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Random Walk

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執筆したショートストーリーをまとめています。
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2020年7月の記事一覧

当たり、もう一本

当たり、もう一本

ごとんごとん、と音を立てて自販機の取り出し口へ缶ジュースが落下する。

深夜2時の誰もいないオフィス。
明日、正確には日付を回っているので既に本日だが、締め切りとなっている報告書の作成のために三浦は一人パソコンに向かっていた。
おおよそ報告書の目途が立ち、残りは仮眠してから仕上げようと決心して、ふと思いついて飲み物でも飲もうかと廊下に出る。

そこだけぽつんと明かりがともっている自販機の前で電子マ

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終点までバスに乗って

終点までバスに乗って

ゴトゴトとバスは揺れながら曲がりくねる山道を走り抜けていく。

麓の駅からこのバスに乗り込んだ乗客は私だけだった。温泉旅館のある終点の停留所までは1時間くらいかかるだろうか。人里に最も近いのが駅の周辺なのだけど、このあと誰か乗って来るのか不安になるような細い道をバスはのんびりと登っていく。経営的には大丈夫なのだろうかと他人事ながら心配になってくる。
一番後ろの長座席に一人腰かけて、私は初夏の瑞々し

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悪魔の架けた橋

悪魔の架けた橋

(スイスの民話より)

その川には長年橋が架かっていなかった。
村人たちは橋を架けようと何度も挑戦したものの、大雨のたびにせっかく架けた橋は流されてしまっていた。

今回も村人総出で橋を渡したものの、村長が大雨の翌日に川に行ってみると、橋は一部の橋脚を残して濁流に押し流されてしまっていた。村長は無残な姿の橋を見つめて悔し涙を流す。

「ああ、なんてことだ、またも橋がこんな姿に……もはや悪魔にでも頼

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魔女の秘訣

魔女の秘訣

 その人はグループホームでも人気者だった。

 名前は佐藤さんという。軽い認知症の症状があるということだったが、いつも身奇麗にしており、背筋を伸ばして歩いている。私のような新人のスタッフにも気さくに話しかけ、佐藤さんの周りにはいつも人の輪が出来ていた。傍から見ていても、取り囲む輪には男性が多いことが分かる。若い時はさぞかしモテたのではないだろうかと思えたし、それは年を召した今でも健在そうだ。

 

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アプロディーテーの泡

アプロディーテーの泡

 ぐねぐねとうねるように動くその生き物は、人の肌のような色をしていた。見る角度によって様々にその色相を変えていき、ひと時たりとも同じ形状をしていないが、それゆえに見ていて飽きることがなかった。
 何より彼の心を惹きつけたのは、ときおりその形状がまるで裸婦像のように見えるときがあるからだった。
 それは奇妙に艶めかしく、まるでこちらを誘うように動き続ける。

 生物の分類としては二枚貝に分類されるだ

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深夜タクシー

深夜タクシー

 そのタクシー運転手が若い女性を乗せたのは終電もとうに終わった深夜のことだった。彼が大通りを流していると女性が道端で手を上げているのが目に入った。女性の前に停車をして後部座席のドアを開ける。

 「仕事帰りですか。遅くまでお疲れ様です」
 「ええ、まあ」

 疲れているのか女性の表情は暗く、不愛想だった。その程度のことでいちいち腹を立てたりはしない。たちの悪い客はいくらでもいるし、バックミラーに写

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旅するスナメリ

旅するスナメリ

近くの川になんかいる、という知らせを受けて私は友達と一緒に自転車を漕いで川に向かった。

河川敷の土手に自転車を止めて目をこらすとたしかに何かが川の水面に見え隠れしていた。いちばん早く気がついたのが私たちだったみたいで、まだあたりには人は集まっていなかった。

あれはなんだろう。

「おっきな魚じゃないの」
「ワニとか」
「こんなところにワニなんているの?」
「あんまり近づかない方がいいんじゃない

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雨男の旅事情

雨男の旅事情

雨男なのである。

昔からなぜか旅行の時には決まって雨が降る。
たとえ前日の予報が降水確率0%だとしても、ちょっと油断すると風は妖しく吹き始め、鳥は巣へと帰り、猫は顔を洗い、空は昏くなり、日は遮られ、水滴が空から舞い降りてくるのである。

小学校の遠足および中高の修学旅行は全日程ではないにせよ全てどこかで雨が降った。中学生の頃は粋がって「俺、雨男なんだよね、困っちゃうぜ」なんてことを言いふらしてい

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「彼女」の憂鬱

7月も半ばを過ぎると、そろそろ夏も近づいてきたな、という気になる。
昔は夏といえば心霊特番をテレビでやっていたものだったけれど、最近はあまり見た覚えがない。

どうしてだろう。ノストラダムスが盛大にやらかしたからだろうか。
1999年の7月が過ぎても何も起こらないことがなんとなく分かってからオカルトブームの熱も冷めていったようにも思う。
一部では「原文を読み解くと、実は1999年の7月ではなかった

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標本を作る

小学校2年生の時、ひと夏かけて大きな昆虫標本を作製したことがある。
きっかけは当時読んでいた科学雑誌の特集だったように思う。
「きみもこんちゅうハカセになろう!」なんていうありきたりな煽り文句に当時の僕は見事に心を掴まれてしまい、父親にせがんで宿題を夏休みの半ばまでに終わらせることを条件に(それは普段の僕からすれば途方もなく困難な作業ではあったけれど)、夏休みの間じゅう様々な場所に連れて行ってもら

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かわいいの感性

かわいいの感性

「あ、かわいい」

思わず、といった感じで上がった声に私はちらりと横を見る。
横を歩いていたマリコは手を体の前で合わせてキラキラした目で一点を見つめている。

私たちが歩いているのは片側2車線の大きな道路に沿って続く歩道だ。
ところどころに街路樹が植えられ、お洒落なカフェやセレクトショップが立ち並ぶ通り。イメージとしてはパリのシャンゼリゼ通りといったところだろうか。なんだっけ、ブールバールというん

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鈴の音

鈴の音

山歩きが趣味になってもう何年たつだろうか。

若い頃はなにが楽しくて何もない山にわざわざ登るのか、気が知れないなどと思っていたものだったが、意外や意外、たまたま昔からの友人に誘われたことがきっかけで、40も過ぎてからすっかり山にハマってしまった。
昔は何もないと思っていた山だったが、登山道の脇の小さな花や虫の音、谷間を吹き抜ける風の感触など都会にいては味わうことのできない山の魅力にすっかり取りつか

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わたしの守り人

わたしの守り人

その人は、いつも優し気に話かけてくれた。

「今日の気分はどう?寒くはないかい」

そう言いながらわたしの体を気づかわしげにさすってくれる。
彼が優しく触れてくれるところは、そこだけぽっ、と暖かくなったように感じてわたしは嬉しくなるのだ。
わたしは、大丈夫よ、今日は天気もいいから、お日様も気持ちいいわ、と応える。わたしがそう応えると彼は穏やかな笑みを浮かべながらうんうんと嬉しそうに頷いてくれた。

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キリトリセン

線路は街に描かれた切り取り線だと思う。

そう考えてみると、地図に描かれた線路のラインも、そのように見えてくるから不思議だ。

だから電車から見る街の風景はその街の断面図だ。

電車から見える街の風景が好きだ。特に生活感のある場所のただなかを抜けていく路線に乗り込み、車窓から見える風景をぼんやりと眺めていくのが気に入っている。

民家が密集する中を縫うように抜けていく車窓からは、家々の壁が目に入る

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