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消雲堂自分史 阿武隈川

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駄目な人間の私が、どうやって生きてきたのかを再確認するマガジンです。自分のためのものですが、興味のある方はどうぞご覧下さい。
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2020年6月の記事一覧

「加藤くん」(写真後方の四角い顔の人が加藤くんである。40年前)

「加藤くん」(写真後方の四角い顔の人が加藤くんである。40年前)

戦後10年と少しを経て、東北の某港町で僕は生まれた。当時、父は全国展開していた建設会社の営業課長で、地方の支店の営業成績を上げることが仕事だった。支店の業績が上がれば別な支店に転勤するので、父はほぼ4年毎に僕たち家族を伴って引っ越してばかりしていた。

それが僕の放浪癖につながっているのだと思う。

断っておくが、放浪癖といっても、昔の文士のように本格的に文無しで野宿するような根性はないから、放浪

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25歳のひとり旅

25歳のひとり旅

土曜日の新宿は人だらけで、対人恐怖症気味の僕には辛い状況でした。福島の田舎から出てきた僕は都会の人間に対して軽度の拒否症状がありました。当時から新宿駅は、山手線、中央線、総武線、丸ノ内線、京王線、西武新宿線が入り乱れるターミナル駅でしたから八王子・多摩、長野、千葉、埼玉の各地方から沢山の人が通勤や観光のために行き来していました。都営線が増えた現在は、さらに多くの人たちで賑わっていますよね。

小田

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「津軽の海」

「津軽の海」

青森市から津軽線に乗って青森湾沿いに北上すると蟹田という街がある。青森市と函館市をつなぐ青函連絡船が目の前を通過する街だ。

今から48年前、小学3年生だった僕は、夏休みを利用してこの街にある同級生M君の親戚の家に泊まったことがある。当初は数泊する予定だったが、甘ったれの僕がホームシックに陥ってしまい、多分、子供の好奇心に満ちたその旅はたった一泊で終わってしまった。

今は知らないが、当時の蟹田は

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猪苗代湖

猪苗代湖

*写真は約35年前の猪苗代湖。紙焼きが絹目なので粗いですね。

1.

僕は中学3年の後半から大学を3年で中退するまで福島県の郡山市という地方都市に住んでいました。

福島県と言えば磐梯山が有名だと思いますが、その磐梯山の裾野には整備された田園が広がっています。田園の中心部にあるのが猪苗代町です。町には海のように見える広大な湖が美しい水を湛えています。これが猪苗代湖です。湖の北側の畔には猪苗代出身

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「下妻模型店のデヴィ夫人」

「下妻模型店のデヴィ夫人」

*昔の文章です。当時は毎日のように、こんなくだらないことを書いていました。ふざけた書き方ですが、リズム感があり、僕に一番合っている書き方なのでは…? と思うのです。写真は私の模型部屋です。箱から出していないプラスティックモデルが100箱はあります。

1.「2010年春」

2010年の春・・・僕は茨城県の下妻まで出かけた。なんつったって桜満開の花見の季節であった。

下妻には街の中心部に砂沼って

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美味しい記憶

美味しい記憶

*僕は文章の公募に応募したことが、ほとんどないんです…ほとんどね。それでも2度だけ応募したことがあるんです。1度目は20歳の頃に雑誌「奇想天外」に応募した「時の隙間に押し潰された夢」というタイトルの小説でした。当時から文章の書き方を知らずに、できたモノは、写真や映像を見ながらイメージした詩のようなものでした。もちろん賞の候補に選ばれるはずがありません。全然駄目でした(これをちょいと膨らませて同じタ

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中途半端のすすめ②

中途半端のすすめ②

*上の写真は平凡パンチとBRUTUSから届いて当時のものです。

僕は何をやっても中途半端です。それは子どもの頃から現在に至っても少しも変わらないのですが、若い頃は本当に重症でした。特に続かないのが仕事でした。若気の至りというか、仕事と人とのつきあいに飽きたら辞める、自分が悪いのに怒られたら辞める、要は自分の思い通りにならなければ辞める…という、まるでお子様。

さて、絵の次に熱中した写真のつづき

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中途半端のすすめ①

中途半端のすすめ①

しつこいようですが、絵が下手だったから漫画家になるのを諦めた僕でした。絵が下手でも絵が描きたいなんて気持ちが強いと、次に何を考えるか…。

それは写真なんですね。絵が下手でもカメラとフィルムさえあれば、自分が決めた構図でデッサンもパースも正確な1枚の絵が作れるからです。実に簡単なんです。

昔のカメラはアナログでした。車で言えばマニュアル車です。露出オートにオートフォーカスなんて付いていませんから

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