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真宗寺 お寺の掲示板

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#お寺の掲示板

お寺の掲示板 【No.40/柊原のお寺・真宗寺/2024.6月】

お寺の掲示板 【No.40/柊原のお寺・真宗寺/2024.6月】

人生を転ばぬ杖が宗教に在らず 
転んださきの大地 見上げた天 
こさえた杖の用だたぬ様 
これが宗教である ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

普通、宗教とは厄除開運のことかと思われる向きがある。「魔除け」「招福」「願掛け」。吉凶を占い、身の幸福を祈り、不幸を逃れ、また色んな願い事を祈祷する。

一方、真宗という宗教は「ああしてほしい」「こうなりたい」とか、我

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お寺の掲示板 【No.38/柊原のお寺・真宗寺/2024.4月】

お寺の掲示板 【No.38/柊原のお寺・真宗寺/2024.4月】

お寺はいのちの学校です ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

今年の柊原小学校の入学式は4月8日だそうです。折しも花祭りの日。釈尊の誕生が天上天下の美しい花々で寿(ことほ)がれたように、子どもたちの輝く未来へお祝いを申し上げます。

またぜひ、「いのち」について学んだり、考えたりするお寺のことももう1つの学校と思って来てほしいなと思います。

真宗寺では、30年

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お寺の掲示板 【No.34/柊原のお寺・真宗寺/2023.12月】

お寺の掲示板 【No.34/柊原のお寺・真宗寺/2023.12月】

いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、ことごとく、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

この言葉は『スッタニパータ』というお経にの一節で

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お寺の掲示板 【No.31/柊原のお寺・真宗寺/2023.9月】

お寺の掲示板 【No.31/柊原のお寺・真宗寺/2023.9月】

ただいま悪人談合中! 
   他力本願まっさかり! 
      いざ人生を諦めろ!

一見、お寺の入り口にこんな言葉が書かれていたらギョッとするでしょう。「悪人」「他力本願」「諦める」……

これらの言葉の味わいについては、むかえるお彼岸の法要の際、ご法話としてお話しするつもりで、お読みいただいた方は、ぜひ有縁のお寺様に、これらの言葉はどういう意味ですかと聞いてみていただきたいなぁと思います。

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お寺の掲示板 【No.29/柊原のお寺・真宗寺/2023.6月】

お寺の掲示板 【No.29/柊原のお寺・真宗寺/2023.6月】

【掲示板の言葉】

「仏よ ほとけ この世で一番尊い人は誰?」「それはあなたでございます」
と、仏は仏前の人に必ずそう答えるのであった…


● 白雪姫の話みたいに、鏡に「鏡よ鏡、この世で一番美しい人は誰だい?」と聞いてみて、誰しもに「それはあなたでございます」と答えてくるならば、それはなんとも八方美人な鏡ですね。

映る人も映す鏡も、そういう意味でどちらも「美人」……。

一方で、仏の眼が映す

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お寺の掲示板 【No.24/柊原のお寺・真宗寺/2023.1月】

お寺の掲示板 【No.24/柊原のお寺・真宗寺/2023.1月】

【掲示板の言葉】

身体は芭蕉葉に同じ
仏教語に、この世のあらゆる事象は実体を持つものではないことを表わす 10 種のものごとを列挙した、「十喩」という言葉がある。

「十喩」は 2 バージョンあり、その1つ「維摩経十喩」は「聚沫(水しぶき)・泡・炎・芭蕉・幻・夢・影・響・浮雲・雷」。

これらは総じて「身体の仮合」を所説とする。

分かりやすく言うと、例えば「芭蕉(バショウ)」はショウガ科の植物

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お寺の掲示板 【No.23/柊原のお寺・真宗寺/2022.12月】

お寺の掲示板 【No.23/柊原のお寺・真宗寺/2022.12月】

【掲示板の言葉】

あなたが居るということだけで、我慢しとる人が周りにたくさんおります

学友から紹介されて、日豊の伊藤元という先生の講話をまとめた小冊子を読みました。その中の何気ない一文、「あなたが居るということだけで、我慢しとる人が周りにたくさんおります」という言葉が強く印象付きました。

世の中には、繋がりや絆、親睦や団欒など、人と人との間柄を綺麗な言葉で形容し、あたたかなものであるという認

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お寺の掲示板 【No.22/柊原のお寺・真宗寺/2022.11月】

お寺の掲示板 【No.22/柊原のお寺・真宗寺/2022.11月】

【掲示板の言葉】

その篭(かご)を水につけよ

●『蓮如上人御一代記聞書(れんにょしょうにんごいちだいきききがき)』という御聖教があります。本願寺8代目蓮如さんのエピソードや門徒に向けての諸訓誡、蓮如・実如両上人に関係する人々の言行等も記録された書物で、編者は不明です。
すべて短い箇条書きになっていて、大谷派の『真宗聖典』では全316条が収めています。 その中に、以前このLINEにて紹介した「信

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お寺の掲示板 【No.21/柊原のお寺・真宗寺/2022.10月】

お寺の掲示板 【No.21/柊原のお寺・真宗寺/2022.10月】



【掲示板の言葉】

脚下照顧(きゃっかしょうこ)

禅寺の玄関やお手洗いなどで「脚下照顧」とか「看脚下(かんきゃっか)」といった文字を見ることがあります。
「足もとを見なさい」という標語であり、転じて「履きものをそろえましょう」という意味で用いられます。更に云うなら、脚下とは只今の我が身の立ち処。「お前は今どこにいるのか?」「自分のことをよく振り返りなさい」という仏教語です。

ちなみに、自宅

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お寺の掲示板 【No.20/柊原のお寺・真宗寺/2022.9月】

お寺の掲示板 【No.20/柊原のお寺・真宗寺/2022.9月】



【掲示板の言葉】

手持ちの物差しで測れるようなものなら深いといっても、たかが知れているんです
ちょっと含蓄ある言葉を聞いた時、我々は簡単に「深いい〜」と言ったりします。まあ、「深いい〜」とは言わなくとも、「深いこと言うね」とか「あの映画は深いよ」とか、はたまた「仏教って深いな〜」と思ったりします。

実際、これまでの経験や価値観が通用しないようなものごとに出会った時、その事象が湛える「深さ」

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お寺の掲示板 【No.19/柊原のお寺・真宗寺/2022.8月】

お寺の掲示板 【No.19/柊原のお寺・真宗寺/2022.8月】

【掲示板の言葉】

正信偈 
蝉が加勢の 
盆参り
お盆になると、門徒さん宅を次々まわる。

車で訪ねることもあれば、自転車を一生懸命に漕いで、一軒一軒訪ねてまわることもある。

自転車を停めて、運動の一連の流れのように、玄関をくぐり、雪駄を脱いで、仏壇に面じて、威を正して、合掌、念仏。

お勤めで『正信偈』や『嘆仏偈』を読む。
外は熱気、額には汗。
仏教の音色が広がると、あたりは静謐な空間へとな

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お寺の掲示板 【No.18/柊原のお寺・真宗寺/2022.7月】

お寺の掲示板 【No.18/柊原のお寺・真宗寺/2022.7月】

【掲示板の言葉】

人は何かひとつくらい
誇れるものを持っている
何でもいい、それを見つけなさい
勉強が駄目だったら運動がある
両方駄目だったら君には優しさがある
夢をもて目的をもて、やれば出来る
こんな言葉に騙されるな
何もなくていいんだ
人は生まれて生きて死ぬ
これだけでたいしたもんだ

ビートたけしさんの詩集、『僕は馬鹿になった。』より、「騙されるな」という詩です。

この世界は、金子みすゞ

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お寺の掲示板 【No.17/柊原のお寺・真宗寺/2022.6月】

お寺の掲示板 【No.17/柊原のお寺・真宗寺/2022.6月】

【掲示板の言葉】

死は生の対極としてではなく、
     その一部として存在する

先月は「死が老人だけに訪れると思うのは間違いだ。死は最初からそこにいる」という言葉を紹介したが、少し似たこの言葉は、作家の村上春樹さんの言葉。

我々は得てして「俺はまだまだ現役だ」と思っている。まあ年々加齢を実感はするが、自分より年寄りの方もいるわけだし、まさか自分が明日や今日やで死ぬなんてことは思ってやしな

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お寺の掲示板 【No.16/柊原のお寺・真宗寺/2022.5月】

お寺の掲示板 【No.16/柊原のお寺・真宗寺/2022.5月】



【掲示板の言葉】

死が老人だけに訪れると思うのは間違いだ。
死は最初からそこにいる。

この言葉はアメリカの精神科医ハーマン・ファイフェルの言葉です。今回は、これに似た名句を二、三列挙します。

古代ローマの詩人、マルクス・マニリウスは、「我々は生まれたとたん死にはじめている」と述べています。

清澤満之は「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり」 と述べていま

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