見出し画像

まだ二年生になったばかり。

やりきれない思いや、うっぷんを晴らそう、とはじめたnote。
2020年4月に、脊椎の圧迫骨折から始まった母との「密」時間から、12ヶ月が過ぎた。昨年入学した娘が二回生に進級したように、ウチもこの春から介護の二年生となった。

母の物語 続々「密」時間


 4月中旬、竹子はようやく特別養護介護施設へ入所が決まり、昨年7月からの転院につぐ転院で三つの病院を経て、定住先というか居場所が決まった。
入所当日、介護タクシーで向かった竹子は、家族が持ち込んだ着替えや身の回りの小物類の横に、車椅子のままチョンと降ろされた。ホームの玄関口では約2か月ぶりに再会した家族ともあいさつを交わしただけで、職員に荷物を引き渡しておしまい。自宅でもない、病院でもない個室に案内されるのは本人だけ、家族は荷物の整理を手伝う事はもちろん、竹子の部屋にも入れないのだ。コロナ感染防止のため。
 心細いだろう、さみしくないだろうか、と案ずる余裕もなく、ウチ達はよろしくお願いします、と一礼の後そそくさとホームを出るしかなかった。

 翌日は入浴の曜日だ。
「今からなぁ...お風呂に入れてもらうねん。」
何か必要なものはないか?昨夜はよく眠れたか? 
と電話したウチに、弾んだ声で、ほんまに可愛らしい声で、竹子は言った。久しぶりのお風呂を楽しみにしている姿が目に浮かぶ。「あぁ良かったねぇ。」「ふうん、嬉しいわ」。

 そうして一週間が過ぎた。「部屋履きの靴が入らないから別のを持ってきて」と電話があり、ん?と不思議に思った。
竹子はベッドに寝たきり状態となってから、筋肉も落ち、体重は40Kgと激痩せした。昨秋入院前に履いていた靴はぶかぶかになったから、と買い換えたはずだったが。
 実家から、ちょっと大きめの履きやすい靴を持っていくと、担当職員に別室に通された。「足のむくみがひどくて、靴の横幅がキツく痛がるんです」という。持っていった靴も竹子の足にはサイズが合わなかった。
 前病院の4月の血液検査では、高血圧やヘモグロビンの数値も安定し、ムクミはおさまっていたはずなのに。結局は、高齢者向けの歩きやすく幅広のシューズを新たに買うことになった。

4月29日。ホームから電話が入った。

「高熱がでて、呼吸がしんどい様子なので、救急車で病院へ運んでもらいます。」

あぁー。溜息が漏れた。不吉な予感が的中してしまった。

 救急車に同乗するのはこの半年で三回目だ。酸素マスクの折線グラフや電子音もお馴染だ。病院の手続きも入院準備品も、もうわかりきっている。しかし、こんな経験値を上げたくない、慣れたくもない。
 救急車が搬送病院に到着した。昨夏よりコロナで病院は面会禁止が続いているため、救急車を降りたら、すぐさま隔離だ、もう竹子の顔を見ることもできない。

 肺炎と心臓の肥大化、そして胸水。
そうとう重篤であり、念のためPCR検査は受けるが、たぶんコロナではない症状との、医師の診断。


 一年前の母娘の「密」時間がどんなに宝物だったか、朝早起きして実家に通い、一緒に朝昼晩の三食たべ、一緒に時代劇テレビをみて過ごした、あの日々を想い起こす。なんでもっと優しく接してあげられなかったんだろう。

まだ介護の新米二年目やで。 
あの時はどうなるかと思ったわ、と笑いながら言わせてほしい。頼むわ!
母の日に何の贈り物欲しいか、まだ聞いてもないんやで。

時間は残酷である。前に進めるが後には逆戻りできない、もう二度と。

 コロナめ! カステラを真ん中にみんなでテーブルを囲む、そんなほっこり時間がどうか戻ってきますように。

#介護  


この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?