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健康な体があればいい
いつもの日常、旅行、スポーツも、楽しむためには健康が大切である。
「健康な体があればいい 大人になって願うこと」
これは、BUMP OF CHICKENのHAPPYという曲の歌詞である。
20歳になった今、この歌詞に深く考えさせられる。
自分にとって1番大切なものは?
本当に必要なことは?
最低限あればいいのは?
答えは健康なのかもしれない。
世界一健康な大学生のルール睡眠、食事、運動
買い物の失敗から学ぼう
誰しもが買い物をした経験はあるだろう。
その買い物は成功か、失敗か。
正解はどちらでもなくグレーである。
見方しだいで成功にも失敗にもできる。
「パラダイム・シフト」
見方を変えよう。
次また同じ失敗をしなければいい。
そして今を大切に生きる。
幸せを感じて、歩く。
音楽を聴きながら、踊る。
本当に必要なモノは?
欲しいモノは?
求めるモノは?
自分と対話する。
手に入れなければ、捨てなくて済んだのに。①
自分がなぜミニマリストを目指しているのか。
それは、幸せを追求するためである。
余分なモノは削ぎ落として、本当に必要なモノ、大切なモノを見つける旅に出ているのだ。
ミニマリストを目指す上で必要なことといえば、まずモノを捨てること。
モノを捨てるとは
どうしてモノを捨てることになったのかを考えたことはあるだろうか。
それは、モノを手に入れてしまったからである。
手に入れることがなければ
ついに、ついにテレビを手放した
ミニマリストとしては手放しておきたいけど、なかなか取りかかれないものランキング1位のテレビをこのGWに手放すことに成功しました。
その成果と経緯を記しておこうと思います。
なぜテレビを手放そうと思ったか
一つ目の原因として、テレビのサイズ感がとにかく小さかった、ということです。
一人暮らしを始める上で、そんなにお金をかけられなかったので、2番目に小さいくらいの、20インチ?のテレビを購入し、
大震災が明日くると自分だけが知っていたら
まずは家族や友人などに明日地震がくることを伝えるだろう。しかし、誰も聞く耳を持ってくれない。どれだけ一生懸命に説明しても、ただ馬鹿にされるだけだ。
明日来る大震災の規模が、東京が壊滅するくらいの規模だと考えてみてほしい。
死者は何千、何万人にも及び、津波、火事、ガス漏れ、ありとあらゆる最悪の事態が重なって起きる。
時間がない中で何ができるかまず電気が使えなくなる。スマホの充電だけはしておこう
自分にとって「最低限」で生きる⑤
「今」使っていないものの次に減らしたのは、「今」使っているものである。
日常を常に疑うまずバスタオル。これはミニマリストとして持っているわけにもいかず、使っていたけど手放した。
バスタオルは個人的に好きだったので、あんまり手放したくなかったが、とりあえず使わないボックスへ。
結果として、手放して大正解。タオルが小さくなった分、場所がいらなくなったし、洗濯の量も減った。
つぎにお風呂のいすを
自分にとっての「最低限」で生きる④
一人暮らしを始めて、まず最初にAmazonプライムに入った。便利さの面から言えば正解だったが、環境問題を通してみれば失敗だった。
Amazon禁止令学生であれば、月250円で何度注文しても送料がかからない。それゆえにまとめてではなく、お急ぎ便でなんども注文してしまった。
ボタンを押すだけなので必要のないものを、検討なしに買ってしまう。
結果として、配送回数が増え、段ボールがいくつも積み重なっ
自分にとっての「最低限」で生きる③
思い出の品と服。この二つを減らしただけで、部屋は片付いたと思ったら大間違い。思い出の品と服はクローゼットのなかに乱雑に放り込んでいたので、部屋の見た目としては全然片付いていない。
「今」を見つめる次に減らしたのは、「今」使っていないものである。
例を挙げるとすると、掃除機、アイロン、予備のUSBコードや文房具。もう読まない本、聞かないCD。入っていない収納ケース。
掃除機は持ってきたけど正直
自分にとっての「最低限」で生きる②
大量の服片付けとして、思い出の品の次に取り掛かったのは、実家から持ってきた大量の服である。
一年間オンライン授業だったこともあって、大学一年のときはこれといって私服を着るこもなく、高校のとき着ていた服からほとんど買い足さなかった。だから実家から持ってきた服は高校生のとき着ていた服が大半ということになる。
大学生が着る服って何?段ボールから服を取り出し、ハンガーにかけてみると、正直ダサい服しかな
自分にとっての「最低限」で生きる①
こんにちは。ミニマリストえいとです。一人暮らしを始めて、減らしてみたものを少しづつ記し、気づきをまとめておこうと思います。
思い出の品まず片づけ始めて思ったのが、今の生活に本当に必要なものより、実家から持ってきた使わないものが多いという点である。一つずつ、なぜ持ってきたのかを考えると、思い出が捨てられなかったものがほとんどであった。
だから思い出の品は写真を撮ってからすべて処分した。思い出の品