【ICUでも元気】鋼のメンタルになる方法

冗談抜きに、原疾患により人工呼吸器装着後、挿管関連肺炎とその治療の抗菌薬で偽膜性腸炎になり、加えて溶連菌感染も併発した際は生死を彷徨っていたと思います。

この状況下で、意識があったのだから、普通なら正気など保てませんよね。

けど、その中でも前向きでいられました。そのメンタル維持の思考を伝授します。今辛い状況の方のお役に立てれば幸いです。

もちろん、それは私一人の力ではなく、周囲の多くの人々に支えられたからです。

周囲の人々にはとことん恵まれていたと思います。

当然ながら、生死を彷徨うような状態だったので、ICUで手厚い医療を受けていました。その間主治医も看護師さん達も麻酔科の医師も、呼吸器を管理していた技師さんも皆が皆ものすっごく優しく対応してくださいました。本当はICUは家族以外は面会謝絶ですが、それほど厳しい状況だったのでしょう。夏休み中も病院周辺地域にいた友人はお見舞いに来てくれました。

皆、優しいことに加えて、普通に話しかけて会話をしてくれていました。

気管切開をし、喉に開けた穴で直接人工呼吸器を喉につけていた私は、口パク(喋る時のように唇を動かすこと)はできておりました。逆に、指一本動かせなかったので、ナースコールも手を使わずに押せるように工夫してくれていました。

今は様々なデザインの物が流通しておりますが、当時はまだ一般的ではなく、実に様々な種類を取り寄せては試して押せるか、試してどうにか使える物に到達しました。

周囲の方々のおかげでできていたのかもしれませんが、自分自身で常に考えていたことをいくつか述べます。これならば、自分の置かれた環境に関係なく実践できるのではないかと思います。

1) 自分を褒めちぎる
2) もっと苦しんだであろう人と比べる
3) 快復した後を想像する
4) 瞑想? とにかく別次元へと旅をする

1) 自分を褒めちぎる。

最近よく思うのですが、私は多分承認欲求が強いです。褒められるのが大好きですし、凄いと言ってもらえるのが嬉しいです。当時その自覚はありませんでしたが、自分は凄いと底しれない自己肯定感に溢れていました。世界一だと信じていたと思います。どこからここまでの自信が湧いてきていたんでしょうね? けど、それこそひろゆきじゃないですけど、自分最高って感じだったと思います。

ここの別枠内の意見は、は後付けの解釈です。

また、国民性なのか、家族性なのか、ヒーローになるのが大好きです。凄いことをして活躍する、一番になる、誰かを助ける。とにかく、戦争で勝った英雄に憧れました。もちろん、自分もいずれ軍に志願するつもりで育ちました。医者になりたかったので、自分は軍医になると信じて疑ったことはありませんでした。

ということで、死の淵からの生還というのは、正にヒーローみたいじゃないですか。
ということで、死の淵からの生還というのは、正にヒーローみたいじゃないですか。

何が起きたとしても、「これから快復した自分凄い」と自分が窮地にある時もその状況に耐えてる自分、いずれ快復する自分をとにかく褒めまくってました。

もちろん、これは頭の中でだけです。言動には出してません。(首に穴が開いているので、声は出ません。「言う」としても、口パクなんですけどね。)

だから、息できないとかでも、「息できなかった状況から復活できる自分凄い」

痛みが強いとかでも「こんな激痛に耐えられる自分凄すぎ」

とにかく、何が起きても、その状況下で耐え凌ぐ自分を褒めちぎり、いずれ元気になった時に武勇伝になるくらいの気持ちで自分を褒めてました。

2) もっと苦しんだであろう人と比べる。

私が小学生の時に友人が白血病で亡くなってしまいました。究極的に、亡くなるほどの状況と比べれば、生存している時点で全てがそれよりはきっとマシだと思えます。少なくとも、当時の私はそうでした。

ましてや、自分よりも幼い子が自分よりも圧倒的に苦しんでいた。これと比べたら、自分がどんな状況に陥ったとしても「〇〇はこれより辛かったんだから、自分は耐えられる」と思えます。

私の場合には、この子を想像していましたが、お婆ちゃんが末期がんで苦しんでいた時を想像するとか、芸能人の報道された闘病を想像するとか、フィクションの誰かを想像することでも同じ効果が得られるかもしれません。

だから、「どんな状況であろうが耐えられる」と思い、同時に(1)のメンタルでこれに耐えられる自分凄すぎと並行して考えることで自分の状況を過小評価します。

この枠内は現在の私の解釈です。

ニーチェの言葉にこうあります。「過去は存在しない。あるのは解釈のみである」

この概念や考え方って、現在進行形の物事にも応用が効くと思いませんか? 即ち、今起きてることをどう解釈するかは自分の選択次第です。ならば、良いように解釈したり、自分に都合の良いように感じ方を歪めればポジティブにいられるのであれば、いくらでも自分を自分で洗脳すれば良いのではないでしょうか?

言い方は良くありませんが、人間は潜在的に下を見て安堵することもありますし、頑張っている人を見ると元気を分けてもらったように自分も頑張れると思うのです。私は当時白血病で亡くなってしまったあの子になったことはありません。彼女の苦しみもまた、私の想像です。

しかし、その想像により、私自身が救われ、頑張って窮地を乗り切れるのであればそれは良いことではないでしょうか? 彼女も自分のおかげで周囲の人々が頑張る姿を見て、天国から応援してくれているのではないでしょうか? そうであることを願います。

3) 快復した後を想像する

なんででしょうね? 当時の私は、自分が完全に快復して元気に日常に戻ると心底確信していました。良くならないかもしれないという可能性を想像すらしませんでした。(1)の「自分凄い」と考えるのと相まって、快復後の日常を鮮明に思い描いていました。

そして、大好きだったスポーツを再び楽しむことばかり想像していました。その際、ただ漠然と想像するのではなく、あまりに細かく再現しすぎて疑似体験できるほどに鮮明に再現して創造するのです。

そして、何度も何度もその未来の現実を自分に体験させることで目標と希望に満ち溢れる。こうすると、快復後の自分ばかり思い描くようになります。少なくとも、私はそれ以外想像すらしませんでした。若さ故の盲目さが功を奏したのかもしれません。

4) 瞑想? とにかく別次元へと旅をする

表現が良くないかもしれませんね。「転生したらスライムでした」のように異次元にワープするという意味ではありません。

瞑想とも似ていると思いますし、(3)の快復後の想像とも被っています。

要するに、頭の中で鮮明に体験を再現することで自分に疑似体験させるのです。自己暗示とかに似ているのでしょうか? 私は当時は水に飛び込んだ瞬間ばかり再現しておりました。

この際重要なのは、ただ水に飛び込んだ自分を想像するのではないということです。全ての感覚と時間軸を再現するのです。

もちろん、水に飛び込んだ瞬間でなくとも、登山でも良いですし、自宅でも良いと思います。

重要なのは、自分に疑似体験をさせるということです。

具体的にどうするかというと、目を開けた状態でゆっくり数えていきます。

1、2、3と10まで数えていくのです。

その際、本来は息を吸って、吐いている時の呼吸が鼻腔を通る感覚や口からゆっくり息を吐く感覚に集中しています。(呼吸できなければ、ただゆっくりと数えます)

吸って、吐きながら1

吸って、吐きながら2

吸って、吐きながら3

3の時に目を閉じます。

その後も呼吸に合わせて10までカウントしていき、イメージとしては階段を下るようにカウント毎にリラックス度が増していきます。

ここまでは普通の瞑想と同じです。きっと瞑想にも色々流派があるでしょうから、それぞれに合った方法や慣れた方法を使ってください。

この後は、例えば水にダイブする瞬間であれば、全ての状況を再現します。可能な限りリアルにその瞬間が実在しているかのように再現します。

水に入るということで、説明しやすいように足からにしましょうか。

想像では、海のテトラポッドの上から水に足から飛び込むことを再現する場合はざっとこんな感じです。

テトラポッドの上に立っている状態に感じる風、髪の毛の靡く感覚、風によって顔にかかる髪の毛の感触、足で感じるテトラポッドの感触や温度、さざなみの音、周囲の人々の会話音、水着を纏った時の感覚、飛び込む前にゴーグルをつけるのならば、それが頭にある感覚、それに手で触れる感覚、それを動かす感覚、顔につける感覚、顔に押し付ける時の手や顔の感覚、とにかく感じる物は全て再現します。

飛び込む際にぴょんとテトラポッドから飛び出すのか、一歩出すように落ちるように水に入るのか、好みの再現を同様にします。

水に足先が触れる瞬間から、足、脚、身体が水に入っていく際の流れるような水の感触、その温度、全てを可能な限り具体的に再現します。

あくまで、元気な自分が実体験したいことを楽しむことが目的なので、面倒だったりしたら別にその部分の詳細は再現する必要はないでしょう。(例えば、背景の雑音などは好みによって省いても全く支障がありません。)ただ、自分がその瞬間を本当に実体験している感覚に陥り、その瞬間は脳内のオアシスに行ければ成功です。

とにかく、自分の気に入っている体験を何度も何度も再現して実体験のような疑似体験を繰り返します。

これが救いになるのは、現実からエスケープできることに加えて、自分が元気な状態を繰り返し体験できることにあります。

現実がいかに苦しくとも、何もそれに付き合ってそれを感じている必要はありません。自分の精神は元気な状態で一番好きな行動を感じていればいいのです。こうすると苦しみから逃げられます。同時に、快復後のことを脳裏に焼き付けてプラス思考を保てます。加えて、目標が都度鮮明になるので、かなりの長期間であっても、目標を見失わずにいられます。

私がこの1〜4のことを実践できたのは、発病の時です。入院自体は半年程度だったのかな? もっとかな? ちょっと記憶が定かではありませんが、大体それくらいだったと思います。人工呼吸器には数ヶ月乗っていました。その間、ずっと毅然としていたかというと、そうではありません。

毎日泣いていた時期もありました。

それでも、芯は折れずに立ち向かい、快復して退院できました。その後、何もなかったかのように日常に戻ることもできました。

若気の至りじゃないですが、無鉄砲さや想像の甘さが功を奏した面もあるでしょう。

物凄く大切だったことに、周囲が常に前向きな会話をしてくれていたこともあります。

ICUでは全員が口パクを読めて、リアルタイムで会話ができており、親との会話も円滑でした。

主治医も口パクが読めており、ICUでは夏休みの代行主治医だったのですが、その先生が熱心に退院後に私がやりたいことや旅行計画などについての会話をしてくれていました。

病棟に上がっても、皆が文字盤を用いたり、口パクを読んだりして必ず意思疎通を図ってくれていました。

リハビリ中も口パクで会話をしてくれていたし、元気になってからのことも話していたし、様々な楽しい会話をしてくれていました。

人工呼吸器を日頃からメンテナンスしてくれていた技師さんや麻酔科の先生も楽しい会話に加えて色々教えてくれて、その発見なども活力になってました。

肉体的には窮地だったけれども、周囲も明るくて前向きだったし、物凄く優しく対応してくれていました。

本当はもっと多くの方々にお世話になっていたし、ここでは書ききれないことも多いです。

窮地に一生の場面を乗り切れたのは、当時私を支えてくれた人々のおかげです。その恵まれた環境の中でだからこそできた取り組みかもしれませんが、私の当時のメンタル維持に役立った、意識した瞬間から誰でも実践できる内容を書き出してみました。

闘病に限らず、大変な状況におられる方は試してみてください。

今思い返すと、肉体的により窮地に立たされている方が、自分の意識をコントロールし安かったかもしれません。個人的には、まだ極限状態じゃない状態や明確に言語化できない苦痛の方が対処が難しいようにも思います。雑念かな? 

もし、最初は難しくても、何度も繰り返しているうちにもっとスムーズにできるようになると思います。

今何か辛いことに直面している方は是非試してみてください。

そして、今を大切に生きよう!

ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。