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おかあちゃんはラジオ体操のマドンナだった。

 我が家は神道だ。
母が旅立ってひと月が過ぎ、仏教の四十九日に当たる五十年祭より前に、三十年祭を身内で済ませた。そして、満中陰を真似て死去のお知らせ葉書を遠方の親戚筋や年賀状を交わしていた母の友人達に送った。ただし、入院前の母が毎日のように会っていた親しい友人達には送れなかった。
彼・彼女達の名前や住所は知らない。当時、母にもっとも近しい友人だったのは、近所の公園の、ただのラジオ体操仲間である。

 3年前、腎不全がひどくなり短期入院したとき、主治医は母にこう言った。
「人間、足腰が大事なんですよ。もし、肺炎こじらせて検査なったとき、足さえしっかりしてれば肺が良くなれば歩いて帰れる。でも、足腰弱かったら、退院後は杖や手押し車のお世話にならんと一人で歩けなくなってしまう。だから、しっかり自分で歩いてくださいよ。娘さんも手伝って、ね」。
「はい」
と神妙にこたえた母と私。
 その週から公園をぐるりと歩き、ラジオ体操をして自転車で帰宅する軽運動を、火曜と金曜の週二回することにした。ふだん、そばで見守ることができない私は、週二回早起きし自転車で公園へ行き、母が一周歩く間に私はゆっくり二週走り、ラジオ体操して帰る。ときどきは焼立て菓子パンを買って帰る、を続けていた。

 ラジオ体操はいい。
やるまではかったるく面倒だし、周りはシニア層ばかりだし。
 だが、やり終えると、めちゃくちゃ気持ちいい。体はほぐれるし、「お疲れ様」と声かけあうのに50代も80代も関係ない。みな平等にラジオ体操仲間だ。

 話はとぶが、ドラマ「大豆田とわこと三人の元夫」で松たか子とオダジョが、朝のきれいな空気の中でラジオ体操をして親密になっていく展開に、たぶんあるあるかも?と思えたほどだ。

しかし、夏の公園では蚊や虫がでる、熱中症も心配だ。秋からラジオ体操を再開したが、11月には娘の卒業・帰国で、また間が空いてしまった。そうして母は再度の入院へ。私はラジオ体操をやめてしまった。
あれから2年が過ぎた。

 先週、三十日祭のお供え饅頭をもち、久々に、母の実家近所の公園にへ足を向けた。

「おはようございます」

「あぁ、どこかで見た事ある奥さんやな・・」
「あー。〇〇さんの娘さん」
「○○さん元気にしてはる?最近見んようなったけど?」
「ボク、いっつも一緒に歩いててんで」
 男性陣五人衆がくちぐちに声かけてきてくださった。挨拶を返す間もなく、ラジオ体操の歌が始まる。
そして、ラジオ体操第一が終わり、間奏曲、つまり首の運動のときに、旅たった母のことを話す。

「え?そんなボクをおいていくなんて。さき逝くのずるいわ」
「ワシ、同じ年やってん。向こうで待っといて。もうすぐワシも行くから向こうでデートしよぉ」
「ええひとから、先に逝くなぁ。俺たちまだまだや」

おかあちゃん、享年84歳。
みんなから愛されてたんやねぇ。
ラジオ体操のマドンナだったのだ。

 そしていま、朝のラジオ体操を母は空から見ているのだろう。
ーゆっくりボチボチやったらええ。
続けることが大事やでー

#ラジオ体操 #母 #豆夫  
#朝の習慣 #今から続ける


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