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2019年4月の記事一覧
19/04/26 あなたならふみとどまれるはず
朝から忙しかった。めまいはまだ断続的にある。神経と血管の薬を1日三回飲んでいるが、効果があるのかはまだわからず。ラジオが録れていないのも実はこれのせいでして(喋っていてくらっとくると中断してしまう)、少々お待ちください。
もっとみる100日連続更新しました
今日、noteの連続更新100日目を迎えました。
散らかりがちな頭の中にある思考や感情を、書き出してすっきりさせようという目的で書き始めました。誰に何も言わず、ひっそりと静かに。
今まで、どんなブログサービスを使っても3日坊主で終わっていたのに、なんで続いているのか? 今日はその理由を考えてみます。
noteには、書くことが楽しみになる仕組みがたくさんあります。連続更新をすると褒めてもら
一枚のドレスが世界観を大きく変えた話(あるいは安易な共感がもたらす世界について)
長い時間、人の書いた文章についてあれこれと考える研究をやっていた頃に、一つ気づいたことがあるんです。それはですね、「どんなにがんばって時間を注いでも、最後の最後のところで他人のことは全くわからない」ということなんです。もちろん、ある程度は時間を経れば統計的な積み重ねが経験となって、高精度の推論を作ることは出来ます。でもね、やっぱり他人はわからない。自分のことさえあまりわからないのに、他人のことなん
もっとみる希望は、不確実性とともにある。
note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。
自分の人生は、これからこうなるという「予測」は、多くの場合現状の延長として描かれている。
しかし、人生には多くのサプライズがある。そして、何がやってくるかは、原理的に予測できない。
不安と希望は表裏一体であり、どちらも不確実性に対する反応である。
次の瞬間にどのような出会い、気付きがあるかわからないと思
こんなことを考えながら書いている。
ああ、どっちの話を書こうかな。
前提としてきょうは、あまり時間がない。それもあって今日は、いま書き進めている「ライターの教科書」についての、自分なりに定めた「書いていくうえでのルール」を備忘を兼ねてメモしておこうかと思っていた。けれども昨日、ほぼ日の学校・万葉集講座(永田和宏先生の回)で「歌仙」というものに触れて、がんがんばんばん、わんこそばのように歌を詠んで、「ああ、おれは自分のことを、詩を書
ごく普通の会社員が365日noteを書き続けたらどうなったか
noteの毎日更新を始めてから、今日でとうとう365日です。シンプルに、うれしい!
でもね、厳密に言えば、始めのころは24時間以内に更新していたわけではありませんでした。最初の2か月くらいは、自分が起きてるあいだに1投稿できればOKというルールでやってました(今は24時間以内に書いてます。なぜならnoteからの〇日連続更新おめでとうメッセージが嬉しいから)。
1度だけですが、起きてるうちの投稿
noteコンサルティングを受けた率直な感想と、続けていくために大事なこと
noteコンサルティングを受ける機会をいただいた。昨年チャレンジした「紅茶のある風景 投稿コンテスト」で審査員特別賞を授かり、その特典として設けられたものだ。
noteの使い方について、60分間自由に相談できる。受けるのは任意。こんな貴重な時間は絶対に逃したくないと前のめりに参加表明した。
本来は対面ベースであり、ぜひピースオブケイク社にお邪魔したかったのだけれど(ミーハー)、海外在住なので難
シャッフル再生のことば。
いま、タイトルについて考えている。
ひとまず『ライターの教科書』と呼び合っている、進行中の新刊のタイトルを考えている。「ライターの教科書」ということばはタイトルというよりもコンセプトに近く、できれば別のタイトルを思いつく自分がいてほしいと、前から思っていた。そして昨夜、ひとつの案が浮かんだ。いまは自分のなかで揉みながら、馴染むか馴染まないか様子を見ているところだ。
* * *
たとえば毎日書
集中とリラックスの呼吸の中から
note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。
創造性発揮のための方法論は案外はっきりしていて、集中とリラックスを繰り返せばよい。
集中するときには、これ以上できないというくらい他のことを忘れて没入する。
それだけではダメで、そのあと、徹底的にリラックスする。これ以上できないというくらいぼっとする。
この集中とリラックスを繰り返す。吸って吐くように、
多様性って「みんななかよく」じゃなくて「みんないてよし」だよねって話
こどもの頃から「みんな」が苦手だった。
同じクラスだから「友達」、みんな仲良くしましょう。という価値観にぜんぜんピンとこなくて「いや、人によるわ」と思ってしまう。
今なら、同じ地域に住んでいる同い歳というだけでたまたま集まった30人くらいの中に気があう人とあわない人がいるのは当たり前で、気があう人がひとりもいなかったとしても仕方ないと思う。
でも、子どもにとって学校の先生の言うことは「正しい