まるで恋愛ドラマのようです。そして星の王子さまは少し後悔もしているようでした。

「ぼくは,あの時,なんにもわからなかったんだよ。あの花のいうことなんか,とりあげずに,することで品定めしなけりゃあ,いけなかったんだ。ぼくは,あの花のおかげで,いいにおいにつつまれていた。明るい光の中にいた。だから,ぼくは,どんなことになっても,花から逃げたりしちゃいけなかったんだ。ずるそうなふるまいはしているけど,根は,やさしいんだということをくみとらなけりゃいけなかったんだ。花のすることったら,ほんとにとんちんかんなんだから。だけど,ぼくは,あんまり小さかったから,あの花を愛するってことが,わからなかったんだ」

『星の王子さま』より

与える愛の深さや離れて初めて悟った花の良さなどをこの台詞に感じました。

私には今、恋人も子供もいないので、妹が私にとっての薔薇です。二十歳か二十一歳でけんか別れしたままで、当時は悲しみも憎しみも悔しさもありましたが、離れて初めて気づくことばかりでした。今は四年前から、また一緒に暮らしだして、貴重な時間を過ごしています。ささやかな料理を一緒に作ったり、一緒に食べたり、同じ時間を過ごせる幸福を噛みしめています。
 
友情や友達というものについても、深く考えさせられます。星の王子さまを好きになった”ぼく“の変化についても書かれています。星の王子さまに書いてやった羊の絵の話が私は大好きです。羊の絵をきっかけに仲良くなって、“ぼく”と別れるまで色んなエピソードが出てきます。そしてやはり狐の存在ですね。友だちと仲良くなるということやその素晴らしさ、仲良くなった後の離別の悲しさ、しかし友だちにまつわる記憶があるが故のそれまで見慣れた風景や景色の中に思い出す友だちの良さ、美しさ、などを狐が教えてくれます。狐は愛情や友情や哲学的なことを実にシンプルに、しかし深く説いてみせてくれます。

星の王子さまは、現代風刺もたくさん孕んでいます。星の王子さまは、色んな星を巡ります。計算ばかりしている大人の惑星、偉そうな王様の惑星、実業家の惑星、うぬぼれ男の惑星、呑み助の惑星、毎日、明かりを灯して、明かりを消す点灯夫の惑星など。私はその色んな惑星の話を読むうちに、胸が熱くなって、泣いてしまいました。

早く大人になりたいと背伸びしていた少女時代の私からしたら、今の私はどんな大人に見えているでしょうか。今も私の胸の小部屋には、空想が大好きで真っ直ぐだった頃の幼いわたし、が棲んでいて、時々、大人になってしまった私を責めてきます。そんな切なさもあって、私はぽろぽろ、と涙をこぼしてしまったのでしょう。

砂漠の井戸の話も、ぐっと胸に迫ります。‘‘ぼく’’と王子さまは喉がカラカラに渇いて、泉を探して歩き回ります。そしてくたびれて、腰を下ろします。王子さまは『星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるからなんだよ……』と言い、続いて『砂漠は美しいな……』と言うのです。文章は続きます。

砂山の上に腰をおろす。なんにも見えません。なんにも聞こえません。だけれど,なにかが,ひっそりと光っているのです……
「砂漠が美しいのは,どこかに井戸をかくしているからだよ……」と,王子さまがいいました。とつぜん,ぼくは,砂がそんなふうに,ふしぎに光るわけがわかっておどろきました。

『星の王子さま』より

そして夜が明ける頃、二人は砂漠のなかで、村にあるような井戸を見つけ出して、さびついた車を回して、何とか苦労して、“ぼく”は王子さまに水を飲ませます。

ほんの子どもだったころ,ぼくは,ある古い家に住んでいたのですが,その家には,なにか宝が埋められているという,いいつたえがありました。もちろん,だれもまだ,その宝を発見したこともありませんし,それをさがそうとした人もないようです。でも,家じゅうが,その宝で,美しい魔法にかかっているようでした。ぼくの家は,そのおくに,一つの秘密をかくしていたのです……
「そうだよ,家でも星でも砂漠でも,その美しいところは,目に見えないのさ」と,ぼくは王子さまにいいました。
「うれしいな,きみが,ぼくのキツネとおんなじことをいうんだから」と王子さまがいいました。

『星の王子さま』より

この家の箇所の表現は、よく伝わってくる気がしませんか?

最後に‘’ぼく‘’と王子さまの別れの場面は、感動的です。仲良くなってしまった‘ぼく‘’’との別れが辛くて、王子さまは夜、こっそり足音も立てずに出かけて、姿をかくそうとします。しかし‘’ぼく“は後を追います。

「こないほうがよかったのに。それじゃつらい思いをするよ。ぼく,もう死んだようになるんだけどね,それ,ほんとじゃないんだ……」
(中略)
『ね,とてもいいことなんだよ。ぼくも星をながめるんだ。星がみんな,井戸になって,さびついた車がついてるんだ。そして,ぼくにいくらでも,水をのましてくれるんだ』
(中略)
そして,こんどは王子さまもだまってしまいました。泣いていたからです……

『星の王子さま』より


王子さまは‘’ぼく”と仲良くなってしまい、離別がこわくなります。でも王子さまには薔薇への責任や約束があります。この場面には、ひとが避けられない出会いと別れの宿命や喜怒哀楽、一期一会を感じます。

「さあ……もう,なんにもいうことはない……」
王子さまは,まだ,なにか,もじもじしていましたが,やがて立ちあがりました。そして,ひとあし,歩きました。ぼくは動けませんでした。
王子さまの足首のそばには,黄いろい光が,キラッと光っただけでした。王子さまは,ちょっとのあいだ身動きもしないでいました。声ひとつ,たてませんでした。そして,1本の木が倒れでもするように,しずかに倒れました。音ひとつ,しませんでした。あたりが,砂だったものですから。

『星の王子さま』より


そして六年後、‘’ぼく‘’によって、王子さまが自分の星に帰ったことは、よく知っています、と語られていきます。夜が明けたとき、どこにもあの身体が見つからなかったからだと言うのです。
  

空をごらんなさい。そして,あのヒツジは,あの花をたべたのだろうか,たべなかったのか,と考えてごらんなさい。そうしたら,世の中のことがみな,どんなに変わるものか,おわかりになるでしょう……
そして,おとなたちは,だれにも,それがどんなにだいじなことか,けっしてわかりっこないでしょう。

『星の王子さま』より


そう、目に見えないことを心の目で見る大切さです。そしてその大切なことを忘れた大人たちへの皮肉と批判。

そして一番最後のページには、王子さまが地球に現れて消えたアフリカの砂漠とひとつのほしの絵が描かれています。 

これが,ぼくにとっては,この世の中で一ばん美しくっで,一ばんかなしい景色です。
(中略)
王子さまが,この地球の上にすがたを見せて,それからまた,すがたを消したのは,ここなのです。 

『星の王子さま』より


そしてもし王子さまに会ったら、王子さまが戻ってきた、と、‘’ぼく‘’に一刻も早く手紙を書いてください……と締めくくられます。なんて美しく悲しいおはなしかつ長編散文詩のような作品なのでしょう。結末がわかっていても、その素晴らしい輝きには、今も胸が締め付けられます。

是非、星の王子さまをよく知っていらっしゃる方も、読んだことがない方も、何度も、何度も、細かい箇所を読みこんでください。完全にこころの目が曇ってしまわないうちに、サン=テグジュペリの静かなサイレンに耳を傾けてください。本文を読む前も読んだ後も、何回も献辞を読み返して下さい。絵本は子供だけのものではありません。幅広い世代や色んな国や色んな経歴を持つ方に向けた大切なメッセージが詰まっています。

作者のサン=テグジュペリはフランス人ですが、一度、アメリカに亡命しています。そして母国の親友に星の王子さまを捧げています。星の王子さまには、作者の静かな叫びがたくさん潜んでいるような気がしてなりません。

おとなは,だれも,はじめは子どもだった。(しかし,そのことを忘れずにいるおとなは,いくらもいない。)そこで,わたしは,わたしの献辞を,こう書きあらためる。

      子どもだったころの
      レオン・ウェルトに

『星の王子さま』献辞より抜粋

全世界のあらゆるひとへ、自戒もこめて、どうか目にみえるものだけに、とらわれてしまわないで下さい。

〈大切なものは、目に見えないのですから…〉


#創作大賞2023 #エッセイ部門

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