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お寺の掲示板 【No.17/柊原のお寺・真宗寺/2022.6月】


死は生の

【掲示板の言葉】

 死は生の対極としてではなく、
     その一部として存在する


先月は「死が老人だけに訪れると思うのは間違いだ。死は最初からそこにいる」という言葉を紹介したが、少し似たこの言葉は、作家の村上春樹さんの言葉。

我々は得てして「俺はまだまだ現役だ」と思っている。まあ年々加齢を実感はするが、自分より年寄りの方もいるわけだし、まさか自分が明日や今日やで死ぬなんてことは思ってやしない。それはつまり、自身はまだ若くて健康であり、我々の対極に老いや病、ひいては死があると思っているわけである。しかしこの認識が誤っているのかもしれない。

元来、人生というものは老いと病の進行のことそのものである。相対的な見方をやめて、あくまで主体的に考えてみれば、実に現在の我々は、今まさに老いや病のまっただ中にいるのだと気づかされる。

譬えて言うなら、やがて「死」に終着する汽車があり、その終着駅の一つ二つ手前の駅が「老」や「病」なのではない。
その汽車の名前こそ「老」であり「病」であり、「死」であり「人生」なのだ。
「老病死」は「生」の一環であると言ってもいいだろう。


死は生の対極存在なんかではない。死は僕という存在の中に本来的に既に含まれているのだし、その事実はどれだけ努力しても忘れさることのできないものではないのだ。              『ノルウェイの森』より


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