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#日々のこと
怖いからこそ、飛び込む。
「怖いからこそ、飛び込む」
僕が最近よく意識していることだ。フリーライター・フリー編集者になってから悩むようになったことがある。それは、委託先の担当者とのやり取りだ。特に金銭面でのやり取りについて頭を悩ませている。
編集部をとりまとめていたフリーランスの方の退職を機に、企画や採用といった新たな業務を僕が担うようになった。引継ぎが全くなかったため、手探り状態でこの2か月間をひた走ってきた。
言
通念化の波に攫われないように、
誰もが美しいと言うものに疑問を抱くことがある。誰もが凄いということに共感できないことがある。
この季節で言えば桜。日本の春を代表する花であり、多くの人々がそろそろ花見に興じる頃だろう。でもそこまで美しいのかな?梅の花と比べて特段優れている訳でもないように僕は思うけれど。桜だけがなぜこんなに持て囃されているのかが正直分からないんだ。
こんな風に思うことは、日常生活をおくるなかで数えきれないほどあ
ちっぽけなプライドは捨てる。
とある企業から依頼された講演動画を記事にしていた日のこと。その講演は人事の仕事に関するものであり、その道の大家である大学教授が、ジョークを時折交えながら熱弁をふるっていた。講演中の言葉で今でも耳に残っているものがある。
「財務系のノウハウはどこの企業でも活用できるが、人事系のそれはそう上手くはいかない。企業ごとにカスタマイズしないといけない」
この言葉を聞いたとき、僕はハッとした。『これってフ
気が滅入る日もいいことがありそう。
連日の仕事疲れのせいか、はたまた彼女のご機嫌取りで疲弊したせいか、ここ最近は気が滅入りがち…。スッキリと起きられる朝なんて少ない。仕事は進めなければならないのだが、あまり気乗りしない。
「こんな陰鬱な気分をバッとどこかに吹き飛ばしてくれるような出来事が何か起こらないかな」なんて妄想しながら、コワーキングスペースへと向かう。
コワーキングスペースは、色んなジャンルの店舗が立ち並ぶビルの中にある。
なんでか妙に弾みたくなる時ってあるんだ。
とりわけ楽しいことがあった訳じゃないけれど、なんでか妙に弾みたくなる時ってある。脳内麻薬がドバババと分泌されているせいだろうか。そんな時は訳もなくスキップをする、人の目なんか全く気にせずにさ。
だって楽しいから仕方ないもんね。心が弾むから体が弾み、体が弾むから心が弾む。こんな繰り返しでどこまでだって行ける気がしてくるんだ。
こんな気持ちの時は、色んなことに積極的に取り組める。普段よりも多くのこ
思い出すのは昔のことばかり。
今はそれなりに幸せだ。衣食住には困っていないし、頻繁に連絡をとりあう親密な友人もいる。だけれどふとした時にいつも思い出す、昔のことを。
もちろん、良いことばかりじゃなかった。後悔だって沢山してきた。むしろ後悔にまみれた人生だ。だからこそなのか、昔を思い出すとなんかこう、心の奥底がキュッとなる。
懐かしさ・悔しさ・楽しさみたいな色んな感情が綯(な)い交ぜになった不可思議な感覚。
ドラえもんのひ
倦怠感の原因は首コリだった
得体の知れない倦怠感にここ1年ほど悩まされていた。しっかりと寝ても、毎日運動をしても、健康的な食事をこころがけても一向に快復しない。
パソコンを使用する仕事柄、異常なほどに首が凝り固まっていた。もしかしたらそれが原因なのかもしれないと考えた僕は、ネックマッサージャーなるものを勢いのままに購入した。
ネックマッサージャーとは、電気で筋肉のコリをほぐすマッサージ機だ。高いものを買うのは躊躇われたの
落ち込んだっていいじゃない。
表ではどんなに元気な表情で笑っている人でも、家にかえったらくそほど落ち込んでいるかもしれない。その典型がこの僕なんだと思う。外ではよく喋る陽気な奴だと思われている。だけど一人になった時はまあまあ落ち込む。
これからの自分の未来のこととか、仕事のこととか、家族のこととか……。思いつめたらキリがない。体中にまとわりつく倦怠感にやられて動けないだってある。昨日なんて夕方から一日中寝ていたもんね。
で
水面に浮かぶは昨日のこと
とある晴れた日。地元を流れる大きな川沿いの河川敷を訪れた。久々に“川”を感じたくなったからだ。京都に住んでいた頃は毎週末ごとに鴨川へと足を運び、思うがままにゆったりと過ごしていた。
河川敷沿いのベンチに腰掛けて読書をしながら、遊歩道を行き交う人々を時おり眺める。たったそれだけのことが、僕にとって何にも代えがたい至福のひと時だった。
京都とは異なり地元の川には人がほとんどおらず、そこはかとないも
もう思い出せなくなった日々も、
今でもはっきりと思い出せる日々、朧気ながら記憶に残っている日々、そしてもう思い出せなくなった日々…。
目を閉じて必死に思いだそうとするものの、記憶の糸は一向に見つけられない。きっと脳みそのなかの最奥部にでもある書庫に厳重にしまわれてしまったのだろう。その書庫への道筋を僕は知らない。
とは言うものの、些細な出来事がきっかけで記憶の書庫が開かれることが時たまあるもの。
それはたとえば、懐かしの友
小さな新たなことをはじめてみる。
とうの昔に30歳をこえ、大概のことに感動しなくなった。心の振幅を求めてアニメや映画に手を出すも、1~2時間といった時間に耐えられない。よっぽど面白くなければ5分もたたずに視聴をやめてしまう。
「時間がかかるものは無理だ」と痛感した僕は、ちょっとしたことに挑戦してみることにしたんだ。この歳になると気がかりなのは、“健康”だ。同世代の人は多分同意してくれるんじゃないかな。
パソコン画面を日夜睨め付