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キミと、キミのママの名誉のために。

5月5日、母の納骨式だった。

実家は神道だ。葬儀は仏式94%と圧倒的で神道はわずか2%。
実は10代で父と祖父母の葬儀を出して以来、私は神道の葬儀に参列したことがなかった。それが去年、喪主を務めることになり、今回は納骨式だ。いままで母が取りしきっていたものだからまったく分からない。さて、どんな段取りなんだろう。

納骨式の2ヶ月前から前日まで

神式では、故人は亡くなって天界へいくとされ、忌みごとではなくめでたい。また、49日の区切りではなく100日祭が区切り。だから一周忌と呼ばず「一年祭」となる。私はひとりで二カ月前からこのイベントに取り掛かった。備忘録に残しておくため、神道の段取りはこうだ。

  • 日取りを決め神社さんに連絡

  • 日時を霊園に連絡

  • 墓石・墓標に刻んでもらう相談(名前・命日・字体)

  • 親戚や故人の友人への通知(往復はがき)

  • 弁当にするか、会食の席を設けるか

  • お土産、お車代をどうするか、駐車場は近くにあるか

  • 当日のお供え物などを揃える

ちなみに我が家は住吉神社さんにお頼みしたのだが、なぜか連絡方法は電話かファックスで、と聞き、いまどきメールで連絡できないなんてちょっとアレでしょ。さすが1000年以上の歴史ある神社さん、時代が過ぎる(苦笑)

牛丼と親戚

私と相方と長女は同居、長男は独立して暮らしており、レンタカーを借り、吉野家の牛丼前で待合せし、霊園へ。昼食をとる間がないため、四人で駐車した車内で牛丼をむしゃむしゃ食べた。みんな喪服なのに、いま考えるととても可笑しい絵ずらだな。朝方まで仕事だったため一睡もしてなかった息子は小一時間仮眠する。息子よ、お疲れのところありがとう。

さぁて戦闘開始!
...と、娘が気合をいれた。

親戚には、いちばん気を遣う兵庫県からの父方の大叔父(70代)夫妻をはじめ、父の末妹である大阪の伯母と息子、母の姉、弟、妹と少人数だが、みな目上の方だから敬語や丁寧な応対が必要だ。ところが、私の相方は敬語がとっても苦手、年寄りとの会話も話題が続かない。そこで、バイト先で接客用語をばりばり仕込まれた娘が大活躍というわけだ。
大叔父と会うのは45年ぶり位?脚を痛めて杖が手放せないご老体だが、一年祭・叔母の墓参りもかねて遠方から参列くださったのだ。娘は私が弁当の受渡しや神主さんと打合せしてる間も、50歳以上の年齢差を超え、叔父夫妻とうまく話題を合わせてくれた。娘よ、援護応援に感謝する。

納骨式がはじまって…

神主さんが墓石のそばに祭壇をつくり、お供え物を飾り、玉串を準備された。私はいちばん奥に立ち、子供たち、相方、そして父方の親戚、と並んだが、まずいことに、脚の悪い大叔父の椅子が用意されていなかったのだ。

大変!どうしよう。躊躇する間もなく、相方が走って小道のベンチを抱えて持ってきてくれたのだ。
重かっただろう、大変だったろう。
みんな驚いたが、大叔父は長椅子に座ることができ、式が無事はじまる。

5月だけど母の好きなスイカをお供えした

あとで、ありがとう。本当に助かった。と声かけると

オジサンをたすけるためだけじゃないよ。
キミと、キミのママの名誉のために。
そして、ニホンのみなさんのために。

それってどういうこと?

日本に来ている外国人が日本に安心して暮らせるように。
ワタシも移民外国人のひとりだから。
コワくないよ、みんな日本の文化になじもうと努力してるんだよ。
それに、これから日本の少子高齢化が進み、自分たちだけでは日本を発展させられないでしょ?日本で暮らしたり働いたりする外国人と、日本人が仲良く共生する社会になるといいな、壁を取り払いたいと思って、ワタシは長椅子をもってきたんだ。
だから今日の行動は ニホンのためなのさ。

めちゃくちゃ惚れ直した、もちろん。後日、相方への親戚の評価も爆上がりしたし。。


しかし11月11日。
今年もやはり、結婚記念日を忘れているのもまた真実である。


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