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母の物語

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発端は2020年3月。圧迫骨折からの転院含め五度の入院、「密」に過ごした母との備忘録。
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キミと、キミのママの名誉のために。

キミと、キミのママの名誉のために。

5月5日、母の納骨式だった。

実家は神道だ。葬儀は仏式94%と圧倒的で神道はわずか2%。
実は10代で父と祖父母の葬儀を出して以来、私は神道の葬儀に参列したことがなかった。それが去年、喪主を務めることになり、今回は納骨式だ。いままで母が取りしきっていたものだからまったく分からない。さて、どんな段取りなんだろう。

納骨式の2ヶ月前から前日まで

神式では、故人は亡くなって天界へいくとされ、忌みご

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母の家、わたしの家。

母の家、わたしの家。

 遺産の分配も喪中ハガキの手配も済み、友人から借りっぱなしの書籍「母の遺産」でも読もうか、と枕元に置きまだページを開かないうちに眠ってしまった。すると、母があらわれた。

ウチはまだ死んでへんで。

喪中ハガキなんか出したら、死んだことになるやろ、やめといて、たのむから。

と母が言うのだ。
いつもの表情で、しっかりした声で。

困った私が黙り込んでいると、

あんなぁ、願い事あるねん。
と手を握

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おかあちゃんはラジオ体操のマドンナだった。

おかあちゃんはラジオ体操のマドンナだった。

 我が家は神道だ。
母が旅立ってひと月が過ぎ、仏教の四十九日に当たる五十年祭より前に、三十年祭を身内で済ませた。そして、満中陰を真似て死去のお知らせ葉書を遠方の親戚筋や年賀状を交わしていた母の友人達に送った。ただし、入院前の母が毎日のように会っていた親しい友人達には送れなかった。
彼・彼女達の名前や住所は知らない。当時、母にもっとも近しい友人だったのは、近所の公園の、ただのラジオ体操仲間である。

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昨日、母が逝った。
こころが落ち着いたら母の物語を紡ごう、いまはできないけれど。 #母

まだ二年生になったばかり。

まだ二年生になったばかり。

やりきれない思いや、うっぷんを晴らそう、とはじめたnote。
2020年4月に、脊椎の圧迫骨折から始まった母との「密」時間から、12ヶ月が過ぎた。昨年入学した娘が二回生に進級したように、ウチもこの春から介護の二年生となった。

母の物語 続々「密」時間

 4月中旬、竹子はようやく特別養護介護施設へ入所が決まり、昨年7月からの転院につぐ転院で三つの病院を経て、定住先というか居場所が決まった。
入所

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蝶とザクロ。

蝶とザクロ。

 今年は蝶が飛ぶ姿をたくさん見た。4月から7月末まで母の家に通っていたせいだ。3月、竹子の東側の家は住人がなくなりたて壊しになった事もあり、春先にはモンシロチョウが数羽飛び交い、5月には緑色のアイツが、柑橘系樹木に密集し閉口した。さら地になった東側から風が吹き抜け、初夏にはアゲハチョウ、珍しいクロアゲハもみた。

 それにしても、庭木の世話は大変だ。

 天気予報は毎年のように「今年は猛暑です」と

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エンジングノート

エンジングノート

 私は珈琲を普段飲まない。
 数十年前に亡くなった父は珈琲マニアであった。家にサイフォン珈琲一式があり、小学生だった私は理科室の実験の時、あぁうちの家にあるやつや...と冷めた目でアルコールランプを見たものだ。なんでも新婚当初は珈琲豆の焙煎を習いに工房へ通っていたという、凝り性の父であった。竹子もその影響を受け珈琲を飲むのが日課であった。

 その日、私は濃い珈琲を飲んだ。

 退院した竹子は朝起

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母の誕生日。

母の誕生日。

 入院後60日が過ぎた、10月は母の誕生月である。
 誕生日までに退院し家に帰りたい。どうせ誰も祝ってくれへんし誰もプレゼント買ってくれへんし、キウイフルーツ食べたらあかんゆうし、なんでもええから家に帰らせて..と毎日こぼしている。

 実は、娘と私は百貨店で「箸」を選び、名前を彫り込んでもらっていた。そして、果物好きの竹子のために、シャインマスカットをふた粒お見舞いに持って行った。キウイフルーツ

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続々 母と娘の密時間2

続々 母と娘の密時間2

 長い一日だった。

 蝉も寝静まっている夜、ふいに電話が鳴り響いた。まさか、と出ると
「ワタシや。あんなぁ...手術の日いつになった?」。入院中の竹子だった。
「まだよ。主治医の先生は転院先を探してる、ゆうてたけど」
「そうか、もうあかんのかもしれんな。朝早うからごめんなぁ」コトリと切れた。自力で歩ける状態ではない母、病室が静かな時間帯にかけてきたのだろう。時計を見ると4時過ぎだった。

9時5

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続々 母と娘の密時間.

続々 母と娘の密時間.

梅雨明けはまだだが、暑い日が続いている。

 「今日のごはん、あぁおいしかったわ」。
昼食の瞬間、母は幸せそうに笑っていた。素麺は竹子の好物、とくに新生姜と貝割菜と紫蘇とミョウガを刻んだ薬味が気に入ったようだ。

 四時間後。生まれて二度目の救急車に乗りこんた。

あわてて電話をかけようとするウチが「110番よね」と大きな独り言をいうと、
「ちゃうちゃう、救急車は119番やろ」とツッ

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続・母と娘の密時間1

続・母と娘の密時間1

コロナの緊急事態宣言のド真ん中。脊椎圧迫骨折し寝たきりとなった母。中学の夏休みのようにに毎日母と過ごすうち、気づいたこと、心がゆれたこと。

第二波がやってきた。
母は杖を使い自力歩行ができ、深夜もゆるゆるトイレまで歩けるようになった。その翌朝、いつもの通り訪れると、次部屋の引出が落ちておりオムツが散乱していた。竹子は布団をかぶって顔を隠している、泣いたあとを見れたくなかったのだ。排尿時パッド予備

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母娘の密な時間12

母娘の密な時間12

 線路にて立ち往生した経験はあるだろうか。100人中2-3人はいるかもしれない。しかし、電車にひかれそうになり乗客に助けられた人は滅多にいないに違いない。

 実家近くを走る路面電車、警笛代わりのちんちんという鐘を聴きながら、ウチと姉は育った。小高い丘陵の電車道からゆっくり下った先に、その停留駅はあり、そこから車道との真ん中に線路がひかれ、車と交わりながら一緒に徐行のような低速で走っているのだ。そ

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母娘の密な時間11

母娘の密な時間11

 竹子の姉妹はみな手先が器用だった。長姉は和裁を、次姉は刺繍を得意とし、竹子自身は狭いアパートでの新婚生活を経て義父母と同居になった時、足踏みミシンを買った。ハギレやリボン、ボタン等を選ぶのも楽しく、小物や子供たちの衣類、自分の普段着等は型紙を見てほとんどミシンで手作りした。月間の洋裁雑誌が数種類も発行されていた昭和後期のころの話である。

 「ばあちゃん、どう具合?そろそろ暑くなってきたから夏物

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母娘の密な時間10

母娘の密な時間10

 金曜日は月いちの通院日だ。先月は腰痛がひどく動けなかった竹子の代理で、薬だけ処方してもらっていた。
「薬だけでなく、注射も必要ですからご本人が来てください」と看護師。腰痛がひどく移動が困難のため、通院予定を一週間延長申し入れ受理されていた。

 その当日の朝、竹子は久しぶりにお洒落をする。鏡をもってもらい、顔にクリームを塗り眉墨と口紅で彩った。外気に触れるのも久しぶりだ。寒いのか暑いのか、半袖で

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