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中途半端のすすめ①
しつこいようですが、絵が下手だったから漫画家になるのを諦めた僕でした。絵が下手でも絵が描きたいなんて気持ちが強いと、次に何を考えるか…。
それは写真なんですね。絵が下手でもカメラとフィルムさえあれば、自分が決めた構図でデッサンもパースも正確な1枚の絵が作れるからです。実に簡単なんです。
昔のカメラはアナログでした。車で言えばマニュアル車です。露出オートにオートフォーカスなんて付いていませんから、一応、ボタン電池を入れて露出計を見ながら絞りやシャッタースピードを決めてパシャパシャ撮影するんです。
現像…?そこまではやりません。あとは、街のカメラ屋さん任せでした。プロの写真家というのは、そこまでやらなくてはいけません。現像、焼き付けの際に自分の思いで画像加工して作品を完成させるからです。僕はそこまでの興味はありませんでした。
そのうちに僕は小さな出版社や新聞社勤めで、どうしても写真を撮らなければならなくなりました。今でもそうなのかもしれませんが、業界誌(紙)の記者はカメラマンも兼ねていました。
ですから写真撮影のちょいとした技術は、経験を重ねる間に身についていました。それに1度だけですが、本当のカメラマンになりたいと考えて池袋のサンシャイン60のなかにあった結婚式場カメラマンの助手になったことがありました。
そこでは主カメラが66、サブカメラが645で、そのフィルム装填と式場でのサブカメラの645の設定が僕の仕事でした。毎日がその仕事ばかりで1ヶ月も経つと飽きてしまいました。それでも我慢して仕事していましたが、3ヶ月目に出社拒否状態になって、結局は辞めてしまいました。
その後、別な出版社で働いていたときに当時、一緒に住んでいた女性を撮影して平凡パンチの「アラーキー写真塾」に投稿を始めました。アラーキーというのは写真家の荒木経惟さんのことで、僕は彼の弟子になりたいと思っていました。
僕が漫画を投稿していたときに、白土三平、水木しげる、つげ義春&忠夫さんなど硬派の漫画を載せていた漫画専門誌「ガロ」にも漫画を送ったことがありました。その雑誌に「浪漫写真」という写真エッセイを連載していたのが荒木さんでした。
平凡パンチに写真を投稿しているうちに、同じマガジンハウス社のBRUTUS編集部から「あなたの写真を載せたい。ついでに短文も書いてほしい」という連絡が来て、喜びましたね。当時は、インターネットもないのです。自分の写真と文章が載るって簡単じゃないんです。だから凄く嬉しかったんです。
*写真は、鷹美術アトリエ村で知り合った一流商社勤務の美人女性。ズイコー50ミリレンズを逆さまにしてマクロ撮影したんです。38年前の写真です。その後、厚木基地や宮ヶ瀬ダムに連れて行って写真を撮らせていただきました。
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